デヴィ夫人、ホステスから大統領夫人への道を自ら切り開いた生き様

タレントのデヴィ夫人が、テレビ番組収録中に、一般人の女性の挑発に激怒、3度の平手打ちをして、収録途中で、退出していたことがわかりました。デヴィ夫人は、ナイトクラブのホステス時代に見染められてインドネシアにわたり、苦労の末、インドネシアの建国の父と呼ばれる故スカルノ大統領の第3夫人になった伝説の持ち主です。

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貧しい生い立ちから、フランス社交界の華への成上がり伝説

テレビタレント、デヴィ夫人(デヴィ・スカルノ)、元インドネシア大統領第三夫人。

日本名(旧名)根本七保子、1940年2月6日生まれの76歳(2017年1月現在)、東京麻布霞町出身です。

父は大工で、弟が1人の貧しい家庭環境に生まれています。

都立三田高校の定時制に通いますが、経済的状況から中退、家計を助けるために、映画のエキストラなど、さまざまなアルバイトや仕事をしました。

美貌に恵まれたことで、赤坂の超一流ナイトクラブであったコパカバーナのホステスになって、人気を博します。

コパカバーナは、水割り1杯で大卒の初任給が吹っ飛ぶと言われた高級店で、海外の要人の接待にも頻繁に使われていました。

そこでホステスになるためには、美貌だけでなく、客を飽きさせない接客技術が重要で、頭の回転の速さや賢さが必要でした。

根本には19歳にして、天性の才能があったのです。

たまたま来日していたインドネシア建国の父、インドネシアの初代大統領スカルノが、帝国ホテルで行われたティ・パーティで、コンパニオンとして居合わせた根本を見染めます。

当時日本政府は、インドネシア政府に敗戦処理のための賠償金830億円を支払っていて、インドネシア政府はその金で日本の造船会社から船舶を買うことが決まっていました。

この賠償金ビジネスに群がっていた人物たちが、その情報を聞きつけ、ホステスだった根本をくどき落とし、東日貿易の秘書という触れ込みで、1959年19歳の根本を、インドネシアに送り込みます。

実はそれ以前に、全く同じ経緯で「周防咲子」(本名:金勢さき子)という日本人女性が中堅商社木下産商によりインドネシアに送られていて、バスキ夫人として、スカルノ大統領の寵愛を受けていました。

しかし根本の登場によって、スカルノはバスキ夫人に興味を失ってしまい、根本を寵愛するようになります。

1959年10月、バスキ夫人は失意の中、バスルームで手首を切って自殺をしています。

根本はインドネシアに行くことを引き受けるにあたって、日本側とインドネシア側の双方にいくつかの条件を要求しています。

スカルノ大統領とは、正式な結婚をする。

日本側には、自らが日本からの賠償金事業の窓口となること。

インドネシアに渡っても初めの数年間は、スカルノの愛人という立場にとどまり、第一夫人からのイジメにもあったようです。

1962年に、ようやくラトナ・サリ・デヴィ・スカルノと改名して、正式にスカルノ大統領の第三夫人になることができました。

▼スカルノ大統領とデヴィ夫人

このことが日本で話題となり、根本は”日本を捨てた売春婦”だとして国辱的な出来事とされ、マスコミが実家に押し寄せる騒ぎとなります。

これを苦にした実弟の根本八曾雄は自殺をしてしまいました。

デヴィ夫人は、このことを悲しんで、宮殿の一つを実弟の名前にちなんでヤソ宮殿としています。

この建物は後にインドネシア政府に接収され、現在は軍事博物館となっています。

賠償金ビジネスの窓口での収入は莫大なもので、日本政府や利権事業商社や大手企業とインドネシア政府の連絡担当のような役割を果たし、デヴィ夫人がその時に築いた資産は、数十億を下らないとも言われています。

スカルノ政権末期には、デヴィ夫人を通さずには、日本企業は何のビジネスも進まないという状況だったといわれています。

1965年9月30日、軍事クーデターが勃発、スカルノは大統領の座を追われ、軟禁状態に置かれてしまいました。

デヴィ夫人は、日本への政治亡命を求めますが、インドネシア新政権との関係を重視した日本政府は、これに応じません。

この時に、デヴィ夫人が感じた、祖国日本から見捨てられたという屈辱は、一生忘れないと語っています。

スカルノの失脚後も、デヴィ夫人の個人財産はある程度保護されていたため、デヴィ夫人が生活に困窮するようなことはありませんでした。

1966年、デヴィ夫人は、スカルノの子供を妊娠します。

1967年、人道的配慮により、日本への帰国を許され、慶応病院で長女カリナを出産しました。

カリナは、スカルノ元大統領の8人目の子供です。

デヴィ夫人はインドネシアへの帰国を試みますが、インドネシア入国を許されず、やむなく母子でフランスに渡り、フランス社交界にデビューしました。

デヴィ夫人は、その美貌で”東洋の真珠”と呼ばれ、すぐに社交界の花形になります。

スカルノ元大統領が存命中にも拘わらず、数々の浮名を流し、数度にわたり、婚約発表の噂まで出ていました。

1970年にスカルノ元大統領が亡くなった際には、インドネシア政府から財産の相続権や、スカルノ一族としての地位をはく奪されてしまいました。

スカルノがスイスに蓄財していと言われている巨額の財産ついての真偽や、この時期のデヴィ夫人の遺産相続については、詳細が明らかになっていません。

後にインドネシア政府は、第三夫人としてのデヴィ夫人に遺産を分与していますが、金額は不明です。

1970年代から芸能活動のようなことを始めていて、1974年には、小学館の総合男性誌GORO創刊号にヌード写真が掲載されています。

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1980年には、幼いカリナをフランスに残し、単身でインドネシアに帰国します。

このことが13才のカリナの心に深い傷を残し、カリナとデヴィ夫人の間に溝が生まれていきます。

この時は、軍事クーデターによって没収された財産を取り戻し、新たな石油ビジネスを立ち上げることが目的でした。

いくつかの財産を取り戻すことができましたが、かつての影響力はなく、石油ビジネスは不調に終わっています。

1990年ころには、日本で肌を露わにした写真集を出版して話題になっています。

しかしこのことが、敬虔なイスラム教徒の多いインドネシア国内で、大きな問題となり、それまで比較的に同情的だった、インドネシア国民のデヴィ夫人に対する態度が一変します。

この写真集はすぐに、インドネシア国内では販売禁止となりました。

インドネシア独立・建国の父として、今でも尊敬を集めているスカルノの夫人として、ふさわしくない振る舞いということで、一気にアンチ・デヴィ夫人の世論に流れて行きます。

これ以降、デヴィ夫人は、インドネシアに足を踏み入れることはなくなってしまいました。

1991年、ボストンの大学に学んでいたカリナの卒業を機に、アメリカニューヨークでの同居を決意、新居を購入します。

ところが、『母と自分とは別人格』と言い放ち、母親の生き方に批判的だったカリナは、これに同意せず、一時的に失踪してしまいます。

この時のデヴィ夫人の悲しみは、察して余りあります。

カリナとは、その後も長い間に渡り確執が続き、2005年に行われた、カリナとシティバンクのCEOとの結婚式には、母親としてでなく、単なるゲストとして出席を許されただけでした。

しかし、カリナに長男(デヴィ夫人にとっては初孫)キラン君が生まれたことで、一気に和解モードとなっています。

デヴィ夫人のブログには、目の中に入れても痛くないキラン君とのツーショットがアップされています。

現在夫と子供とアメリカに在住中の、現在45歳になるカリナさんは母との確執について

「私も母になり今ではお母さんの気持ちがわかるようになった。」

「お父さんも急に亡くなり1人で私を育てた事は本当に大変だったと思う。」

「今まではコミュニケーションをあまりとれてなかったけど、これからは2人でショッピングしたり昔出来なかった事をしたいです。」

と語っています。

デヴィ夫人は、2000年から活動の拠点を日本に移し、本格的に芸能活動を始めました。

ただデヴィ夫人の芸能活動は、経済的な理由で行っているのではありません。

現在でもセレブ生活を続けるのに十分な資産は確保しています

テレビのバラエティ番組に出演するのは

「新しい事に挑戦するのは、まったく怖くないわ。私が、本当に怖いのは挑戦する気持ちが、なくなってしまう事よ」

という信念のもとでの、チャレンジの一環なのです。

汚れ役もいとわずに、演じてくれるギャップが面白く、出演のオファーが続いていますが、制作や演出サイドが、その本質を見極められず、デヴィ夫人が苛立つシーンも良く見かけます。

汚れ役には応じますが、プライドを傷つけられることは、絶対に許さないのです。

「私の人生は、シンデレラのようなものではない。幼いころに体験した戦争と貧困が、 どんな逆境でも生き抜く力を与えてくれた。人の3倍勉強して、努力して、働いたおかげで今がある。」

と強烈なプライドをのぞかせています。

情報バラエティのコメンテーターとして、いろいろな事件に辛口なコメントを発し、時には当事者を目の前にして厳しいことを言って見せます。

2013年8月2日放送の「AKB子兎道場」(テレビ東京)に出演して、峯岸みなみたちを前にして、

「私はAKBの存在を否定してるのよ」

「23、25になった人たちが、『会いたかったー会いたかったー』とか歌ってね。あの声がテレビから聞こえるとガチャっと切ります」

「日本の若い男性たちを非常に幼稚に、稚拙にしてしまうことが不愉快だ」

と一刀両断にしてみせました。

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そんなデヴィ夫人をの様子を、単なるキレキャラタレントとして見ていたプロダクションの制作スタッフが、今回大きな間違いを起こしました。

2014年1月15日放送されたTBS「奥様はモンスター2」の収録(9日)で事件は起こりました。

番組は実在する“モンスター奥さま”を集め、再現VTRとスタジオトークを交えて進行するものでした。

MCはブラックマヨネーズ、ひな壇では、黄色い衣装のデヴィ夫人は前列一番左に座り、隣に奈美悦子、後ろに西川史子など、口うるさいキャラの女性が並んでいました。

デヴィ夫人は、演出の意図を理解して、自ら浮気された過去の経験などを告白、復讐心に燃えた自身のモンスターぶりを語って見せたりもしました。

西川史子の「私は30人の男とつきあった」という発言にも鋭いツッコミを入れるなど、収録は順調に進んでいました。

ところが「奥様は女王様」というコーナーに出演した一般人の女性(33歳)が「デヴィ夫人も男性を虐げている」などと発言し、デヴィ夫人も応戦し、事態は次第にエスカレートしていきます。

一般女性はその後も挑発的な発言をを繰り返し、デヴィ夫人の怒りも頂点に達し、女性の顔を3回平手打ちするなどしてしまいました。

あまりの展開にスタジオは凍りつき、MCが収拾できるレベルではなくなってしまいます。

取っ組み合いのようになった二人の間に、スタッフが入ってようやく収まりますが、デヴィ夫人はスタジオを出てしまい、戻ることはありませんでした。

もちろんオンエアでは、この様子はカットされていて、午後7時から放送の2時間番組でしたが、放送開始から約一時間後の8時3分には、スタジオからデヴィ夫人の姿は消えてしまい、最後まで不在のまでの放送になってしまいました。

当事者の一般女性が語ったところによれば、演出サイドから事前に「嫌な女性を演じて番組を盛り上げて」と言われたと言います。

挑発的な発言はアドリブで、デヴィ夫人に絡んでいたというのです。

同席していた西川によれば、女性の発言も。デヴィ夫人の怒りも、演出のレベルをはるかに超えていたと言います。

収録終了後一般女性は、平手打ちされることなど聞いていないと、番組スタッフに抗議しますが、まともに取り合ってもらえず、やむなく警察に相談を持ちかけたのです。

訴えを受けた警視庁成城警察署は、事情を調査して、15日に女性からの被害届を受理し、暴行容疑での捜査を開始しました。

マスコミ各社は、TBSに取材を申し入れますが、この番組が外部プロダクションの制作であったことや、当事者間の問題であるとして、事態の推移を見守っているとのコメントに終始しています。

一方デヴィ夫人は、別の番組のロケで海外に滞在中で、警察の事情聴取も行われていません。

デヴィ夫人の暴行事件は、実はこれが初めてではありません。

1992年アメリカ在住時に、、コロラド州アスペンで、セルヒオ・オスメニャ第4代フィリピン大統領の孫娘のミニー・オスメニャの顔をシャンパングラスで殴打し、37針縫う大けがを負わせています。

在米インドネシア大使館の懸命のもみ消し工作が行われましたが、失敗に終わり、デヴィ夫人は傷害罪で有罪とされ、禁固60日・罰金700ドルの実刑判決が出て、34日間収監されています。

「刑務所での生活は、学生寮のようで楽しかった」と語っており、デヴィ夫人の面目躍如というものでした。

芸能界でキレキャラタレントとして、面白がられているデヴィ夫人ですが、本当にキレた時には、何をするかわからないキャラだったのです。

73年の生涯にわたって、数々の喧嘩をして、勝利してきたデヴィ夫人がどういう態度に出るのか注目されています。

とくに不祥事の多いTBSは、戦々恐々としているようです。

デヴィ夫人は、22日早朝成田空港に到着、報道陣の問い掛けには何も答えず、自宅にむかいました。

今後の展開が、注目されるところです。

追記

被害届を受理した、成城警察の担当者は、被害者に、示談による和解を勧めました。

デヴィ夫人によれば、示談金として1億円を要求するなどされて、示談は難航したと言います。

最終的には、1月23日に、示談金200万円で和解が成立しています。

和解内容では、ただちに被害届を取り下げることになっていましたが、実際に取り下げられたのは1週間後の30日でした。

その後のマスコミの取材で、平手打ちされた一般女性は、2011年後藤田正純衆議院議員との不倫関係をスクープされた女性であることが判明しています。

当時この女性は、銀座のクラブでホステスをしており、議員宿舎にお泊まりしたことでも話題になりました。

かつてホステスであったデヴィ夫人に、なにがしかの思いがあったのかもしれません。

今回は、事件をかき回すだけで、脇役に甘んじて、沈黙を守っている西川史子は、デヴィ夫人ににらまれたことで、しばらくは大人しくしていることになるでしょう。

喧嘩相手は、くれぐれも相手を選ばないと、大怪我をすることになるという良いお手本になったかもしれません。

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コメント / トラックバック 2 件

:デヴィ・スカトロ|

実に嘘にまみれた人生って感じだなw

:デビル夫人|

インドネシア建国の父と、デビ夫人のことは
週刊誌のゴシップレベルしか知りません。
日本外交の架け橋になったようですが、
結局、クーデターで失脚した大統領を見捨てて
他国で浮名を流した女性のようにも見受けられます。
結局、インドネシアでは嫌われて、財産も無いのですね。

美貌はあると思いますが、最近の彼女の
言動を見る限りは、言いたいことをズケズケ
言うだけがウリのようで、それが、いいことを
言っているようにも見えないし。
いい加減、引退してほしいような・・・(^_^;)

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