ローラ、愛されキャラの陰の壮絶な生い立ち、父親は国際指名手配犯

誰にでもタメ口、それでも嫌われない”愛されキャラ”のローラ.その陰には、想像できない過去がありました。両親の離婚、父親の事業の失敗、父親の助けになりたいと頑張ったモデルで成功しましたが、父親の犯罪という不幸に見舞われてしまいます。それでもファンやタレント仲間、関係者から愛されているローラは、めげることなく頑張っています。

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ローラの意外な生い立ちと愛されキャラの秘密

好感度抜群のモデルでタレントのローラ、本名佐藤えり。

▼卒アル・すっぴん

1990年3月30日にバングラデシュ人の父ジュリップ・エイエスエイ・アルと、日本人とロシア人のクォーターである母親との間に男女の双子として、日本で生まれました。

1歳でバングラデシュに渡り、現地のアメリカンスクールに通っています。

このころは、比較的に裕福な家庭環境でした。

小学校1年生7歳の時に日本に帰国、しばらくして再びバングラデシュに渡り、9歳でまた帰国します。

このころはベンガル語しか話せずコミュニケーションはボディランゲージでなんとかやっていたそうです。

父ジュリップの事業はこのころに、かなり危うくなっていて、母親との仲もこじれてしまい、ついに離婚となり、母親が家を出るという事態になってしまいました。

その後父親は、中国人女性と再婚し、双子の弟妹が生まれています。

このころ(1999年)は、父親、継母、双子の実の兄リョウ、双子の義理の弟妹、継母の両親、ローラの合計8人で、東京の国立市の木造アパートの1室で暮らすという苦しい状況に陥っています。

▼複雑な家族構成

その後知人のアドバイスで、継母の両親以外の6人で、多摩市の3DKの都営団地に引っ越すことができました。

両親が共働きだったために、幼い双子の弟妹の面倒は、ローラが見ることになっていました。

食事をさせたり、おしめを替えたり、中学生のローラは、本当によくやっていたと、当時を知る人たちは語っています。

ローラと継母は、衝突することも多かったようですが、その時も父親がローラをかばってくれました。

そんな体験から、ローラと父ジュリップの間には、深い絆が生まれていきます。

都立府中東高校に進み、近所のホームセンターでアルバイトをしながら、家計を助けていました。

2013年4月に、当時のアルバイト先のホームセンターを訪問した様子がブログにアップされています。

帽子とマスクで変装したローラが当時の同僚と感動の再会を果し、ハグをしたり、手をつないで歩いたりして、ローラは「うれしくて、なみだがとまらなかった。みんなだいすき」と綴っています。

当時は黒髪、黒い瞳で、外国人らしさは今ほどではありませんでした。

高校生時代に、渋谷でスカウトされて、2007年『Popteen〔ポップティーン〕』の読者モデルとしてデビューします。

モデルでお金を稼いで、少しでも父親を助けたいとして、ギャラはほとんど父親に渡していたようです。

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2008年神戸コレクションのイベント、”神戸コレクション・モデルオーディション”に参加、審査員特別賞を受賞したことで、モデルとして初めて注目を浴びました。

この時の登録名は、”西園寺ローラ”となっており、以後モデルとしては”ローラ”として活動することになります。

モデルとして本格的にデビューしてからは、黒髪に黒い瞳を封印して、”金髪にカラコン”というハーフ仕様で活動しています。

身長165cm、82-58-86という抜群のスタイルを生かして、同年雑誌『ViVi』の専属モデルとなり、『渋谷ガールズコレクション』『東京ガールズコレクション』『Girls Award〔ガールズアワード〕』などのランウェイイベントへの出演して、着々とキャリアを重ねていきました。

2010年6月に、同じ『ViVi』モデルの藤井リナおよび大石参月とともにNTVの『しゃべくり007』にゲスト出演した際に、その天然キャラが炸裂して、メインゲストの藤井リナよりも注目されてしまいました。

話の途中で、頬を膨らませたり、ペコちゃんのように舌を出したりするポーズが可愛いとされ、人気が爆発します。

耳の横に指でマルを作って「オッケー」というポーズや、誰とでもタメ口で話す天然さも、”愛されキャラ”として定着していきました。

数々のバラエティ番組から、出演のオファーを受け、2012年からは、フジテレビの『笑っていいとも』のレギュラーにもなっています。

女子中高生からの支持は圧倒的で、モデルとして、カリスマ的な人気を博すようになっていきます。

ローラが、輝きを増していくにつれて、CMの契約数も増加しました。

2013年のCM契約社数ランキングでは、武井咲(17社)篠田麻里子(15社)に次いで、ローラは第3位(14社)にランクされています。

元々敬語が話せないことが理由でしたが、どんな大御所にも臆せずタメ口で話しかけて、それでも嫌われない、不思議な才能の持ち主です。

徹子の部屋に出演して、タメ口で話した際、黒柳徹子は、最初かなり面喰っていましたが、要所要所で、徹子に対する敬意を感じたようで、すぐにローラを受け入れています。

ローラの独特なポーズや仕草は、実は、ローラの努力の上に成立しています。

貧しかった10代に、そんな環境に負けて、暗くなってしまわないように、明るく振る舞おうと決めた結果がこれなのです。

その努力をずっと続けてきたことで、ローラの”愛されキャラ”が出来上がりました。

その愛されぶりは、タレント内でも評判で、SMAPの中居正広は、『仕事で苦しくなった時、ローラの事を思い出して頑張ろうと思う』と語っているほどです。

2013年12月に放送された『いきなり黄金伝説サバイバル』では、天然キャラからは想像できない、ハイスペックぶりを披露して、視聴者をあっと言わせました。

達者に釣りをこなしたり、素人には難しい鯛を、見事にさばいて見せたりしています。

ともにサバイバル生活に挑んだSHELLYも舌を巻く見事さでした。

視聴率も17%を記録し、ローラの新たな面を見て、ファンになった人も多いようです。

ローラの父親の犯罪

2012年タレントとして大ブレークしたローラ。

同年11月発売の週刊文春で、父親が同胞のバングラデシュ人の不法就労の斡旋に関与しているとの疑惑が報じられました。

ローラの父親は、2000年頃大田区蒲田の雑居ビルでインドカレー屋を営んでいました。

その時従業員として働いていたのが、ローラの伯父のカマロと、従兄のバベルでした。

彼らは、母国のバングラデシュでの苦しい生活から脱出したくて、親族のジュリップを頼って日本に来たのです。

ジュリップから、300万円用意すれば日本での仕事を斡旋すると言われ、その通りに金を払ったものの、ありつけた仕事は、ジュリップが経営するカレー屋の店員でした。

住む部屋も与えられず、店に寝泊まりする生活で、賃金は日払いの手渡しという劣悪な労働環境でした。

2人とも就労ビザもなく、それ以外のまともな職に就くことは不可能でした。

それまでも様々な事業に手を出して、失敗を重ねていたジュリップは、結局カレー屋の経営にも失敗して、2年で閉店してしまいました。

それでもジュレップ以外に頼る術のないバベルは、ジュリップの斡旋で、巣鴨にアパートを借り、表参道のイタリアレストランで偽名を使って働くことになりました。

現在は、この店も辞めてしまい、その後の消息は分かっていません。

これらのことが発覚したのは、アル・ムーンの常連だった女性が、バベルと付き合うようになって、バベルから打ち明けられたことがキッカケです。

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このことについて、電話で文春の直撃取材を受けたジュリップは、そんな証拠はどこにもないし、覚えもないと否定しています。

元々同胞意識が強いバングラデシュ人の中で、ジュリップは、不法就労の斡旋などで、中心的な役割を果たしていたと言われています。

次にジュリップが、集金手段として目をつけたのが、国民健康保険の海外療養費制度でした。

海外で支払った治療費を、日本で申請すると還付を受けられるという制度を悪用して架空の申請書を提出して、診療費をだまし取るというものです。

直接の容疑は、バングラデシュ国籍の知人モハマド・アミン・シェリフ容疑者(45=同容疑で逮捕)と共謀し、2008年12月から2009年1月にかけて、バングラデシュの病院で診療を受けたとの虚偽の診療明細書などを、東京都世田谷区役所に提出し、海外療養費約87万円をだまし取ったというものです。

ジュリップはその中から40万円の報酬を受け取ったとされています。

ジュリップを指南役とするこのバングラデシュ人グループは、同様の手口で1,000万円以上を詐取していたと見られています。

2013年6月に、警視庁の組織犯罪対策1課が、詐欺の疑いで、ジュリップ・エイエスエル・アル容疑者の逮捕状を取った事を明らかにしました。

ジュリップ容疑者は、ローラの人気が爆発し始めた2012年8月ころには、自らの周辺に捜査の手が及んでいることを察知したようで、日本を出国してしまいました。

このため警視庁は、ICPO(国際刑事警察機構:インターポール)を通じて国際指名手配をかけています。

父への逮捕状請求のニュースを受けて、ローラの所属事務所は

「ローラ本人はまったく把握しておらず、大変ショックを受けております。現時点では何も分からず、コメントする立場にございません。捜査にはできる限り協力させていただきます」と発表、

ローラ本人は、「今日ニュースでみてとてもびっくりしました。父がご迷惑をおかけしてすみませんでした。とてもかなしいです。本当にごめんなさい」とコメントしています。

さらに7月1日のブログで、

「父には日本に来てしっかり本当のことを話してもらいたいと思っています」

「今回のお父さんの事でわたしができる事は出来るかぎりやろうと思います」

「迷惑をかけてしまったみなさんごめんなさい。みんな、いっぱい励ましたり応援してくれて本当に本当にありがとう」

とファンへ感謝の気持ちを綴っています。

現在ジュリップ容疑者は、母国バングラデシュで暮らしていることが分かっていますが、日本とバングラデシュでは、国外に逃亡した犯罪容疑者の引き渡しに関する国際条約「犯罪人引渡し条約」が結ばれておらず、バングラデシュにいる限り、警察は手も足も出ない状態です。

”居場所はわかっているけれど逮捕はできない”状態であるため、この事件は、現在でも未解決のままです。

ローラの母親は、ローラが幼少のころに家を出ていってしまったので、父親だけが頼りの子供時代を過ごしています。

そのため、父親の存在は、ローラにとって、かけがえのないものだとテレビなどで語っていました。

しかしこんな状況になって、日本で父親と一緒に暮らすことは、一生叶わない夢になってしまいました。

ローラは、『30代になったら結婚したい。海外のボーイフレンドがいいな。日本人? あまりときめかない』と語っていますが、日本人と結婚すると、父親の近くでは暮らせないことが、わかっているからかも知れません。

ある程度の年齢まで日本で稼いで、まとまった資金ができたら、海外(バングラデシュ?)で暮らすつもりなのでしょうか。

”愛されキャラ”ローラの心に潜む闇は、誰にも覗くことはできません。

追記

2014年7月23日ローラの父ジュリップ・エイエスエル・アル容疑者が来日、26日弁護士とともに警視庁杉並署に出頭し逮捕されました。

ローラは7月27日にブログで事件について
「わたしは、悪いこと、正しいこと、すべてがはっきりして欲しいと思っています。たくさんのお騒がせをして、ごめんなさい」
とつづっています。

ジュリップ・エイエスエル・アル氏はそのまま拘留され取り調べを受けましたが8月15日東京地検は”現時点では起訴に足る証拠がない”として処分保留で釈放しました。

不起訴や起訴猶予ではないので新たな証拠が見つかれば再逮捕という可能性は残されていますが、事件からかなり時間が経過しているのでその可能性は極めて低いでしょう。

釈放の際に報道陣からの”ローラさんにひと言!”という問いかけに

ローラ頑張ってね。パパ帰るから~。オッケー、問題ないよ

とローラのOKポーズを作って笑顔でタクシーに乗り込みました。

ながらくローラを悩ませていた父親の事件もこれでようやく一段落した形となりました。

再びローラの輝くような笑顔が見られることを喜びたいと思います。

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