北大路欣也、”犬のお父さん”の声は俳優生活58年のダンディな名優

俳優として58年のキャリアを誇る北大路欣也71歳。父親は、昭和の大スター市川歌右衛門です。
親の七光りで俳優デビュー後、順調にキャリアを重ね、人気俳優になりました。40代以降は主演こそ少なくなったものの、記憶に残る演技で、どんな役柄も見事にこなしています。近年は声優やCMなどでも活躍しています。

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親の七光でデビュー、出会いに恵まれて俳優として成長

日本を代表する俳優の一人北大路欣也、本名は淺井将勝(まさかつ)、京都府京都市出身、1943年2月23日生まれの73歳です。(2017年1月現在)

父親は戦前の無声映画時代から戦後にかけて、300本以上の映画主演を果している市川歌右衛門

兄弟は、兄(一般人)が一人、父が京都市内の北大路に邸宅を構えていたことから、芸名を北大路としています。

京都市立紫竹小学校、同志社香里中学校に進みますが、上京して、千代田区の暁星中学校に編入、暁星高等学校から、早稲田大学第二文学部演劇専修に進んで4年で卒業しました。

13歳の時、父歌右衛門が主演する映画『父子鷹』で、勝海舟(子供時代)役で俳優として”親の七光り”デビューします。

2008年、52年の時を経てNHKの大河ドラマ『篤姫』で同じ勝海舟を演じて、北大路自身感慨深いものがあったと語っています。

当時父は東映の重役であり、看板スターだったので、その息子のデビューということで、大変に注目されました。

父の当たり役『旗本退屈男』シリーズにも多く出演し、父親の後押しもあって、順調にキャリアを重ね、人気俳優となっていきました。

1960年に17歳でデビューした松方弘樹(父は近衛十四郎)とは同い年で、ともに2世の人気若手俳優ということで人気を2分、ライバルとして扱われることが多くなります。

早稲田大学時代には、コネを生かして機材や衣装を調達して、学生演劇の裏方を務めていました。

”シェイクスピア生誕400年”で、学生の皆で記念公演をすることになり、

早稲田に入ってきたのだから、1回くらいシェイクスピアをやれ! お前、一生チャンバラで終わるのか

と言われて、一人の学生として大隈講堂とイイノホールで舞台『リア王』のエドガー役を演じました。

何もわからない中での初舞台で、演出家から「下手くそ!それでもプロか!」と容赦なく罵声を浴びせられながら稽古をしました。

それでも本番の舞台で、最後のセリフが終わって、幕が下りてきたときには、いいようのない感動に包まれたと語っています。

この舞台をみた関係者から、すぐに舞台出演のオファーを受け、1964年『シラノ・ド・ベルジュラック』の主演で、プロの役者としての初舞台を踏んでいます。

1965年、劇団四季の舞台に客演して、日本での初演となる『オンディーヌ』のハンス役を演じました。

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1960年後半は、映画・テレビでは数々の時代劇に出演、一方で、舞台では翻訳劇に挑み、多彩な才能を発揮し始めました。

1970年には、『風と共に去りぬ』が原作の舞台『スカーレット』(主演は有馬稲子、那智わたるのダブルキャスト)の相手役、レッドバトラー役で、ミュージカルにも挑戦しています。

この当時から、どんなジャンルの、どんな役でも、基本的に断らないという姿勢を貫いています。

父歌右衛門が舞台出身でありながら、ある時期から『映画の主役でしか出演しない』というポリシーを貫いたのとは、好対照です。

父歌右衛門からは、『お前は節操がなく、何でも引き受けるなあ』とからかわれていたと思い出を語っています。

歌右衛門自身は、自分が不器用な役者だと自覚していたので、息子北大路の多彩な活躍は、嬉しく思っていたようです。

1970年代前半は、仁侠映画に数多く出演、テレビドラマでは、大河ドラマの常連俳優になりました。

このころの役は、ほとんど主役か、主役クラスの役ばかりでしたが、1987年のNHK大河ドラマのオファーを受けた時に、当然主役の伊達正宗役だと思っていたら、正宗役は渡辺謙で、自分は父親役だったことに驚いたと語っています。

この時北大路は44歳、ようやく年齢相応の役がくるようになったのかと、感慨深かったとも語りました。

1970年代後半から、映画界の衰退と共に、映画出演本数は少なくなり、役柄も脇役へとシフトしていきました。

50年以上に及ぶ、俳優としての長いキャリアのなかで、多くの当たり役に巡り会っています。

時代劇では、宮本武蔵、柳生十兵衛、大石内蔵助、「子連れ狼」の拝一刀、「剣客商売」の秋山小兵衛。

現代劇では、「華麗なる一族」の万俵大介、さすらい署長 風間昭平など。

1998年『NINAGAWA・マクベス(蜷川幸雄演出)』、2008年には、劇団☆新感線の『SHINKANSEN☆RX 五右衛門ロック』にも出演しました。

最近では、2013年のお化けドラマ『半沢直樹』にも出演、CMではSoftbankの”犬のお父さん”の声の出演など、70代になった現在も、常に最新のエンタメシーンの第1線で活躍を続けています。

演技の上手さでは定評がありますが、賞には案外縁がなく、日本アカデミー賞では、3回の優秀主演男優賞を受賞していますが、最優秀主演男優賞は獲っていません。

2007年には、長年の芸能生活に対して紫綬褒章を受章しています。

 

2014年には、テレビ東京の連続ドラマ『三匹のおっさん』(原作有川浩)で、久々の主演をしています。

50年以上も俳優業を続けてきたことについて、いつも節目節目で、次のステップにつながる”出会い”があったことが大きいと語っています。

仕事について、自らこうしたいと思ったことはあまりなく、オファーを受けた仕事に全力を尽くすことを続けた結果が、

こんなに長くなってしまったと言います。

同じ名優でも、存在感で勝負する高倉健とは違い、総理大臣からさえない中年のおじさんまでカメレオンのようにどんな役柄にもなれる憑依型の俳優です。

デビュー当時に、瞬(まばた)きを、きつく注意されたために、それがトラウマになっていて、演技の中ではほとんど瞬きをしません。

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70歳を超えた今でも、ダンディな風貌と、鋭い眼光は、衰えることがありません。

テレビのバラエティ番組には、ほとんど出演しなかったので、その私生活は謎に包まれていました。

スキャンダルとも無縁でしたが、一度だけ、父歌右衛門の晩年、その意思に反して老人ホームに無理やり入れたと、

実兄夫妻が週刊誌に話したことが話題になっています。

この騒動は、すぐに鎮静化してしまい、真偽はわかっていません。

6歳年下の妻祥子さん(旧姓古屋)とは、彼女が15歳の時に知り合い、以後ずっとこの人こそ理想の妻だと思い続けて、

13年に及ぶ熱愛の末、1997年に結婚しています。

残念ながら子供はいません。

2007年の紫綬褒章受賞の祝賀パーティでは、祥子夫人も出席していて、北大路から感謝の言葉が贈られました。

近年のエンタメ界の流れで、出演作品の宣伝・プロモーションでのテレビ出演が義務化されたことから、

北大路のバラエティ番組への出演が増えています。

その際、60年以上のキャリアを持つ、芸能界の重鎮でありながら、少しも偉ぶるところがなく、

どんな質問にも気さくに答えることから、世代を問わずファン層が広がっているようです。

まわりから言われるままに何となく始めてしまった俳優業が、天職であったことが北大路の幸運であり運命なのでしょう。

90歳まで現役女優を続けた森光子を越えることはできないまでも、80代までは元気に俳優業を続けて欲しいものです。

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