上野樹里の性格はホントに悪いのか?才能と努力の裏に亡き母の願い

ドラマ『のだめカンタービレ』で大ブレークした女優上野樹里。父の事業失敗や、母の急死など辛い少女時代を過ごしています。母の願いであった女優として成功するために、全力で仕事と向き合ってきましたが、熱意が空回りして、孤立するなど苦しい状況は続いていました。最近やっと肩の力が抜けて、一皮向けた姿を見せているようです。

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辛い少女時代の経験を経て、母の願いだった女優へ

実力派女優上野樹里、兵庫県加古川市出身、1986年生まれの27歳です。

両親と2人の姉との5人家族でした。

18才の時に、父が精密機械の工場の経営に失敗、家屋敷を手放すことになり、樹理も上京して、それまでとは違う生活を送るようになってしまいます。

TBS『情熱大陸』のロケで加古川を訪問した際に、その時のことを思い出して、『帰る場所を失った』とつぶやいています。

▼情熱大陸で実家の跡地を訪れた上野樹里

故郷の加古川には、辛い思い出があるけれど、楽しかった思い出も一杯あるようで、今でもたびたび訪れています。

成人式は、友人の家を頼って加古川で迎えています。

小学校の時は、地味で目立たない女の子でしたが、芸能界には興味があり、モデルか歌手になりたいと思っていました。

2000年に親に内緒で、友達にインスタントカメラで撮ってもらった写真を使って、小学館のティ―ンズファッション雑誌の専属モデルのオーディションに応募、最終選考まで残りました。

その時に、小さな事務所”ウィルコーポレーション”から声をかけられて所属することになりました。

週1回東京に通って、CMのオーディションを受け続け、8回目で「ダノン・ヨーグルト」のCMに起用されました。

さらに「クレアラシル」の3代目イメージガールに選ばれ、注目を浴びます。

そんな中、芸能生活をずっと応援し続けてくれた母親は、中学2年の時、樹里が上京する直前に、病気で他界してしまいます。

最後まで懸命に看病をしていた彼女は、母親が息を引き取る瞬間を、その目の前で見ています。

樹里が女優を目指すことになったのは、生前の母が『演技もできたらいいのにね』と言った一言がきっかけです。

「亡くなったお母さんは樹里ちゃんの活躍をすごく応援していたんですよ。特に女優さんになるってことで、とても喜んでいたみたい。」

「亡くなる直前にドラマの話が決まったとかで、楽しみにしていたんだけど、結局、間に合わなかった・・・」

と樹里が親しくしていた同級生の母が語っています。

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2002年、NHK月曜ドラマ『生存 愛する娘のために』で女優デビュー、中学卒業後に上京して本格的に女優を目指すことになりました。

日出高校に進学しますが、仕事が忙しくなり、通信制に編入しています。

▼卒アル

コロナファンヒーター、JT、J-PHONE、ブリジストンなどのCMに出演、映画では「チルソクの夏」、「ジョゼと虎と魚たち」などのオーディションに合格、出演を果たしています。

「ジョゼと虎と魚たち」では、17歳にして、22歳の大学生を演じ、ベッドシーンにも取り組みました。

事務所が弱小だったために、仕事はすべてオーディションで勝ち取ったものです。

2003年映画『スイングガールズ』のオーディションに応募、脚本・監督の矢口史靖から、主役の鈴木友子そのものがやってきたと言わしめて、主演の座を勝ち取りました。

同年NHKの朝ドラ『てるてる家族』のオーディションにも参加,次点となり、三女秋子役を勝ち取っています。

この時の最終オーディションで、特技を披露することになり、とっさの思いつきで、尻字を実演しました。

後日、この時のことを”自分(のプライド)を捨てた”と表現しています。

このように、樹里の女優人生は、決して幸運に恵まれたわけではなく、すべて自分の力で切り開いていったものなのです。

ですから、ひょうひょうとした表情の裏には、強烈な自信と、アグレッシブな女優魂が隠れています。

監督や演出家の意図を理解して、事前に十分な演技プランを立てて、収録に臨む姿勢は、この頃に培われたものでしょう。

『スイングガールズ』は2004年に公開されて、大ヒットを記録、上野樹里も一躍人気女優になっていきました。

『てるてる家族』で共演した俳優の岸谷五朗が、樹里の才能に驚愕して、自身が所属する事務所”アミューズ”への移籍を勧めます。

しかしデビューから世話になってきた事務所を裏切ることはできないと、移籍に応じませんでした。

樹里の才能を惜しんだアミューズは、”ウィルコーポレーション”を吸収合併して、アミューズのモデル部門とすることで、樹里を獲得しました。

この時、吉高由里子を含む”ウィルコーポレーション”に所属していたタレント全員がアミューズに移籍しています。

監督や共演者からは、しばしば天才と称されていますが、本当に演技の才能を褒められているのが半分、天然さをいじられているのいが半分といったところのようです。

それでも当時から納得のいかないセリフや演出には、徹底的に疑問や意見をぶつけ、収録を中断させることも度々あったようです。

岩井俊二プロデュースによる映画『虹の女神』の撮影でも、納得の行かない脚本に、撮影を中断して監督や出演者とディスカッションしています。

岩井にも熱い演技論をぶつけますが、一蹴されて悔し涙を流しています。

こうした演技に対する真っ直ぐな姿勢と、一つのことに集中すると周りが見えなくなる天然さが同居していることで、しばしば衝突や誤解を生んでいます。

誤解を恐れずに言えば、収録現場は樹里にとって戦場なのでしょう。

仕事はすべてオーディションで勝ち取り、主役の座も自分の力で手に入れてきたのです。

その意味で、現場は樹里にとっては戦場なのです。

戦場では年齢やキャリアは何も関係ありません。

実力のみが試される場所です。

樹里の座右の銘は「早く丸くなる必要はない」という言葉だそうです。

2006年フジテレビのドラマ『のだめカンタービレ』で大ブレーク、若手のトップスターとなりました。

その後も多くの映画やテレビドラマへの出演が続き、2011年NHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』の主役に抜擢されて、キャリアのピークを迎えました。

しかし田渕久美子による脚本が、あまりに時代劇の常識から逸脱していたことで、樹里の演技プランは混乱してしまいます。

視聴率が低迷する中で、何とか活路を見出したい樹里は、自分の出演部分だけでなく、先輩俳優たちの出演シーンまで気になり始めてしまいました。

出口が見えない迷路にはまり込んだ樹里は、スタッフにキレたり、先輩俳優の演技に注文をつけたりして、次第に、スタッフや共演者から孤立していきます。

「出番なのに気付くと消えているときの方が多い。スタッフ一同で探しまわったら、外でぼんやりと雲を眺めていた」

「相手が監督であれ、大物俳優であれ、常にタメ口。度を超えた生意気さに全員が呆気にとられています」

「何が気に喰わないのか突然、泣き出すときもあって、スタッフは戸惑うばかり」

「ちょっとした冗談にも”イジメられた!”と号泣する始末」

様々なエピソードがスタッフや共演者を通じて語られ、マスコミの知るところになり、”わがまま女優の上野樹里”というイメージが定着してしまいます。

CMの脚本にまで、注文をつけるようになり、大手通信キャリアのCMなどがご破算になっています。

CM出演もしだいに減っていき、『江~姫たちの戦国~』の終了以降はほとんど仕事がない状況に追い込まれていました。

常に”一緒に仕事をしたくない女優”の上位にランクされるなど、スタッフからの評価は散々なもので、一時は上野樹里は”芸能界から消えた”と噂されるほどでした。

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プライベートでも樹里の悩みは尽きません。

3人姉妹の樹里には、姉が2人いて、長女はDJ SAORI として活動、次女はタレント上野まなとして活動しています。

同じ事務所に所属する、次女のまなは、樹里の知名度を利用してバラエティ番組などに出演、グラビアで水着姿を披露するなどしています。

ところが、樹里には一切事前の相談がないことで、苦々しく思っているようです。

樹里の熱愛報道はあまり多くありませんが、お笑いコンビオリエンタルラジオの藤森慎吾の母親が、アポなしで上京して、息子のマンションに行ったら、上野樹里がいたと暴露して、関係者を慌てさせています。

しばらく表舞台から姿を消していた上野樹里ですが、2013年公開の映画『陽だまりの彼女」(嵐の松本潤とのW主演)で、久々に復帰しています。

2014年4月からは、TBSの金曜ドラマ『アリスの棘』で、復習に燃える女医というシリアスな役に挑戦します。

のだめ役で、コメディエンヌとして達者な演技を見せた上野樹里が、ラストフレンズ以来のシリアスで、しかも大人の役に挑みます。

女優上野樹里が、もう一度画面のなかで輝きを取り戻せるか、正念場を迎えています。

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コメント / トラックバック 1 件

:ribi fork|

こうして読むと若いとはいえ
世に出る人には歴史ありだな

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