ジョニー大倉、余命2週間から奇跡の生還、矢沢永吉との確執の真相

伝説のロックバンド”キャロル”のギタリスト、ジョニー大倉。”キャロル”は、わずか3年の活動期間の中で、日本のロック史に燦然と輝く足跡を残しました。バンド解散後、ジョニー大倉はソロ活動のほか、俳優としても活躍しています。2009年肝臓に”悪性リンパ腫”が見つかりますが、放射線治療で克服しました。ところが2013年5月、今度は”肺がん”で余命2週間の宣告を受けてしまいます。それでも苛酷な抗がん剤治療に耐えて、患部は2cmまで小さくなり、2014年4月、復帰ライブを開催するまでに回復しました。

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ジョニー大倉余命2週間の宣告から奇跡の回復、復帰ライブの開催へ

ミュージシャンで俳優のジョニー大倉、1952年に在日朝鮮人2世として、神奈川県に生れました。

1971年矢沢永吉らと伝説のロックンロールバンド”キャロル”を結成、ミッキー・カーチスのプロデュースで、1972年にメジャーデビューします。

矢沢作曲、大倉作詩のコンビで、「ファンキーモンキーベイビー」など数々のの大ヒットを飛ばしました。

しかし、バンドリーダーで、実質的にキャロルのデビューイメージをプロデュースした大倉には、薬物に依存していて生活が破たんしているとの噂がありました。

その不安は的中し、1973年11月23日~1974年2月中旬まで失踪するという事件を起こします。

この騒ぎでキャロルは、3人での活動を強いられ、バンドの中心は、矢沢に移っていきました。

大倉はトラブルメーカーと呼ばれ、復帰後も、矢沢との溝は埋まらず、2人の対立によりキャロルは、わずか3年の活動で解散に追い込まれてしまいます。

矢沢の力強いボーカルは当時から注目されており、ジョニー大倉の日本語と英語をミックスさせた作詞センスは、後のアーティスト、作詞家に多大な影響を与えました。

日本語を英語風に発音するキャロルの歌い方は、その後の日本のロックアーティストの多くが模倣しています。

キャロルは、わずか3年の短い活動期間の中で、日本のロックの歴史に、燦然と輝く足跡を残したのです。

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キャロル解散後大倉は、ソロ活動の傍ら俳優業にも進出して、1981年には映画『遠雷』で日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞しています。

一方で、相変わらずのトラブルメーカーぶりも健在で、1987年には、富山市のホテル7階のベランダの手摺りで懸垂中に転落し、全治6か月の重傷を負いました。

しかし短期間で復活を遂げ、「不死身の男」と自称しました。

「不死身のロックンロールジャーナリスト」というキャッチフレーズで、TBS「サンデージャポン」に、レポーターとして出演した際、俳優窪塚洋介の転落事故をレポートし、

「彼も僕も(自殺?)未遂じゃない。自分もキャロル時代は何かを埋める為に奇行に走っていた」

と自らの事件に触れて、理解を示す発言を残しています。

2004年には自叙伝『キャロル夜明け前』を出版し、その中で矢沢永吉との確執を赤裸々に綴り、話題を呼びました。

2009年3月、肝臓に悪性リンパ腫が見つかり、放射線治療を受けて、除去に成功した事を公表します。

しかし2013年になって、MRIとCT検査で、今度は肺に、最大15cmのがんが14~15個も見つかってしまいました。

この時担当医師は、このことを大倉本人には知らせず、家族にだけ”余命2週間”との宣告をしています。

夫人のマリー大倉は、生死を彷徨うような状況のなかで、本人にはとても本当のことは言えなかったと当時を語っています。

それでも大倉は、240時間に及ぶ苛酷な抗がん剤治療に耐えて驚異の回復を遂げ、15cmだったガンが2cmにまで小さくなりました。

息子のケンイチ大倉は、現在の状況は奇跡としか言いようがないと話しています。

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ジョニー本人は、2013年9月3日の大倉61歳の誕生日での取材に対して

「3カ月かけて、良い医者と良い薬と良い家族に助けてもらった。生きていることは良いことと実感しています。」

抗がん剤の副作用ですっかり髪が抜けてしまった姿を、あえて世間に晒すことで、今ガンと闘っている人に少しでも勇気を与えられたらうれしい

とコメントを寄せました。

その後も懸命な治療を続けた結果、驚異の回復ぶりを見せ、2014年3月に退院することができました。

4月には復帰ライブを開催する事を発表、再び不死身のロックンローラーとしてファンの前に姿を見せることになりました。

ケンイチ大倉は、長年続いている父と矢沢との確執について、

「実は親父は矢沢さんのことが今でも大好きなんです。親父がキャロルにこだわるのは、矢沢さんに認めてもらいたいからだと思います。」

「親父の夢は、矢沢さんと一緒にキャロルを再結成することです。」と父の思いを代弁しています。

ジョニーと矢沢が和解して、キャロルとして復活するには、いくつものハードルが存在しますが、すべてを乗り越えて、もう一度キャロルの雄姿が見られることを願うばかりです。

追記

2014年11月19日かねてから闘病中だったジョニー大倉さんは肺炎のため東京広尾の日本赤十字病院で逝去されました。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

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