江角マキコ、率直過ぎる発言に賛否両論、金にシビアで離婚?独立?

ドラマ『ショムニ』に主演して、一躍トップ女優の仲間入りをした江角マキコ。父親の急逝で、体育教師になる夢をあきらめました。実業団のバレーボール選手になりますが、怪我で断念、その後モデルに転身して成功、女優としても大活躍しています。生き方は不器用で、上手く人間関係を築くことができません。最近ではバラエティ番組での、率直過ぎる発言がしばしば話題になっています。

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夢をあきらめた少女時代と家族を支え続けた過去

女優でタレントの江角マキコ、本名平野真紀子、島根県出雲市出身、1966年12月18日生まれの50歳です。(2017年1月現在)

農業を営む祖父、農協に勤務する父、元バスガイドで、地元のベニヤの合板工場で働く母の元に生まれました。

同い年の両親が21歳の時にマキコが生まれ、3歳下の弟、9歳下に妹の3人兄弟です。

子供時代は、裕福とは言えませんでしたが、愛情一杯の両親に育てられ、野山を駆け回る少女時代を過ごしました。

大学に行くことができなかった父は、成績の良かったマキコには、学歴で辛い思いをさせないように、『マキコは、大学に行くんだよ』と言うのが口癖でした。

小学校の時から、新聞の漢字を書き出し、意味を辞書で調べる、 読んだ感想を作文に書く、算数のテストを作り、赤丸をつけて採点するという「お父ちゃんテスト」をしてくれていました。

島根県立大社高等学校1年の1月の金曜日仕事上の試験のための合宿先で、父が突然胃から大量の吐血をして倒れます。

直ぐに手術を受けましたが、術後に痛みどめの注射をしたあとに意識を失います。

危篤の連絡を受けて病院に向いますが、父と会話することはできませんでした。

3日間持ちこたえますが、月曜日に父は亡くなりました。

父37歳、マキコ高一(16歳)、弟中一(13歳)、妹小一(7歳)の出来事でした。

後年あるインタビューで、父の急死は”医療ミス”だったのではないかと答えています。

大黒柱の急逝で、江角家の経済はすぐに困窮します。

マキコも出雲退社の巫女などのアルバイトをして、家計を助けました。

マキコの夢は、大学を卒業して、体育教師になることでしたが、母一人が稼ぎ手の状況では大学進学はあきらめざるをえませんでした。

1985年に高校卒業後、身体能力の高さを活かして、大阪の実業団のバレーボールチーム”JTマーべラス”に入ります。

会社の寮に入り、月給は10万円、その中から7万は家族のために貯金をしていました。

午前中は大阪市にある本社で勤務、午後から茨木工場隣の体育館で深夜まで練習を積むという生活が続きました。

当時の実業団では、上下関係は絶対で規律も厳しく、江角は美人で目立ったことで、先輩やマネージャーから目をつけられ、辛く当たられました。

元々勝気な性格だったことと、ホントはこんなところにいるはずではなかったという思いから反発したことで、余計に厳しくされてしまいます。

ある日食堂のテーブルの拭き方が違うと、マネージャーから叱責され、何かがプツンとキレてしまい、スリッパのまま、財布を握りしめて実家に戻ってしまいます。

空港で飛行機を待つ間も、誰かが追ってくると思って、びくびくしながら隠れていたそうです。

実家では母親に家に入れてもらえず、直ぐに寮に帰れと言われます。

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高校時代の恩師のとりなしで、一晩だけ実家に泊まり、翌日には寮に帰りました。

会社からは謹慎を言い渡され、しばらく練習に参加することはできませんでした。

数ヵ月後に謹慎が明けて、練習に参加しますが、長いブランクのせいで、右肩を負傷して選手生命を断たれてしまいます。

1987年、2年足らずで、わずか3人の同期の仲間に見送られてJTの寮を去りました。

この2年の出来事は、忘れたい過去として、ずっと封印してきましたが、2012年の1月6日に放送された「ぴったんこカンカン」で本人の口から語られて、視聴者の涙を誘っています。

実業団を引退した後、170cmの身長と美貌を武器に、手っ取り早く大金を稼ぐことができる芸能界を目指し、モデルとして遅いデビューを果たします。

レースクイーンなど何でもやりながらモデルとしてのキャリアを積んでいきました。

モデル活動は順調で、数々の広告やCMにも出演を果しました。

経済的にも余裕ができたので、弟を東京に呼び寄せて、同居を始めています。

弟や妹の生活費や、学資もすべて江角が面倒をみていました。

1995年28歳で、宮本輝原作、是枝裕和監督の映画『幻の光』で女優デビュー、日本アカデミー賞など数々の新人賞を受賞するという華々しいスタートを切りました。

その後数々のテレビドラマに出演しますが、1998年フジテレビの連続ドラマ『ショムニ』が大ヒットして、一躍人気女優としてお茶の間に名前を知られることになりました。

江角独特の恋愛論が、若い女性からの支持を得て、バラエティ番組へも活動の場を拡げ、今では女優業よりもタレント業の方に主軸を移しています。

高齢出産で授かった2児の母であり、子育て優先の方針から、映画や連続ドラマよりも拘束時間が短いバラエティ番組を選んでいるのです。

父と同じく、37歳で胃がんで急逝してしまった弟の忘れ形見の3人の娘たちも、江角が経済的に支えていることもあり、仕事には貪欲に取り組んでいます。

経済的な事情で、大学進学を断念し、体育教師になる夢をあきらめた江角は、自分や弟の子供たちには、同じ思いをさせたくないと思っているのです。

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江角と最初に熱愛が噂されたのは、同じく新人俳優であった大沢たかおです。

当時同棲しているとの情報もありました。

1996年2月に、写真家の桐島ローランド(桐島洋子の長男で、桐島かれんの弟)と電撃結婚します。

会見で理由を聞かれて、”ひらめいたから”と答えて、”ひらめき婚”として話題になりました。

しかしわずか9ヶ月の結婚生活で離婚します。

離婚の理由は公表されていませんが、家族を一人で支えてきた江角と、三菱財閥の末裔で、桐島家の御曹司であったローランドとの生い立ちや、金銭感覚の違いが次第に深い溝となっていったようです。

ローランドの母桐島洋子は、金銭面でシビアであった江角のことが嫌いで、”お金が目的の結婚”とまで言っています。

当初からこの結婚には反対していて、江角について”何か隠している”とか、”裏がある人”とか、相当辛辣な発言をしています。

離婚に至るまでの過程はかなり泥沼状態で、当時ローランドは『もう一生結婚はしない』とまで語っています。

その次の相手は、歌舞伎役者尾上菊五郎、父親の尾上菊之介とも親しかったことで、結婚は秒読みと言われていました。

しかし、当時江角は35歳、危機五郎の後援者筋から、後継ぎが産めるのかなどの批判を浴びて破局しました。

2003年、ショムニの第1シーズンから演出を担当していたディレクター平野眞(共同テレビからフジテレビ)と再婚します。

この年には、社会保険庁(当時)の国民年金保険料の収納率アップを狙った広報のイメージキャラクターに起用されますが、2004年3月、本人の17年間の保険料未納が明らかとなってしまいます。

この時の謝罪会見で、江角が終始仏頂面で、不愉快そうに会見に臨んだことが話題になりました。

この騒動で、ライオンの「バファリンプラス」と「植物物語シャンプー」のCMを降板しています。

2005年38歳で長女を出産、2010年には第2子を出産しました。

育児に専念したいとして、それぞれの出産後の1年間は、産休・育休をしています。

長女は現在、芸能人御用達しの青山学院初等科に通っていますが、江角の”わが道を行く不器用な生き方”は健在で、娘の同級生のママ友たちとは上手くいっていないと言われています。

娘を有名私立学校へ入れたことを後悔しているような発言もしています。

2007年5月20日の朝日新聞の日曜の連載特集「家族」に、ある女優からの手紙として江角からの手紙が掲載されました。

裕福ではなかったが幸せだった子ども時代、父の急逝で体育教師になる夢をあきらめたこと、実業団代の思い出したくない経験、父と同じ病で弟が急逝したことなど、モデル・女優としての成功の裏の辛かった過去や、愛する家族への思いが綴られていて、多くの人の感動や涙を誘いました。

手紙の全文は、”今日も1日ありがとう”というブログの ”ある女優からの手紙”で読むことができます。

自分にも他人にも厳しい生き方をしていて、バラエティ番組での率直過ぎる発言がしばしば話題になっています。

江角の直言を支持するファンがいる一方、アンチも多く、タレントの野沢直子は、TOKYO MXの『5時に夢中』で、”ちょっとイラっとする芸能人”の一人として、江角を取り上げ、”価値観の押しつけ”であると批判しています。

江角がMCであるTBS『私の何がイケないの』で、若い女性のTATOOブームを一方的に批判したことが理由のようです。

同番組の2014年4月7日放送回に、ビッグダディこと林下清志が出演した際、Twitterで知り合った女性たちと飲み会に興じていることに、あからさまな不快感を示し、『(タレントを辞めて)整体院をされていた方がいいと思いますよ』と引退勧告までしています。

さらに4月15日、2人が共にレギュラーを務めるフジテレビ『バイキング』の生放送中で、林下が5度目の結婚報告をすると、『出会いはTwitterの怪しい飲み会じゃないですか?』と遺恨ネタをぶち込みました。

新妻の三由紀さんとのツーショットのVTRを見て、他の出演者たちが、『新婚には見えない(ほど自然に見える)』とフォローすると、『逆、逆、妙な距離感がありましたよ』と譲る気配はみじんもありません。

江角とビッグダディの遺恨が再発とネットでも話題になっています。

こうした江角の態度には、賛否がはっきり別れていて、最近では江角の過激発言を挑発するような演出まで見られるようになっています。

わが道を行くという元々の江角の性格と過去の辛い経験が、今の江角を作り上げています。

和田アキコ、美川憲一から。マツコデラックスや有吉弘行に連なる、毒舌タレントの系譜に、江角マキコが加わるのも時間の問題かもしれません。

2014年3月20日には、長年所属した研音を退社、個人事務所インクワイヤーを立ち上げています。

バラエティにシフトしていこうとする江角に、研音サイドも了承せざるをえなかったのかも知れません。

こらからも、自分が正しいと思う道を歩み続けようとする江角マキコには、どんな未来が待っているのでしょう。

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