西野亮廣のバカッタ―が止まらない、好感度の低さはある種の才能か

お笑いコンビキングコングのツッコミ西野亮廣(にしのあきひろ)のバカッタ―ぶりが止まりません。Twitterのフォロワ―をネットオークションで買ったこと公表、利用規約違反を指摘されて、謝罪する騒ぎになっています。自他共に認めるナルシストで、肥大した自己愛が、しばしば暴走することで、騒動を起こしているようです。

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肥大した自己イメージに翻弄される西野が切ない

お笑いコンビ”キングコング”のツッコミ担当西野亮廣、兵庫県川西市出身、1980年7月3日生まれの36歳です。

兵庫県立川西緑台高等学校卒業後、 NSC(吉本総合芸能学院)の22期生、当初別の相方と”グリングリン”というコンビを組んでいましたが、直ぐにコンビを解消、1999年NSC同期生の梶原雄太と”キングコング”を結成しました。

テンポの早い漫才で、直ぐに頭角を現し、NSC在学中の2000年にNHK上方漫才コンテスト最優秀賞を受賞しています。

2001年4月にはABCお笑い新人グランプリ副賞として。初の冠番組『百万馬力・キングコングと12人の怒れる師匠たち』をスタートさせています。

吉本芸人としてはビジュアルに恵まれ、吉本男前ランキングでは、殿堂入りしたチュートリアル徳井義実にはかなわなかったものの、2002年から2005年の3年連続で第2位を獲得しています。

そのため若い女性のファンが多く、芸能界でもモテ男として知られるようになりました。

漫才コンビの頂点であるM-1グランプリには、たびたび挑戦しますが、決勝3位が最高成績でした。

この結果を西野は受け入れることができず、M-1グランプリに対して、しばしば批判的な発言をしています。

この年に、東京ローカルながら、後にゴールデンタイムにまで出世する伝説のバラエティ番組『はねるのトびら』が始まっています。

はねるのトびらは、2012年9月まで11年6ケ月続き、キングコングを代表する番組となりました。

同じく2001年、島田紳助の肝いりで始まった若手芸人の音楽ユニット”WEST SIDE”に選抜されて、CDデビューも果たしました。

2004年から始まったNTVの音楽番組『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』では、青木さやかと共にMCを担当、音楽界にも交友を広げています。

このような順調過ぎるデビューは、元々”自分大好き”だった西野にとって、自己イメージを肥大させるには格好の環境でした。

しかしバラエティ番組のひな壇芸人としての出演はNG、メインゲストとしてのオファーしか受けないという傲慢なポリシーを立てたせいで、テレビ番組への露出は次第に減っていくことになります。

芸人にとって”おいしい”はずの、”いじり”の対象にされることも、極端に嫌っていました。

大御所タモリや、明石家さんまからいじられた時でも、露骨に嫌がる素振りを見せたりしていました。

そういったことが重なり、キングコングは、次第にお笑いのメインストリーム(主流)からは、外れていくことになります。

西野は自分が正当に評価されていないと感じるようになり、次第に心に、鬱屈した感情を持つようになってしまいました。

自身のブログやTwitterで、”今売れているもの、流行っているもの”に対して、しばしばネガティブな考えを表明して、ネットに話題を提供するようになります。

売れに売れている爆笑問題に、『全然面白くない』とラジオ番組でかみついたものの、テレビ番組で共演した際には、怯えて逃げ回っていました。

キングコングが人気絶頂の頃内村プロデュースに出演した際、大喜利企画であるにも関わらず、西野は一切参加せず、見かねたMCの内村が西野にふると、

自分より相方の方が面白い』『皆さんが面白いので見ていたい

などの上から目線の発言を繰り返して、番組の雰囲気を凍りつかせてしまいました。

収録後反省するどころか『あの人(内村)おかしない?俺はツッコミなのに、そういうのわかってへんのかな?』と内村への批判を重ね、共演のさまーずらを激怒させています。

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その後西野と内村、さまーずとの共演はNGとされています。

2013年2月4日、西野はTwitterで、「『芸人交換日記』なんて、ちっとも面白くないし、都合よく乗っかる芸人はもっと面白くないですね」とつぶやきます。

これに原作者の鈴木おさむが「ぼくの書いた物はいくら批判してもいいですが、『都合よくのっかる芸人って誰のことを言ってるんですかね?この言い方は正直悲しいです』と反応しました。

自分の発言の行き過ぎに気付いて、すぐに謝罪をしますが、時すでに遅く、ネットは西野へのバッシングの嵐となってしまいます。

『芸人交換日記』の映画版は、内村光良が監督することが決まっており、西野のこのツイ―トの裏には、「内村プロデュース」での西野へのバッシングに対する遺恨が原因ではないかといわれています。

鈴木の妻、森三中の大島美幸も激怒して、西野を絶対に許さないと、いろいろな場面で言い続けることになります。

2013年8月、FNS27時間テレビで西野と大島が騒動後初めて共演すると、最初西野はこれに反論、生放送中にもかかわらず一触即発の状態になりました。

しかし、大島は1歩も引かず、他の出演者も大島に加勢したことで形勢は一変、西野の発言を誘導したことが暴露された南海キャンディーズの山里亮太と共に、大島に謝罪するという結果になっています。

2013年11月14日テレビ朝日の人気番組『アメトーーク!』の好感度低い芸人に西野が出演しました。

「好感度低い芸人」6人の中で誰が一番好感度が低いかという200人アンケートを行っていた。その結果

1位 キングコング・西野亮廣
2位 品川庄司・品川祐
3位 ピース・綾部祐二
4位 スピードワゴン・井戸田潤
5位 ジャルジャル・福徳秀介
6位 陣内智則

となり見事西野は“キングオブ低好感度”に輝いています。

オンエアでは、1位に決定した瞬間、西野はかなり動揺したようでどうリアクションを取ったらいいかがわからない様子でした。

それでもこの結果で心が折れたと受け取られたままでいることのほうが、西野にとっては耐え難かったようで翌15日には次のようなコメントをTwitterで発表しています。

「『好感度低い芸人』の反響は凄まじく、放送一時間でフォロワーが7000人増えました。機会を作ってくたさった片山さん、加地さん、助けてくださった先輩方、鈴木おさむさん。 そして、番組を観てくださった皆様、どうもありがとうございました。」

まさに負け惜しみの極みです。

同番組の後半で、サプライズゲストとして、放送作家鈴木おさむが登場してファンを驚かせました。

西野は鈴木だとわかった瞬間、両手で顔を覆い、すぐに立ち上がって鈴木の前に行き土下座して謝罪します。

鈴木はこの謝罪を受け入れ、鈴木vs西野の遺恨は一応の和解を見ています。

ひな壇出演を拒否していたことも、この出演で解消、その後もアメトーークには出演をしています。

ひな壇解禁について、同期の芸人からツッコまれると、

『元々”出ない”と言ったわけではなく、”出れない”と言ったことが誤解されただけ。自分にはひな壇で番組を盛り上げるスキルがないので、ひな壇から逃げていた。』

と苦しい言い訳をしています。

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芸人としての将来に悩んでいた時に、何故か可愛がってもらっているタモリからのアドバイスで、絵本の制作に取りかかります。

オファーがあっての作品制作ではなかったので、5年という長い期間をかけて、にしのあきひろ名義の初の絵本作品『Dr.インクの星空キネマ』を、2009年1月に発表し好評を得ます。

実は高校時代に美術教師から美大への進学を勧められるほどの技量を持っていたのです。

2010年1月25日には2冊目の絵本『Zip&Candy -ロボットたちのクリスマス-』を出版、銀座では完成記念個展も開いています。

2012年11月には、3冊目となる『オルゴールワールド(原案:タモリ)』を上梓しています。

絵本制作に手ごたえを感じた西野は、アートの最先端が集まるニューヨーク進出を企てます。

NYでの個展開催を目指して、2013年1月25日から、国内最大の資金調達サイト「CAMPFIRE(キャンプファイヤ)」を通じて支援者(パトロン)を募り始めました。

1日目にして、目標の150万円に到達、締め切りの2月8日には、支援総額は494万円、パトロンは506人を越える結果となりました。

「今回が、人生に何度かあるチャンスの大切な一回であるのは確か。このチャンスをみすみす逃すわけにはいきません。とにかく全ての可能性を試します」

と意気込み。集まった資金については「1円たりとも無駄にはいたしません」と語っています。

そして企画終了後には支援額の使い道を1円単位で必ずご報告することをお約束します」とのコメントを発表しました、

その資金を活用して、2013年2月、ニューヨークのトライベッカ地区のギャラリー「One Art Space」で、初の海外絵本絵画展「Akihiro Nishino Solo Art Exhibition」を開催しています。

この個展では、作品の販売も行い、西野の著書『グッド・コマーシャル』の表紙のオリジナル原画が200万円で、同じく『嫌われ西野、 ニューヨークへ行く!』の表紙オリジナル原画が120万円で売却されています。

西野は、個展開催を支持してくれたパトロンに感謝を表明、原画の売却代金はすべて今後の創作活動に充てるとコメントしました。

11月には「TDW(東京デザイナーズウィーク)ART FAIR 2013」に参加、「小川登美夫賞」「川崎健二賞」を受賞しています。

絵本作家としてのポテンシャルは、芸人としてのそれより遥かに高いのかも知れません。

芸人の中では男前で、若い女性ファンも多かった西野は、アイドルなどとの交際も、自慢げに吹聴していました。

2005年から2008年くらいまで、モデルで女優の臼田あさ美と交際していたことを、『ヒルナンデス!』に出演した際に、自ら告白しています。

何らかの理由で西野が臼田を怒らせてしまったことが、破局の原因のようです。

その後音楽番組で知り合った歌手の植村花菜と同郷(兵庫県川西市)だったことがきっかけで、交際に発展、当時すでに30歳だった植村は西野との結婚を望みますが、西野が踏み切れず、2012年4月に破局しています。

2013年8月のFNS27時間テレビに出演した際、現在付き合っている長身でモデル風の彼女がサプライズ出演、カーテン越しながら、キスシーンを披露しています。

現在も、西野は数々のビッグマウスやネット住民を煽る発言を繰り返して、確信犯としてネットを炎上させる”炎上芸人”であることを辞めてはいません。

最近では、2014年4月17日、かねてから興味があると語っていた、ヤフーオークションに出品されている、『Twitterのフォロワ―数を増加させるサービス』を1950円で、実際に落札して購入、その一部始終をTwitterで公開しました。

これにネット住民が反発、何度目かの炎上状態になりました。

翌18日には、西野のTwitterでは3万人の外国人フォロワ―が増え、フォロワ―数は、7万から10万人に増加しています。

しかしTwitterの運営サイドから、フォロワ―の買収は利用規約違反に当たるとの指摘を受け、すぐに関連ツイ―トを削除、

誠に申し訳ありませんでした」「これ以上好感度が下がるのは嫌」「もう二度とフォロワーは買いません。 本当に申し訳ありませんでした」

と謝罪コメントを発表しています。

2016年6月西野は芸人引退を宣言し、肩書を「絵本作家」にしてしまいます。

炎上芸人西野亮廣のバカッタ―は、まだまだ続きそうな予感が漂っています。

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