松井珠理奈孤独なアイドル戦士 どんなに傷ついても戦いはやめない

11歳でSKE48オープニングメンバーオーディションに合格、秋元康に”スターの原石”、”10年に一人の逸材”と言わしめた松井珠理奈。SKE48デビュー前にAKB48のセンターに抜擢されました。乱暴とも言えるこの戦略は、11歳の少女にとっては過酷過ぎる運命の始まりでした。それ以来松井珠理奈はずっと何かと戦ってきました。松井珠理奈の歴史は戦いの歴史なのです。

スポンサードリンク

 バッシングと戦い続けた小学生アイドル

SKE48の絶対エース松井珠理奈、愛知県出身、1997年3月8日生まれの19歳です。

一人っ子で兄弟はいません。

幼い頃に両親は離婚していて、母ユミ子さんは2歳の珠理奈を保育園に預けて働きに出ています。

父親の所在はわかっていて、会って楽しそうに話をしている様子が父の日のブログにアップされています。

SKE48加入した初期の頃、母が撮影した動画を見ると、決して裕福とは言えない家の様子が見て取れます。

クリスマスの4日前に母がもらってきたケーキをたべたとか、寒い時も暖房はつけず、厚着をして寒さをしのいでいたなどのことがブログにアップされたこともあります。

珠理奈と母が2つの布団をぴったりとくっつけて寝ている様子や、小さなブラウン管テレビや、狭い台所などが映っていました。

そんな環境でも珠理奈は明るく元気で、人見知りしない子でした。

母親思いで、小さい時から家事を手伝い、”お仕事がんばってね”と母に手紙を書く優しい子供でした。

母も珠理奈を可愛がり、ダンスや英語、スイミングなどを習わせてくれました。

保育園では目立ちたがりの女の子で、将来は歌手になりたいと言っていたようです。

小学校3年からヒップホップダンスを習い始め、ダンスも好きになったことで、歌えて踊れるアイドルになりたいと思うようになりました。

2008年7月に行われたSKE48オープニングメンバーオーディションに小学校6年生の11歳で参加します。

地元で活動する予定のグループで、オーディションも名古屋で開かれたので母親が応募することを許してくれました。

最終オーディションに参加した秋元康は、珠理奈のパフォーマンスを見て興奮し、

スターの原石を見つけた

10年に一人の逸材だ

と東京のスタッフに電話しています。

最年少での合格となった珠理奈は、SKE48としてのデビューをする前にAKB48の10thシングル曲”大声ダイヤモンド”のセンターとして東京に送られ、AKB48選抜メンバーの中に放り込まれてしまいます。

AKB48の当時のセンター前田敦子(当時17歳)や、フロント常連メンバーだった大島優子(当時19歳)らは、突然やってきた部外者松井珠理奈にどう接していいかわからず動揺し、混乱してしまいます。

この時”珠理奈が来てくれてうれしいよ”と優しく声をかけてくれた篠田麻里子の言葉を今でも鮮明に覚えています。

それからは篠田を姉のように慕っていて、今でも親交は続いています。

篠田も1期生から半年遅れてAKB48に参加したので、同期生がおらず、さびしい思いや不安な思いをしてきたので、珠理奈のことが心配だったようです。

右も左もわからない珠理奈は、とりあえず元気に挨拶することを心掛けて、会う人すべてに大きな声で声で挨拶をしました。

11歳の可愛い女の子に元気よく挨拶されたスタッフはみんな笑顔になり、珠理奈のファンになってくれたのです。

AKB48でのレッスンをやりながら名古屋と東京を往復することは11歳の子供にとって並大抵のことではありません。

それでも手を抜くことなど知らない珠理奈は全力でレッスンに励みました。

最初AKB48の先輩たちには子供っぽいやんちゃぶりを発揮していましたが、ある時から突然礼儀正しくなりました。

前田敦子が、”誰かになんか言われたの?”と聞くと、首を横に振り”先輩たちの凄さがわかったから、ちゃんとしなくちゃと思ったの”と答えて前田を感心させています。

こうしてAKB48のお姉さんたちにも受け入れられて活動に専念することができました。

スポンサードリンク

しかし、10thシングル”大声ダイヤモンド”のセンターがまだデビュー前のSKE48のメンバーで、しかも11歳の子供だと知ったAKB48ヲタの一部が騒ぎ始めます。

珠理奈のアンチが生まれた瞬間でした。

彼らは、握手会で集団でわざわざ珠理奈のレーンに並び、笑顔で差し出す珠理奈の手を振り払うという暴挙に出たのです。

しかもそれをループで繰り返すのでした。

11歳の少女にはなぜ自分がこんな目に合うのか理解できません。

余りの仕打ちに耐えきれなくなった珠理奈が泣いてしまい、握手会が中断する事態も起こってしまったのです。

それでも10月22日にリリースされた珠理奈センターの”大声ダイヤモンド”は、オリコン初登場第3位と過去最高を記録、累計売り上げも大きく増え、秋元の戦略はまんまと成功しました。

このことはかえってアンチを刺激してしまい、これ以降珠理奈はアンチのひどいバッシングにさらされ続けることになるのです。

名古屋と東京への往復が続く過酷な日程の中で、SKE48の劇場デビューは10月5日に迫り、SKE48でのレッスンに十分な時間をとれない珠理奈は焦りと苛立ちを感じていました。

自分が納得できるパフォーマンスができない状態でステージに上がる自分を許せなかったからでした。

それでもSKE48のセンターとしての役割を果たさなくてはならない珠理奈は必死でステージに立ちました。

▼SKE48デビュー公演の時の珠理奈

周囲の大きな期待を背負ってしまった珠理奈の状況はこれ以降変わることはありませんでした。

珠理奈の人気は順調に上がっていきますが、アンチの数も増えていきます。

過酷なスケジュールから何度も体調を崩し、そのたびにアンチからバッシングを受けるという繰り返しでした。

スタッフが珠理奈に休養を勧めても、手を抜くことは悪いことだと思い込んでいる珠理奈の耳には届きません。

珠理奈の状況をみれば休養が必要なことは明らかで、確かに珠理奈自身は休むことを望んではいませんでしたが、運営がそれを言い訳にして何の手も打たなかった責任は重いでしょう。

同期で入った松井玲奈は、珠理奈のこんな状況をまったく知らず、SKE48のデビュー公演のレッスンに励んでいました。

2009年(12歳)選抜総選挙で珠理奈19位、松井玲奈29位。

珠理奈は19位という結果を聞いて泣き崩れています。

大声ダイヤモンドAKB48のセンターを張り、SKE48のエースとしてグループを引っ張ってきた珠理奈の小さなプライドはズタズタに引き裂かれてしまいました。

秋元総合Pやスタッフの期待の大きさに比べて、現実のファンの人気がまだ追いついてはいなかったのです。

2010年(13歳)選抜総選挙、珠理奈10位、玲奈11位。

前年の19位から大きくランクアップしましたが、この結果がさらに新たなアンチを生んでしまったのです。

急速に力を付け、人気の面でも珠理奈に追いつきつつあった松井玲奈は、速報時点で8位にランクアップ、一方珠理奈は18位と大きく出遅れていました。

しかし中間発表では、玲奈10位、珠理奈15位と差が縮まり、最終結果では逆転してしまったのです。

このことで、玲奈ファンが珠理奈のアンチに加わってしまいました。

2010年(13歳)秋、3年以上も続く過酷なスケジュールは確実に珠理奈の健康をむしばんでいました。

テレビの収録で失敗したり、公演でダンスを間違えたり。スタッフに意見をうまく伝えたいのに、それをうまく言葉にできなかったり、そういうことが重なり精神的にも限界に来ていたのです。

この時は母の励ましで立ち直ったものの、度々の体調不良、そのたびに起こるアンチからのバッシング、中学生の珠理奈には受け止めきれないプレッシャーが押し寄せてきていました。

2011年(14歳)選抜総選挙玲奈10位、珠理奈14位となり初めてSKE48トップの座を明け渡しています。

ステージ上での挨拶では涙を見せなかった珠理奈でしたが、バックステージにに戻って、メンバーに抱きしめられたとたんに大粒の涙を流して泣き崩れる様子が、ドキュメンタリーオブSKE48の重要なシーンとして残されれています。

当時握手会での玲奈の人気ぶりは凄いもので、運営にとってこの結果は予想されたものでした。

SKE48のエースとして全力でパフォーマンスをして、常に先頭に立ち続けてきた珠理奈。

それなのになんで自分はバッシングに合わなければならないのか、中学生とは思えない強い精神力でそれらを乗り切ってきた珠理奈でしたが、この時は心が折れてしまいそうでした。

スポンサードリンク

逆境で珠理奈を奮い立たせるモチベーションは、母との暮らしにありました。

1ルームの狭い部屋で、肩を寄せ合って生きてきた母と娘には、なに不自由なく暮らしてきた普通の親子とは比べものにならない強い絆があったのです。

ほかの家庭の子供と同じように珠理奈を育てるために、なりふり構わず身を粉にして働き続けた母に楽をさせたい、二人で大きな家に住みたい、こんな夢を実現させることが、珠理奈のモチベーションになっていました。

だからどんなに辛くても泣き言を言わずに我慢することができたのです。

2011年(14歳)8月熱中症からの胃腸炎を発症し休養を余儀なくされました。

2012年(15歳)3月AKB48チームKとの兼任が発表されます。

これまでの過酷さを知っているメンバーたちは泣いて抗議しますが、運営サイドは期間限定であるとか、健康面は今まで以上に配慮するとかの綺麗ごとを並べ強行してしまいました。

この時のメンバーやファンからの反発は運営サイドの予想以上に強く、秋元総合Pは

もしこの兼任が失敗したらAKBグループのプロデューサーを辞任する

とまでコメントして、事態の鎮静化を図っています。

▼珠理奈11歳から15歳にかけての苦労の様子を同期の大矢真那(7歳年上)が愛情目線で見つめている感動的な動画です。(BGMは”遠くにいても”名曲です)

2012年(15歳)選抜総選挙、珠理奈9位、玲奈10位と再び二人の順位は逆転します。

珠理奈の忙しさはさらにひどくなり、2012年3月の握手会欠席、4月の個別握手会も欠席してしまいます。

大きな音や話し声を聞くと体調が悪くなる聴覚過敏と診断され、強いストレスや疲労が原因であることから1か月の安静が必要となり、入院することになりました。

しかし医師の反対を押し切ってわずか8日で退院してしまい、その2日後には日本碍子ホールでのコンサートに復帰しています。

このころにはSKE48の看板というだけでなく、内部でも積極的にリーダーシップをとるようになり、特にダンスについては後輩たちに熱の入った指導をするようになっていました。

5年のキャリアが珠理奈の自信となって、名実ともにグループをけん引する存在になっていったのです。

これまでの珠理奈は、まさに命を削ってSKE489やAKB48に尽くしてきており、だれもそれを否定することはできません。

2013年(16歳)選抜総選挙、珠理奈6位、玲奈7位

2014年(17歳)選抜総選挙、珠理奈4位、玲奈5位

と順位が上がっていきます。

2015年5月、珠理奈は母ユミ子さん(46歳)と求人情報サイト”バイトル”のCMで共演を果たします。

出演を渋る母ユミ子さんを珠理奈が説得して実現したものです。

小さい頃かずっと仲良しで、今では友達ような母娘ですが、二人にとって記念すべき出来事になったことは間違いありません。

2015年(18歳)6月選抜総選挙、珠理奈5位、(玲奈は辞退)

高橋みなみ最後の総選挙の4位に押し下げられる形で順位を下げてしまいました。

この年の8月松井玲奈は女優を目指すとしてSKE48を卒業しています。

SKE48のツートップの一人が抜けたことで、珠理奈への負担はさらに高くなり、珠理奈が兼任の解除を訴えるきっかけになっています。

9月10日、ファースト写真集『Jurina』がリリースされ、19歳の等身大の珠理奈の魅力満載の内容で話題となりました。

2015年10月、何度も秋元Pに直訴していたAKB48との兼任がやっと解除されました。

2016年6月1日(19歳)選抜総選挙、速報時点では第3位と、過去最高順位を獲得しています。

このまま最終結果まで3位を維持できるか興味の持たれるところです。

関連記事:AKB48 45thシングル 選抜総選挙速報分析 1位はまゆゆか指原か

まだ卒業を考える時期ではないと思っていますが、将来は女優の道に進みたいと考えるようになりました。

ミュージカル女優を目指すところまでは考えていませんが、歌とダンスは自分の武器だとは思っています。

目標とする女優は黒木メイサだとインタビューでは答えています。

2016年7月からTBS系の連続ドラマ「死幣」に主演することが発表されました。

秋元康得意のホラーサスペンスで、珠理奈は予知能力を持つ女子大生を演じます。

この作品が成功すれば将来の女優への道が大きく開くことになります。

この作品に賭ける珠理奈の意気込は相当なものがあるはずです。

珠理奈の演技に注目が集まっています。

スキャンダルには無縁と思われていた珠理奈ですが、2014年12月未成年飲酒疑惑と題した記事が週刊文春に掲載されてしまいます。

FNS歌謡祭の生出演終了後に、若いマネージャー(男性)と一緒に六本木のダイニングバーに入り、バーテンとの会話の中で、

辛いことがあったら(家で)一人で飲んでる

と飲酒の常習者であることをほのめかす発言をしたと伝えたのです。

実はそれまでも東京での珠理奈のVIP待遇は17歳(当時)にふさわしくないものだとの噂があったのです。

東京では分譲価格は億を超えるといわれているコンシェルジュ付きのデザイナーズマンションをあてがわれ、仕事や食事の送迎には専用車が使われているとの情報があったのです。

この日も専用車で店に乗り付け、2時間後には同じ車でマンションまで送られています。

深夜に一人2万円はするステーキハウスで食事をする様子が目撃されたり、バラエティ番組に出演した際には13万円もするハイブランドの靴を紹介したりしていました。

ファンや一般人には理解しがたいことですが、珠理奈のパフォーマンスで数億から数十億のビジネスを展開している運営にとって、珠理奈は金の卵を産み続けるニワトリなのです。

珠理奈を気持ちよく働かせるために給料を含め何百万かかったとしても、それは十分に利益を上げられるビジネスなのです。

珠理奈もそんなことは十分理解しているので、高いギャラを受け取ったり、VIP待遇を受けていることには罪悪感は持っていません。

経済的に困窮していた過去を持つ珠理奈にとっては、収入は仕事の最も大きなモチベーションであり、たくさんのお金を稼いで母親に楽をさせたいと願っているのです。

ですからVIP待遇にも、高いギャラにも罪悪感を抱くようなことはありません。

命を削るようにしてアンチと戦い続け、SKE48を引っ張ってきた珠理奈にとっては当然の報酬なのです。

19歳の女の子にとって、それが本当に幸せなことかどうかはわかりません。

ある人はきっと不幸な人生だと言うでしょう。

でも珠理奈は11歳の時から戦い続ける人生を大人たちに強いられてきたのです。

心が強くなければとっくにつぶされていたでしょう。

大人たちに翻弄されてきた人生ですが、19歳の今自分の人生に悔いはありません。

自分の幸せは、自分の手でつかみ取ると決めています。

たった一人の家族である母を守り、たった一つの帰る場所であるSKE48も守って見せる覚悟も持っています。

戦い続けるアイドル戦士松井珠理奈の視線の先にはいったい何が見えているのでしょう。

関連記事:指原莉乃人気の秘密はヘタレキャラと開き直り 自虐ネタは鉄板
渡辺麻友卒業決断の理由は?女優としての成功イメージが描けない
大島優子個人事務所設立発覚 指原莉乃も アイドルの節税対策


コメントをどうぞ

メールアドレス (必須・公開されません)
コメント本文

  • 投稿いただいたコメントは、管理者のチェック後掲載しておりますので、即時には反映されません。