忽那汐里 出産疑惑の真相とブレークできない理由を検証してみた

女優忽那汐里は武井咲、剛力彩芽らとオスカー3人娘として華々しくデビュー、武井が王道の美人女優として成功、剛力もドラマやMC、歌手としてマルチに活躍する中で、忽那は一歩も二歩も遅れをとっています。剛力よりはるかにビジュアルには恵まれているのはずなのにブレークしないのは何故なのか。そしてネットを騒がせている出産疑惑の真相にも迫ります。

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オーストラリア人でもなく日本人でもない自分に激しい喪失感を感じて苦しんだ少女時代

女優忽那汐里(本名同じ)、オーストラリアシドニーに在住する日本人の父忽那裕と母との間に1992年12月22日に生まれました。

8歳年下の弟がいます。

父は株式会社エスティーエスの関連海外法人STS ENTERPRISE OCEANIA PTY., LTD(旅行関係)に勤務するサラリーマンです。

母は学生時代にオーストラリアのシドニーにホームステイしたことでその魅力にはまり、いったん帰国したのち再びシドニーにわたり、そこで就職し、忽那裕さんと知り合って結婚しました。

母のホームステイ先のホストファミリーのご夫婦とはずっと親交があり、汐里が生まれると本当の孫のように可愛がってくれました。

汐里が小さかった頃母は日本人夫婦が経営するパン屋さんでパートタイマーをして家計を助けていました。

そのご夫婦には汐里よりいくつか年上の男の子がいて母が仕事をしている間、近くの公園で一緒に遊んでくれていました。

当時はシドニーに在住する日本人はそれほど多くなく、有色人種である日本人に対する差別意識もあったので日本人たちは助け合いながら暮らしていたのです。

シドニーには日本人学校があったものの学費が高額だったので汐里は公立の学校に入りました。

家では日本語を話していましたが、自分はオーストラリアの国籍を持つ(もちろん日本国籍も持っています)オーストラリア人だと思っていました。

お弁当として母がおにぎりを作って持たせてくれましたが、海苔やひじきなどの日本の食材になじみがないことからそれをネタに、同級生からいじめに近い扱いを受けて苦しみます。

オーストラリアで生まれていながらオーストラリア人としては認めてもらえず、自分のアイデンティティはここにはないんだと思い知らされてしまいます。

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知人の勧めで2006年”第11回・全日本国民的美少女コンテスト”に応募したことで汐里の人生は大きく変わっていきました。

学校の冬休み(日本の夏休みにあたる長期休暇)を利用して、両親が生まれ育った国”日本”に行けることになりました。

”日本”に行けることがうれしくてコンテストに参加しただけだったのに、図らずも3次審査まで突破してしてしまいます。

最終審査の時の東京のホテルでは武井咲とずっと一緒でした。

そして13歳の汐里は審査員特別賞を受賞することになるのです。

この年のグランプリは林丹丹(2014年引退)モデル部門賞とマルチメディア賞には武井咲、審査員特別賞は忽那汐里と田中莉香子の二人が受賞しています。

▼左から2人目のタスキをかけていない少女が汐里です

2007年父をシドニーに残し、母と弟と日本に帰国(来日?)、3人で暮らしながら芸能活動を始めました。

武井咲は恵まれたビジュアルを生かしてモデルとして活動を開始したのに対し、2007年汐里はいきなり女優として”3年B組金八先生”の収録現場に放り込まれてしまいました。

シドニー時代は自分の日本語は完璧だと思っていたのに、収録現場ではイントネーションをすべて直されてしまいます。

収録中での短期間ではとても修正できないと判断されて、汐里の役は急きょ”帰国子女”という設定に変えられることになりました。

教師役の武田鉄矢は汐里を不憫に思い、親身になって汐里に漢字や日本語を教えましたが、汐里の心の傷は深く、簡単に癒えることはありませんでした。

この時の体験はただただ辛かった思い出として汐里の記憶の中で封印されており、その後のインタビューなどでも語られることはほとんどありません。

汐里は女優としてのスタートでいきなり挫折を味わってしまったのです。

そしてこの経験は汐里の日本人としてのアイデンティティを揺るがすことになるのです。

オーストラリアでは日本人として差別を受け、母国だと思っていた日本では母国語も上手く話せない帰国子女として扱われ、汐里は自分の居場所を見失ってしまいました。

そしてこのことはずっと汐里を苦しめることになります。

そんな汐里の気持ちはお構いなしに、所属事務所オスカープロモーションゴリ押しとの批判をものともせず、忽那汐里、武井咲、剛力彩芽の3人をオスカー3人娘と称して全社を挙げて強力なプロモーションを展開します。

▼オスカー3人娘 左から武井咲、剛力彩芽、忽那汐里

関連記事:剛力彩芽はホントに可愛くないのか?CM女王にして、低視聴率女王

汐里もその強力プロモーションのおかげで、2008年ユニチカマスコットガールとグリコのポッキープリンセスに抜擢され、そのCMは毎日メディアに流れることになりました。

数々の若手女優を送出したグリコのポッキーのCMで、”いきものがかり”のヒット曲ジョイフルが流れるという願ってもない条件で作られたCMは大ヒットし、忽那汐里の名前も若いファンの間に一気に浸透しました。

▼忽那汐里 ポッキー CM「エビバデポッキー」篇

その後芸能活動と両立できる堀越高校に進み、2011年には日本大学芸術学部写真学科に入学を果たしましたが2013年に芸能活動との両立が困難であるとの理由で中退しています。

2011年松嶋菜々子主演の連続ドラマ家政婦のミタが大ヒット、最終回の視聴率は40%をこえるなど社会現象にまでなりました。

そのドラマに阿須田家の長女結(ゆい)役で参加した汐里は一躍全国に名前を知られる女優になったのです。

中途参加ながらNHKの大河ドラマ江~姫たちの戦国~の千姫役にも抜擢されました。

2012年に映画『少女たちの羅針盤』『マイ・バック・ページ』で第85回キネマ旬報ベスト・テン新人女優賞と第66回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞を受賞。

2013年には映画『許されざる者』『つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語』で第37回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しました。

それでも武井咲や剛力彩芽がテレビドラマの主役に起用され続け、順調にキャリアを積んでいくのに対して、忽那汐里の人気は一向にブレークの兆しを見せません。

汐里が連続テレビドラマの主演女優として起用されることはなく、CM契約も2012年をピークに契約社数は激減してしまいました。

たまにバラエティ番組に出演しても気だるさを全開、その態度の悪さもネットでバッシングの対象になっています。

”マツケン・今ちゃん・オセロのGO!GO!サタ”に出演した際にも日本のバレンタインの習慣を批判したり、日本の学校は軍隊みたいと発言し視聴者の反発を買っています。

2012年納豆の普及やイメージアップに貢献した著名人に贈られる”納豆クイーン”に任命され、その表彰式で納豆が好きであるとはいったものの、

なぜ自分が選ばれたのかわかりません

こんな賞があるなんて知らなかったんですが、不思議で面白い賞だなと思います

などと語り関係者やスタッフを凍りつかせています。

納豆クイーンは確かにマイナーで知名度も低いイベントですが、過去にオスカー所属の菊川怜や上戸彩も受賞していてオスカーとは浅からぬ関係があるイベントなのです。

空気を読まない汐里はそんなことは”我関せず”とばかりに率直過ぎる感想を述べてしまいました。

大学の中退についても実は裏話があります。

2013年2月忽那汐里と松田優作の次男松田翔太の手つなぎデートの様子がフライデーされてしまったのです。

埼玉県の所沢航空記念公園での2人のデートで2人が手を繋いで歩く姿や、別の日のに港区内でのデートの後タクシーに乗り込む忽那の頭を松田が撫でている写真などが掲載されてしまいました。

当時汐里は20歳、25歳までは恋愛禁止を言い渡し、誓約書まで書かせていた事務所は大激怒します。

さらに写真を撮られた場所が所沢航空記念公園であったことが火に油を注ぐことになります。

当時汐里は日本大学芸術学部写真学科に在学中の学生、仕事をセーブしてまで通わせていた大学のキャンパスの近くで、あろうことか人気男優とデートをしていたことなど許されるはずもありません。

事務所は契約の解除まで示唆して汐里の反省を促します。

松田翔太は事態の深刻さを知って驚愕し、単身オスカープロモーションに赴いて謝罪をしました。

翔太の心からの謝罪と、2度と汐里とは会わないという決意に、オスカー側も態度を軟化し、汐里には大学中退のペナルティを課すことで事態を収束させたのです。

関連記事:松田翔太、松田優作の遺伝子を継ぐのは兄龍平かそれとも弟翔太か

学業と芸能活動の両立が難しいのではなく、学業に専念せず恋愛にうつつをぬかしていたことを事務所からとがめられたというのが大学中退の真相です。

汐里が翔太と付き合った理由は翔太が汐里の孤独を理解してくれたからだと思われます。

生まれた場所のオーストラリアにも居場所がなく、母国だと思っていたに日本でも自分は異分子なんだと思い知らされた汐里の孤独は想像するにあまりあります。

そんな汐里の孤独を理解した翔太は、今までのプレーボーイから一転して、汐里には優しく、ガラス細工のように大切に扱っていたのです。

だから事務所と汐里がトラブルになっていると知って、単身事務所に赴き、頭を下げたのでしょう。

このころには母も弟もオーストラリアに戻ってしまっていて、汐里の孤独を理解してくれる人はもう誰もいません。

自宅で毎日酒を飲んで寝るのが唯一の憂さ晴らしになって行きました。

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その後はおとなしく仕事に励んでいると思われていた汐里に今度は出産疑惑が持ち上がります。

2013年12月放送のフジテレビ”ノンストップ!SP”女優Kは極秘出産していた。20代でCMやドラマで活躍中”の放送内容が忽那汐里にぴったりと当てはまっていたことが発端でした。

大学中退後の数か月間メディアに露出しなかったことも噂に真実味を与えてしまいました。

年が明けた2014年の2月に日刊サイゾーが後追い記事を掲載します。

それを漏らしたのは当事者の一方である業界ではプレイボーイとして名を知られている男性で、テレビディレクターや広告代理店の営業マンなどの遊び仲間が集まった忘年会の席上で、当事者とされるその男性に今までに付き合ったタレントの名前を聞いたところ

昔の話はやめよう。今は遊んでないし、嫁がいるから

芸能人だから籍は入れてないし、めったに会えない。でも、子どももいる

と語ったというのです。

その芸能人は誰なのかとの追及に、その男性は

○○○に所属する女優であること(○○○が忽那の所属事務所名)

22歳の誕生日を迎えたばかり (忽那は1992年12月22日生まれで当時22歳になったばかり)

CM出演したスナック菓子の商品名を明かした(忽那はグリコのポッキーのCMに出演している)

と語ったそうで、この噂の信ぴょう性を高める記事になっていたのです。

これが事実とすれば芸能界を揺るがす大スキャンダルであり、忽那の女優生命を左右する事件と言えます。

清純派女優としてのイメージは地に堕ち、致命的なダメージをこうむることになります。

ところが忽那の事務所はこのことには一切触れようとしないのです。

噂のディテールは忽那にぴったりと当てはまっていて、もしこれが根も葉もないデマだとすれば、ピンポイントに忽那を狙った極めて悪質な犯罪といってもよいくらいなでっち上げ事件です。

事実無根であるならば事務所は名誉棄損で訴えるべきでしょう。

にもかかわらず、忽那サイドになんのアクションもないことが、さらに噂に信ぴょう性を与えてしまっています。

ネットでは汐里の出演作品の制作期間などが詳細に調べ挙げられて、この時期に忽那が妊娠・出産をすることが可能であるのかが検証されています。

作品の公開時期や放送時期と制作時期にはズレが生じるため、ネット民が必死に調査しても事実を明らかにすることはできませんでした。

したがって残念ながら真相はいまだ闇の中です。

2016年6月放送のフジテレビ”僕らの時代”に忽那汐里、剛力彩芽、武井咲のオスカー3人娘が久しぶりに顔をそろえました。

それぞれ近況を語る中で、忽那は”エゴサーチ”(ネットで自分の名前を検索すること)すると出産と出てくると語り、”生んでないわ!!”と声を荒げました。

忽那や事務所がメディアで出産疑惑について触れたのは後にも先にもこれ一度きりです。

思い込みが強く、他人との関係をうまく築けなかった汐里ですが、最近少し大人になってきました。

アイデンティティの喪失から傷ついてばかりいて、相手を傷つけていたことに気が付かなかった少女は少しだけ成長したのです。

自分に距離を置いて客観的にみることもできるようになってきました。

最近の気晴らしは旅行です。

2~3日の休みができれば、すぐに旅に出かけ、美術館巡りをしたりしています。

率直過ぎる性格からスタッフに嫌われ、共演者とも打ち解けられなかった汐里は少しづつですが変わっています。

女優としてのスキルはまだ未熟で、演技派などと呼ばれることには抵抗があります。

それでも女優として違う人生を演じる楽しさに目覚めつつあります。

女優としてキャリアも10年目に入り、生き残りをかけた競争に勝ち抜いていかなければ未来はありません。

女優忽那汐里は今まさに真価を問われています。

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