SMAP2016年末解散 木村とは無理だが全員ジャニーズ事務所に残留

SMAPが2016年末をもって解散することがジャニーズ事務所から発表されました。藤島ジュリー景子副社長とSMAPの育ての親と言われる飯島三智チーフマネージャーの対立から始まったSMAPの解散騒動がついに現実のものになったのです。飯島氏の退社に行動を共にするはずだったSMAP、木村拓哉の造反で飯島氏とSMAPの関係は分断されてしまいました。メンバーは事務所残留を決めたもの木村と他の4人との間に埋めがたい溝が生まれています。

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SMAPデビューしても売れなかった下積み時代

SMAPが結成されたのは1988年4月、まさに光GENJIの黄金期でした。

デビュー当時のメンバーは6人、中居正弘15歳、木村拓哉15歳、稲垣吾郎14歳、森且行14歳、草彅剛13歳、香取慎吾は11歳でまだ小学生でした。

ジャニー喜多川社長はスカウトの目は確かだが、その後のプロモーションは現場に丸投げすることが多かったのです。

突然小学生までいる6人を預けられた現場は困惑します。

メリー喜多川氏(ジャニー氏の姉)はこんな子たちが売れるわけないと判断し、当時事務所の女事務員で、タレントマネージメント経験が全くない飯島美智氏をこの6人の担当にしたのです。

 ジャニー氏によってSMAPと命名された6人は2年のJr時代を経験して1991年9月にメジャーデビューしました。

光GENJIの異常とも思える熱狂が去って、アイドル氷河期が始まったころでした。

民放全部に曜日別に放送されていた歌番組は視聴率低迷を理由に次々に打ち切られ、SMAPにはテレビで歌うチャンスさえ与えられませんでした。

デビューシングル”Can’t Stop!! -LOVING-”は15万枚を売るのがやっとというありさま。

それでも事務所の力で1991年1月1日に日本武道館でコンサートを開催、その年の紅白歌合戦にも出場しています。

その後リリースするCDも11作連続で最高2位止まり、SMAPには不遇の時代が続きます。

3作目がリリースされた時に全員事務所に呼び出され、「お前らはなぜ売れないんだ」と叱られ、特にリーダーの中居はひどく怒られています。

光GENJIのコンサートにゲスト出演した際のMCが全く受けず、ジャニー社長から「You Die(お前らは終わりだ)」と言われたこともあります。

悩む飯島氏にジャニー社長は、”SMAPはジャニーズのドリフを目指せ”と指示します。

当時ジャニーズのアイドルがバラエティ番組に出て、お笑い芸人のように被り物をしたり、コントをしたりすることはまったくありませんでした。

ジャニー氏のアドバイスを受けて、飯島氏は当時若者から絶大な支持を受けていた深夜のコント番組に活路を見出します。

1992年4月、フジテレビの伝説のコント番組『夢で逢えたら』の後番組として開始された『夢がMORI MORI』へのレギュラー出演を勝ち取ります。

歌って踊れて、コントもできる親しみやすいアイドルとしてしだいにSMAPの人気は高くなっていきます。

1994年「Hey Hey おおきに毎度あり」で初のオリコン1位を獲得、1995年には『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』の番組パーソナリティーに起用されSMAPの名前は全国に知られるところになりました。

1996年4月からはSMAP×SMAPの放送が始まりました。

この年ぼ5月メンバーの森且行が子供のころからの夢オートレーサーになりたいとSMAPを脱退します。

芸能界を引退するということで事務所は森の脱退を認めますが、森脱退の話題は触れてはいけないタブーとなり、長い間メンバーが森のことに触れることはありませんでした。

1998年「夜空ノムコウ」が初めてミリオンヒットを記録、さらに2000年「らいおんハート」が2度目のミリオンヒットを記録しました。

2003年「世界に一つだけの花」がダブルミリオンを記録し、SMAPは名実ともに国民的グループとなっていったのです。

その間メンバーそれぞれのソロ活動も充実し、中居は俳優として評価されるだけでなく、仕切りの上手さから番組MCとしても大活躍することになります。

木村拓哉も俳優として映画やテレビドラマで主役を張り、映画”武士の一分”やドラマ”ロングバケーション”や”HERO”の演技はファンからの支持だけでなく、関係者からも演技が高く評価されました。

草彅剛や稲垣吾郎、香取慎吾もそれぞれの持ち味を発揮し、SMAPはスター軍団として輝きを放ち始めます。

SMAPがここに至るまでの飯島氏の努力は凄まじく、経験がないタレントマネジメントの分野で苦労の連続でした。

彼女にはホンが読めるという稀有な能力が備わっていて、SMAPのメンバーそれぞれに、この脚本が必要かどうか常に的確な判断を下すことができたのです。

だからメンバーは飯島氏を信頼し、今日までついてきました。

飯島氏はSMAPを守るために汚れ仕事も引き受けています。

2000年に雑誌”噂の真相”が中居と一般人のOLとの妊娠スキャンダル疑惑を報じます。

事務所の力で他の媒体の後追い記事は抑えることができましたが、現実にそのOLに中絶を迫ったのは飯島氏だと言われています。

中居が43歳の現在まで結婚に消極的なのは、この時の負い目がトラウマになっているからなのでしょう。

2002年稲垣吾郎が渋谷区道玄坂の路上に愛車マセラッティ3200GTを違法駐車し、違反切符を切ろうとした婦人警官の制止を振り切って逃走、その後に逮捕された事件で、稲垣の早期復帰に奔走したのも飯島氏でした。

2009年の草彅剛公然わいせつ事件でも飯島氏が事態の鎮静化に努力しています。

これらの事件によって飯島氏とSMAPメンバーには、ほかのグループとは違う太い絆が結ばれていったのです。

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メリー喜多川氏の抱いた危機感が発端だった

SMAPの人気が爆発するにつれて、飯島氏の手腕は業界に広く知られることになり、その評価が上がっていきます。

ジャニーズ事務所内での飯島氏の存在感も大きくなり、高齢になったジャニー氏の後継者は飯島氏になるだろうという人も出てきました。

ジャニー氏の後継者は娘である藤島ジュリー景子だと決めていたメリー喜多川氏(ジャニー社長の姉)は、こういう状況に苛立ち、危機感を持ち始めます。

ジュリー氏の存在感を増すために人気グループV6TOKIOのマネジメントをジュリーの担当につけたりしたのです。

しかしその結果として、飯島氏とジュリー氏の対立がかえって鮮明になり、派閥争いが勃発してしまいます。

 

 普段ジャニーズのタレントスキャンダルは書くことができないメディアまで、ジャニーズの後継者争いを面白おかしく報じます。

そしてその論調の多くが飯島氏が後継者としてふさわしいというものでした。

2015年1月文芸春秋のロングインタビューで、メリー喜多川氏がとんでもない行動に出ます。

派閥があるなら、それは私の管理不足。今日、(飯島を)辞めさせます。私の娘が(会社を)継いで、何がおかしいの?

と言い、ジュリー氏が後継者であることを断言します。

さらにヒートアップしたメリー氏は、飯島氏をインタビューの場に呼び出し、

飯島、私はこう言います。対立するならSMAPを連れていってもいいから今日出て行ってもらう。あなたは辞めなさい

と記者の面前で飯島氏に言い放ったのです。

それまで飯島氏がジャニー氏の後継者になろうとしていた形跡は全くありません。

一方的に危機感をもったメリー氏が事態を大きくし、紛糾させてしまったのです。

ジャニ―ズ事務所から解雇されることを覚悟した飯島氏は、業界のドンと言われるS氏に相談、S氏から飯島氏とSMAPの受け皿として田辺エージェンシーを提案されそれに乗ります。

この時点でジャニーズ事務所はSMAPと独立について協議に入ったことを認めました。

マスコミは国民的アイドルグループSMAPが解散危機にあると報じ、ファンからは悲鳴が上がります。

SMAPの大ヒット曲”世界にひとつだけの花”のCDを買ってSMAPに解散しないよう訴えようというファンの運動まで起こりました。

ところが事態は思わぬところから急転回し始まます。

SMAPのメンバーの木村拓哉がジャニーズ事務所に残留したいと言い出したのです。

木村がジャニーズに残ればSMAPの商品価値は半減してしまいます。

さらにメンバー間の対立ということになれば、ジャニーズ事務所からの円満な独立というストーリーも崩れてしまいます。

木村の造反にあって、S氏と田辺エージェンシーは受け皿になることをあきらめます。

中居と太いパイプがあって、SMAPの受け入れに興味を持っていた吉本興行も手を引いてしまいました。

それでも飯島の退社はすでに決定してしまっていたので、木村以外の4人は飯島と行動を共にすることを望みます。

しかし分裂したSMAPを引き取るまともなプロダクションの当てがない飯島氏は独立後の茨の道を考え4人に残留の道を勧めるのです。

飯島氏はメリー氏との権力闘争に敗れてしまったのでした。

この時点で飯島は芸能界から去ることを覚悟していました。

2016年1月18日あの有名な謝罪会見が行われます。

この会見を見る限り騒動について謝罪させられているのは木村以外の4人です。

草彅のコメントにあるようにSMAPを解散の危機から救ったのは木村の尽力があったからだというストーリーが語られています。

SMAPのリーダーは中居であるにもかかわらず、真ん中にたって毅然とした態度で会見に臨んでいる木村に対して、疲弊しきった表情を浮かべている中居や香取が痛々しく映ります。

芸能マスコミの論調も、飯島氏のクーデターに乗って独立しようとした4人を、売れたからと言って勝手に独立するのは信義に反すると木村が諫めたという構図になっていました。

しかしこのストーリーにファンが違和感を感じ、抗議を始めます。

飯島氏を切ったのはメリー副社長で、その時SMAPも連れて出ろと言ったのに飯島氏が悪者になるのはおかしいというものでした。

さらにSMAPが解散の危機に陥ったのは木村が一人ジャニーズの残留を決めたからで、その張本人が自分のとりなしで、ジャニーズ事務所残留とSMAP存続が決まったように語るのはおかしいというのです。

この反論によってSMAPファンの木村に対する評価が変わっていきます。

木村はSMAP存続の立役者ではなく、裏切り者だという論調が多くなっていったのです。

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実は木村の人気が絶頂期の1997年に、木村は写真集の出版を巡って、ジャニーズ事務所からの独立を画策しています。

この時はジャニーズ側が大幅に譲歩して、木村の父が社長である会社からの写真集の出版を認めています。

ですから木村がずっとジャニーズに恩義を感じていて独立に賛成できないというストーリーには無理があるのです。

最近の調査では嫌いなジャニーズタレントランキングで、木村はぶっちぎりの1位になっています。

木村がジャニーズ事務所脱退に一人反対した理由についてはいくつかの説があります。

一つは、木村が工藤静香との結婚に際してメリー氏に恩義を感じているからというものです。

2000年11月、木村はスポーツニッポンの”キムタク、パパに”という記事で交際中の工藤静香が妊娠していることをスクープされ、緊急記者会見を開くことを余儀なくされました。

この話を聞いてメリー氏は激怒し、中居の時と同じように中絶させることまで検討させています。

しかし工藤も大手プロダクションバーニング系のタレントで、素人のOLと同じようにはいきません。

できるだけ二人に傷がつかないようなソフトランディングが現場によって設定されました。

トップアイドル同士の”デキちゃった婚”ということでマスコミの取材合戦が激しくなる中、メリー氏はマスコミに影響力を発揮して鎮静化を図っています。

工藤はこの時のジャニーズ事務所の力の凄さと、とくにメリー氏のバックアップに恩義を感じていました。

それと同時に敵に回した時の怖さも感じていたのです。

だから今回のSMAPの独立騒動に関して、工藤が木村に残留を勧めたという話には信ぴょう性があります。

ジャニーズ事務所の意に反して独立した先に待つ茨の道も、15歳になった心美(ここみ)ちゃんと13歳の充希(みつき)ちゃんという二人の子供を持つ母である工藤にとっては大きな恐怖であったのかも知れません。

謝罪会見によりSMAPの解散は回避されたものの、5人の関係はギクシャクしたままでした。

SMAP×SMAPのスタジオ収録にはこれまで若い女性のファンが招待されていましたが、騒動後は無人のスタジオで、ピリピリした空気の中で収録が行われています。

木村と他の4人のメンバーとの関係は、修復しようがないほど悪化しているようです。

メンバーの中で香取慎吾の落ち込みようは尋常でなく、芸能界を引退するとか、自殺までほのめかすような発言までしていると伝えられています。

SMAPの契約更改は毎年9月に行われていて、今年の9月には何らかの動きがあるかもしれないと言われていました。

2016年5月それまでこの騒動に直接的な言及を避けてきたジャニー社長が口を開きました。

(解散することは)ないですよ。
大体が小学校のときからやってるから。
自分のこと、向こうも親と同じように考えているし。
僕は全部、全面的に彼たちを信じているし、彼らだってそうだし。
ウソついたって何したって、すぐ分かる。
彼らも分かっていますよ。

というあえて空気を読まない発言をしたのです

しかしジャニー社長のこの発言を額面通りに受け取る関係者は一人もいません。

もうSMAPのメンバーを意のままにコントロールできる人間はジャニーズ事務所にはいないのが現実です。

マスコミの関心は、SMAP解散のXデーがいつになるのかに移っていました。

2016年8月13日深夜、ジャニーズ事務所はSMAPが2016年12月31日をもって解散すると発表しました。

9月の契約更改を前にSMAPメンバーの現在の関係性に苦慮した事務所側は、当面の活動休止を提案したようです。

この提案に対して一部のメンバーから、中途半端に活動を休止するより、潔く解散したいとの申し入れがあり、全員の事務所残留を条件に、SMAP解散を受け入れたものです。

5人全員が解散後もジャニーズ事務所に残り、ソロでの活動をするとのことです。

ジャニーズ事務所からマスコミ各社へは次のようなFAXが送られました。

 報道関係者各位

弊社所属アーティスト「SMAP」今後のグループ活動につきまして

いつもSMAPをご支援頂き、有難うございます。これまで皆様に大変ご心配をお掛けしておりましたSMAPの今後の活動につきましてメンバーと協議を重ねた結果をご報告させて頂きます。またメンバーの意思を尊重し、書面でのお知らせとなりましたことをお許しください。

デビューより25年間アーティストとしてグループ活動をして参りましたSMAPは2016年12月31日を持ちまして解散させていただくことになりました。本年1月にSMAPメンバーより事務所に残りグループ活動を存続させたいという意向を受け、事務所一丸となってSMAPをサポートするべく各部署で様々な準備を進め、2月より8月10日までの半年以上の時間をかけて個々のメンバー並びに全員と面談を重ね、例年通りの音楽番組への出演、ファンへの感謝をこめたコンサートの開催、更には冠番組の20周年とCDデビュー25周年を記念したイベントの企画等を提案し、協議を進めて参りました。しかしながら議論を続ける中で「今の5人の状況ではグループ活動をすることは難しい」というメンバー数名からの要望を受け、7月の音楽番組を辞退させて頂いた経緯がございました。8月に入り、待っていて下さる方々の為にも、落ち着いて考える時間を持ち、前向きな状況が整うまでグループ活動を暫く休むことを提案致しましたが、メンバー数名より「休むより解散したい」という希望が出たことを受け、苦渋の選択ではございますが、これまで一生懸命に走り続けた彼らの功績を尊重し、全員一致の意見ではないものの解散したいと考えるメンバーがいる状況でのグループ活動は難しいと判断し、本日の御報告となりました。

25周年のコンサートやイベントを待ち望み応援してくださっているファンの皆さま、そして彼らを今日まで支えてくださった関係者の皆さまのご期待に応えることが出来ず本当に心苦しく、私共の力不足をお詫び申し上げます。誠に申し訳ございません。

本年を持ちまして、SMAPは解散させていただくことになりますが5人それぞれの所属が変わることはなく、より一層個人活動につきましては精進して参ります。彼らの活動を、これまで同様温かく見守っていただけましたら幸いです。今後ともご支援とご鞭撻の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

株式会社ジャニーズ事務所

SMAP解散についてのメンバーのコメント

中居正広
「ファンの皆様、関係各位の皆様、我々SMAPが解散する事をご報告させて頂きます。ご迷惑をお掛けしました。ご心配をお掛けしました。お世話にもなりました。このような結果に至った事をお許しください。申し訳・・・ありませんでした・・・」

木村拓哉
「この度の『グループ解散』に関して、正直なところ本当に無念です。でも、25周年のライブもグループ活動も5人揃わなければ何も出来ないので、呑み込むしかないのが現状です。沢山の気持ちで支えて下さったファンの方々、スタッフの皆さんを無視して『解散』と言う本当に情け無い結果になってしまいました。今は言葉が上手く見つかりません」

稲垣吾郎
「ファンの皆様、スタッフ関係者の皆様、この度はご心配ご迷惑をお掛けして本当に申し訳ございません。今の状況で五人での活動は難しいと思い、辛い決断ではありますが『解散』という形を取らせて頂く事になりました。どうか僕達の意思をご理解頂けたらと思います。28年間本当にありがとうございました」

草彅剛
「この度僕たちSMAPは解散する道を選びました。いつも応援してくれたファンの皆様、支えてくれた関係者の皆様、グループ結成から28年間本当にありがとうございました。今後も精進して参りますので引き続き、温かく見守って頂けると嬉しく思います」

香取慎吾
「ファンの皆様、そしてスタッフ関係者の皆様。僕らSMAPは解散いたします。応援して下さった沢山の方々に心より感謝申し上げます。そして突然のお知らせとなりましたこと、深くお詫び申し上げます」。

コメントからもわかる通り木村と他のメンバーにSMAP解散についてかなりの温度差が感じられます。

この溝はもう誰にも埋められなくなってしまったのでしょう。

最後までメンバーとの対話と説得を続けたジャニー社長は、SMAPが解散しても彼らは僕の子供に変わりない、ソロになっても同じ愛情を注ぐつもりだと語っています。

ジャニーズ事務所は木村以外の4人の解散の意向を尊重することで体面を捨て、4人の残留を勝ち取るという実質を取ったと言えます。

ただこの決着によって独立の火種が消えたわけではありません。

今後中居と香取は、ジャニーズ事務所からの円満な脱退を目指して、その時期を模索すると思われます。

いったんは芸能界との縁を切る決断をした飯島三智氏が、最近元ジャニーズメンバーらが作るダンスボーカルユニットG=AGEのプロデュースにかかわっているとの噂もあるようですが、どうもこれはガセネタのようです。

飯島氏と親しい知人によれば、彼女は現在芸能界とは関係のない中国関連の新規事業を始めるべく準備をしていると言います。

万が一SMAPの香取らがジャニーズ事務所を辞めたとしても、もう彼らのマネジメントにかかわることはないと断言しているようです。

ジャニーズ事務所の光と影、そのすべてを見てきた飯島氏に芸能界への未練はないようです。

解散を表明したSMAPのメンバーに今後共演者たちはどう接したらいいのか頭が痛いでしょう。

各局のワイドショーも格好の話題として取り上げるでしょうが、あまり突っ込み過ぎるとジャニーズ事務所の怒りを買ってしまいます。

SMAP結成から28年、デビューから25年、苦楽を共にしてきた国民的アイドルグループが、事務所の権力闘争に巻き込まれて解散を余儀なくされました。

SMAP解散の一番の戦犯は言うまでもなくメリー喜多川副社長でしょう。

裏切り者の烙印を押されれてしまった木村拓哉も被害者の一人です。

解散から時がたって、もう一度5人のメンバーが、この恩讐を乗り越えて再びSMAPとして再結集することを願ってやみません。

関連記事:SMAP解散の真相の真実、ジャニーズ事務所内の権力争いと木村拓哉の裏切りが原因だった


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