橋本奈々未引退の真相 電気も水道も止まるほどの極貧だった北海道時代を語る

乃木坂46の卒業と芸能界からの引退を表明した橋本奈々未が、2016年10月31日放送の乃木坂46の冠番組”乃木坂工事中”で、MCバナナマンの質問に答えてその理由を語りました。乃木坂46に入ったのはお金のためだったことも率直に語り、弟の大学生活にもめどが立ち、実家の経済状態も安定したことが卒業・引退の大きな理由だと話しました。

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橋本奈々未が語った乃木坂46に参加した理由と卒業・引退の理由

冠番組”乃木坂工事中”で突然の卒業と引退発表についてMCバナナマンのインタビューに答えています。

芸能界に未練はないのか?(バナナマン設楽)

発表した時点では一切未練はなかった、ただ発表後のメンバーやファンからの言葉に、泣きそうになってしまい、いままでの活動を思い出して、あの時もっとこうすればよかったとか、もっと頑張れたのにという後悔が生まれました。(橋本)

アイドルとして、これををやり遂げたからとか、やり切ったとか感じて辞める決心をしたのか?(設樂)

乃木坂46に入ったのはお金のためでした。(橋本)

電気や水道が止まるほど極貧だった北海道の実家時代

北海道旭川の実家時代には、電気やガスが止まるほどの極貧を経験しました。

両親には多額の借金があったようですが、さすがにその核心の話は語られませんでした。

貧しいながらも教育に熱心だった母は、一生懸命橋本に勉強を教えてくれ、それに応えて橋本はいつも優秀な成績を収めていたのです。

本が好きだった橋本は、小学校の図書館に入りびたり、たくさんの本を読みました。

とりわけ偉人の伝記が好きでしたが、それは伝記の中で自分とは全く違う人生を知ることができたからでした。

伝記を読むことで、現実の生活の厳しさを忘れることができたのです。

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そんな暮らしの中で、橋本は両親に対して複雑な感情を持つようになっていきます。

貧しいながらも、自分に十分な愛情を注いでくれる両親には感謝の気持ちは感じていました。

それでも貧しさの中での生活には、息苦しさも感じていました。

地元北海道の大学への進学を望んでいた両親の気持ちは痛いほどわかっていました。

それでもそこから逃れたい一心で、東京にしかない美術大学を受験したのです。

両親には頼れず、アルバイトと奨学金で大学に通う計画でしたが、東京の物価の高さにすぐに生活は破たんの危機に瀕してしまいます。

1日1個のおにぎりだけで過す生活の中で、効率の良いアルバイトを探している中で見つけた芸能界の仕事、それが乃木坂46のオーディションでした。

偶然見つけたこのオーディションによって橋本の運命は大きく変ります。

アイドルとしての一切の準備をしてこなかった橋本は、何故自分がオーディションに合格したのかもわからないままアイドルとしての道を歩き始めました。

合格発表の日に記者会見が行われ、報道陣のフラッシュを浴び、スポーツ紙の見出しになったのを見て、自分の人生は後戻り出来ないところに来てしまったと感じて一週間泣き暮しました。

そんな橋本の思いを断ち切らせるかのように、橋本の目の前には次々にレッスンや撮影の仕事が提示され、立ち止まって考える時間もないまま、必死でひとつひとつをやっていきました。

アイドルとして活動することは、多くの場合それ自体がアイドル本人たちの夢の実現でしたが、橋本にとってはアイドル活動は最初から暮らしていくための仕事であり、お金を稼ぐための手段だったのです。

アイドル活動を続けるために、必死に目の前の仕事に取組んで行った結果、いつしか橋本は乃木坂46の中心メンバーになっていき、女優やモデルの仕事までオファーが来るようになりました。

類い稀な美貌とアイドルとしての自分を客観視できる冷静さを持つ特異なキャラクターとして、乃木坂46の橋本奈々未の人気は右肩上がりになっていきます。

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仕事のペースがだんだんとわかってきて、自分に少し余裕ができてきたころ、橋本の心境に少しづつ変化が訪れます。

それは自分が本来居るべき場所はここではではないという想いでした。

本来の自分は、表舞台に立って活躍するより、裏方として誰かをサポートする方が自分の性に合っているという想いです。

背が高いからという理由で中学校時代はバスケットボール部でプレーヤーとして活躍しましたが、高校では名門男子バスケットボール部のマネージャーになって、裏方としてチームを支えることに喜びを感じていました。

そんな思いから下がり始めたモチベーションを支えてきたのは、ここで自分ががんばらないと困ってしまう家族がいることだったと語っています。

たとえ不本意であろうと自分がアイドルとして頑張れば、弟を大学に行かせることができ、親の借金も返すことができる、それをモチベーションに橋本は乃木坂46を続けてきました。

2013年~2014年ころのことを振り返って、あのころ自分は決して良いメンバーではなかったと語っています。

芸能活動が充実していくにつれ、大学生との両立も難しくなっていきます。

留年や通信制への編入もしてみましたが、結局2014年に武蔵野美術大学を中退しました。

そんな中、心の葛藤は自分でも気づかないうちにストレスとなってしまい、原因不明のアナフィラキシーショックに襲われて入院したこともありました。

初めて故郷北海道で乃木坂46のライブを行った時、終演後の楽屋を弟が訪れた際に、弟がメンバーの中でニヤニヤしているのを見て、橋本がいきなりビンタをしてしまった裏には橋本が家族のためにこんなに頑張っているのにという橋本の苦悩があったのです。

そんな橋本を心配した母親がくれた長い手紙が橋本の背中を押すことになります。

普段は北海道の海産物やおいしいお米を送って来てくれる実家の母が、2015年12月に長い手紙だけを送ってきます。

その手紙には、弟の学費を負担したり、実家の借金を肩代わりして返済してくれたことの感謝に言葉とともに、もう弟も自立できそうで両親もなんとか自分の力で生活できるようになったから、もう無理して頑張らなくてもいいと書いてあったのです。

この言葉で橋本は自分の人生をもう一度自分の手に取り戻そうと決心します。

乃木坂46を卒業し、芸能界からも引退して、普通の女性として生きていく覚悟を決めたのです。

弟は現在大学1年生ですが、特待生として学費を免除されるほどの優等生になっていることも卒業を決めた理由のひとつです。

スポンサーとの調整や、専属モデル契約の円満終了などの調整の必要から、卒業・引退時期は2017年2月と設定され、2016年10月20日の乃木坂46のオールナイトニッポンの中で発表されました。

ななみんファンは卒業・引退発表に騒然としますが、一方でこの決断がいかにも橋本らしくて潔いと称賛する声も上がっています。

秋元康総合プロデューサーは卒業する橋本への花道として、乃木坂46の16thシングル曲を、最初にして最後となる橋本奈々未センター曲”サヨナラの意味”として11月9日にリリースすることを決めました。

卒業する2017年2月20日に橋本は24歳の誕生日を迎えます。

普通の24歳の女性として人生を歩きたいと願った橋本奈々未の未来に、多くの幸せが待っていることを願ってやみません。

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