早見あかりももクロ脱退の理由 母に暴言を浴びせた過去と激太りの真相

女優早見あかり、元ももいろクローバーのメンバーです。ももクロでの過酷な下積みを経験し、ブレーク寸前の2011年4月に脱退します。アイドルとしての自分への違和感をどうしても拭えず、女優として進むことを決断したのでした。2014年後期のNHKの朝ドラマッサンで主人公の妹役を演じ一躍その名を全国区にしています。真っ白な肌と太い眉というインパクト十分なビジュアルを買われてCMに多数出演していることから隠れCM女王などとも呼ばれています。

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ストレスを溜め込み母に暴言を吐き続けたアイドル時代

女優早見あかり(本名同じ)、東京都出身板橋区出身、1995年3月17日生まれの21歳です。

あかり”と名づけた理由は夫婦二人だけの暮らしに灯(あかり)をともしてくれるような子供になってほしかったからと母親が語っています。

小さいころから彫りが深く、目鼻立ちのはっきりした人目を惹く子供でした。

ハーフと間違われる顏立ちは父親にそっくりで、肩幅が異常に広いのも父親譲りだそうです。

彫りが深い顔立ちなのは、父が北海道出身で、アイヌの血を継いでいるのかもしれません。

飽きっぽい性格で習い事は長く続きませんでしたが、カラダが柔らかく、競技エアロビックだけは9年間続けました。

早見はしばしば

自分の家は母子家庭で母が天然キャラだったので自分が父親役をやろうと力(りき)んで生きてきた

人に頼るなんてありえない、人はいつ裏切るかわかんないし、ぐらいに思ってた

と語っています。

父親とは別居(または離婚?)していたのかもしれません。

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小さいころはお花屋さんになりたいと思っていました。

頭の回転が速く、学校の成績も優秀でした。

見たものを映像として正確に記憶するという特別な才能(映像記憶)を持っていて、記憶系の科目は勉強しなくてもテストで高得点を取ることができました。

この才能は女優になってセリフを覚えるのに役立っています。

ただ映像記憶には相当大きなエネルギーを必要とするので、収録が終わればすぐに忘れるようにしていると言っています。

映像記憶は思春期を迎えると次第に消滅していくのが普通ですが、稀に大人になってもその能力を持ち続けるケースがあり、早見もそうなのかもしれせん。

2002年小学校6年生のとき、買い物中に池袋で現在のプロダクションであるスターダストプロモーションにスカウトされました。

それまでも何度かスカウトマンらしき人に声をかけられたことがありましたが、両親の反対もあり断ってきました。

男の人がずっとついてきて、もこうとしたけどお店から出た瞬間に声をかけられ、怖かった

名刺をいただいたときにそうそうたる名前が並んでいてびっくり。“憧れの女優さんに会えるかな”っていう興味本位な気持ちもありました

とその時のことを振り返っています。

”レッスンとかオーディションに自分で通うこと。お母さんは付いていかないよ。全部自分で考えてやるっていう条件ならいいよ”

という条件付きで芸能界入りを許してもらっています。

スターダストに入って歌や演技などのレッスンに励みますが、子役としての仕事はほとんどしていません。

ももクロの百田夏菜子はそのころの自分たちを評して

自分たちはスターダスト(日本語で星屑という意味)プロモーションの中で、ダスト(ゴミ)のほうだから

と自虐的に語っています。

アイドルの育成に何のノウハウも持っていなかったスターダストのなかで、2008年5月に結成された”ももいろクローバー”は担当の川上マネージャーに引っ張られるように、茨の道を歩み始めます。

週末ヒロイン、ももいろクローバーが誕生した瞬間でした。

当初早見はももクロには参加しておらず、川上マネージャーの”お手伝い”として、代々木公園ストリートでの路上ライブイベントのビラ配りやイベントのMCに参加しています。

早見は”歌うことは大嫌い”と広言していましたが、”ももいろクローバー”に、半年後の2008年11月に参加させられてしまいます。

それまでリーダーだった高城れにに代わって百田夏菜子がリーダーに、早見あかりがサブリーダーに任命されます。

結成当初から頻繁にメンバーチェンジを繰り返してきたももいろクローバーは、

新体操の百田夏菜子、競技エアロビックの早見あかり、タップダンスの高城れに、機械体操の玉井詩織、クラシックバレーの佐々木彩香、後に参加するEXILE系のダンスユニットEXPGの特待生だった有安杏果、

ダンスのジャンルが違って素養も性格も違うこの6人によってアイドルグループももいろクローバーは完成形となりまます。

2009年が始まってすぐにHappy Music RecordsからCDを出さないかという話がももクロに持ち上がります。

CDデビューの話を進めていく内にレーベルの親会社がヤマダ電機だと知った川上は、ヤマダ電機の店頭スペースでのライブを思い付き、承諾を得ます。

CDデビューの3か月前から平均年齢13.8歳のアイドルグループももクロは、知名度をあげるため全国ツアーという名の過酷な地方周りを始めます。

平日は学校に行き、金曜の夜に出発、土曜の未明に現地到着、仮眠を取った後地元の健康ランドなど入浴、その後10時から店頭でリハーサル、ライブ、CD予約券を買ってくれたファンとの握手会、それを3回繰り返し、夕方に撤収、地元の銭湯にいき、夕食、その後ワゴンに乗り込み次の予定地に向かう、これを3か月間くり返し、東京を拠点に高崎、宇都宮、水戸、山梨、名古屋、盛岡、仙台、浜松、京都、大阪、神戸、広島、博多、札幌で、100回以上のイベントを実施しました。

夏休みにに入ってからは、週末だけでなく平日も同じスケジュールが組まれ、7月17日から11日間、8月1日から16日間はぶっ通しでツアーが行われると言う過酷なものでした。

狭いワゴン車(8人乗り)での移動は窮屈で、メンバーたちは相当な負担を強いられたのです。

早見は体調を崩し7月は3回ほどイベントを休んでいます。

このころからファンの間では早見がももクロを脱退するのではないかという噂が立ち始めています。

8月5日発売の1stシングル”ももいろパンチ”はオリコンデイリーチャートで11位にランクされ、川上の戦略はまんまと成功しました。

全国ツアー後は、イベントの拠点を秋葉原UDXシアターに移しましたが、会場費がかかるため、イベント券として1000円の入場料を取ることになります。

そのため歌以外の企画も必要となり、川上は企画のアイデアに苦慮します。

そんな時企画立案の相談相手になったのは当時14歳の早見でした。

もともと何かを考えることは好きだったので、イベントの帰り道の車中で川上と早見は様々な企画を考えだしました。

早見は考えることに夢中になり、自分でもやりたくないないような面倒な企画やくだらない企画をひねり出してしまい、メンバーを困らせたりしています。

そう言った面でも早見はももクロにとってなくてはならないメンバーになっていったのです。

有安が握手会でダンスについて女性ファンから駄目だしを出されて泣き出した時、早見が有安を抱きかかえ何か言い、有安はうなずいて握手会に戻るという出来事がありました。

ファンが有安に何と言ったのかを聞くと「ステージでは泣いていい時と悪い時があって、今は駄目な時だよ」と言ったのだと早見は答えています。

有安はうなずいて泣き止み、握手会に戻りました。

メンバーにとっても早見は精神的な支柱になっていたのです。

11月11日リリースの2ndシングル未来へ進め!はオリコン初登場6位にランクされ、過酷だった全国ツアーを思い出し、メンバーもスタッフも大泣きしてしまいました。

これを受けて2010年5月「行くぜっ!怪盗少女」でのメジャーデビューが決まります。

15歳になった百田は故郷静岡ではなく東京の私立日出高校を、早見は普通の都立高校(地元の都立大山高校と思われる)を受験し、進学しています。

5月5日メジャーデビューシングル「行くぜっ!怪盗少女」はオリコンチャートデイリーランキングでついに1位を獲得、ももクロは一躍メジャーシーンでの注目を集めることになります。

2010年5月30日に放映された、NHKの音楽番組「MUSIC JAPAN」の「アイドル大集合SP」にAKB48モーニング娘スマイレージアイドリング!!!東京女子流バニラビーンズらとともにももクロも出演し、アイドル戦国時代にももクロも参戦することになったのです。

結成2周年を迎えたももクロは、次第にチケットの入手困難なアイドルグループになっていきます。

ももクロの存在がどんどんメジャーになっていくのとは裏腹に、早見はももクロの未来に自分の姿を見ることができなくなっていきます。

デビューから2年たって自分を客観的に見る余裕ができると、自分が思っているアイドル像と現実の自分とのギャップに気付き、悩むようになっていったのです。

その違和感はももクロ加入当初から持ち続けていて、ももクロでアイドルを演じなければならないストレスは母親への暴言という形で爆発させていました。

「中学で、ももクロに入った時期とかは、ホントに荒れてたんです。外面が良すぎて、家ではとんでもない子だった。お母さんにどれだけ暴言を吐いてきたかわからないし、でもそういう時期があったから、こうして芸能生活を続けることができてて、お母さんは全部受け止めてくれたんで感謝してます。でも、ほんとに、母子家庭で育って、そう、それで楽しく暮らしてこれたのはお母さんのおかげなので。高校を卒業して、なんでも一人でやるようになった時に初めて親のありがたみに気づいた。だから自分で何か買いたいというよりはお母さんに何かしてあげたいと思うことの方がすごく強い」

と語っています。

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2010年早見に転機が訪れます。

7月末に7月初旬に撮影した短編映画「飛べ!コバト」(主演)が公開され、8月には6月に撮影した「シロメ全国行脚」の舞台挨拶、8月末に「市民ポリス」の撮影がありました。

女優としての早見あかりにチャンスが巡ってきたのです。

映画の現場では、ももクロのライブでは感じたことのない充実感を感じることができました。

早見にはストレートネックという持病があり、中学2年の頃から整形外科に通っていました。

ストレートネックが原因で、激しいダンスパフォーマンスは腰への過重な負担となり、腰痛で握手会を途中退出する事態も起こっています。

早見はももクロがもっとパワーアップしていかなければならない状況の中で、自分が足を引っ張る存在になってしめうことを恐れるようになります。

そんな思いが積み重なって早見はももクロ脱退を現実のものとして意識するようになります。

2010年の夏が終わったころ早見は川上マネージャーにももクロを脱退したいと伝えます。

早見が悩んでいることは薄々感づいていましたが、ももクロの現状を誰よりも理解していたはずの早見から脱退という言葉を聞かされるとは思っていませんでした。

川上は早見の慰留を試みますが、早見の性格を誰よりもよく知っている川上にはそれが叶わないことだとよくわかっていました。

「私は本当に頑固で、周りの人を困らせる人間なんで、大人たちから『こうしてくれ』って言われても、『じゃ私の人生に責任持てるんですか?』って思っちゃう。それで失敗したら、私はきっとその人を責めてしまうと思うんですよ。でも自分で決めたことなら、誰のせいにもできないし、たとえ後悔しても自分で納得できるんで」

後に早見はこう述懐しています。

一番理解し合っていた百田にどう伝えればいいかわからなくて、早見はぼーっとしていることが多くなりました。

百田も早見の異変に気付いていましたが、何も言わず、何も聞きませんでした。

何か言えば後戻りできなくなってしまうと感じていたのかもしれません。

2010年12月24日『ももいろクリスマス in 日本青年館〜脱皮:DAPPI〜』が成功したことで早見の決意は一層強くなりました。

自分がいなくなってもももクロはもう大丈夫だと確信を持ったからです。

2011年1月16日千葉県柏で行われた新曲”ミライボウル”の発売記念イベントで早見はももクロからの脱退を発表します。

アイドルとしてに自分に悩み続けてきたことを正直に話し、違う道で頑張りたいと涙ながらに語りました。

その3日前にメンバーには報告していました。

リーダー百田は

本当はこれからも6人で『紅白』という目標に向かっていきたかった

“あかりん”の人生は私たちが決めることの出来ないもの。全力であかりんのことを考えて、応援してあげることがメンバーの私たちがしてあげられること

と早見の今後にエールを送りました。

2011年4月10日のライブをもって早見あかりのももいろクローバーとしての活動を終えました。

早見の脱退を機にももいろクローバーZと改名し、快進撃を続けていきます。

ももクロと早見の夢は、ももクロが出演する紅白を女優早見あかりが審査員席で見守ることに変わりました。

2012年ももクロは念願の紅白初出場を果たします。

「サラバ、愛しき悲しみたちよ」からデビュー曲「行くぜっ!怪盗少女」のメドレーの中で、怪盗少女では早見あかりの名前をコールするオリジナルの歌詞で歌い上げ、ももクロと早見との絆の深さを印象づけています。

紅白出場という夢を叶えたももクロに比べて、女優早見あかりの船出は順風満帆とはいきませんでした。

映画の端役での出演とヒャダインのPV出演以外に仕事がない状態が続きます。

そんな中ももクロが出演した映画『市民ポリス69』を見て早見の女優としての才能に着目した放送作家で脚本家のオークラが早見に当て書きして書いた「ウレロ☆未確認少女」(2011年10月7日~)への出演が決まります。

稽古に参加した共演者たちは16歳の女優早見あかりのポテンシャルに驚愕します。

劇団ひとりは16歳とは思えない存在感に驚き、数年後には自分など共演できないレベルの女優になるんだろうと思ったと語りました。

バカリズムは、「ほんとに勘のいいというか、すごい子だなと思うんですよ。僕、結構細かいことを仕込んだりするんですけど、全然恥ずかしがらずにやってくれて、度胸もあるなと。ただすごく感じるのが、この番組のスタッフ全員が早見あかりのファンすぎるんじゃないかと。」と語っています。

早見の演技に手ごたえを感じたオークラも途中から早見のセリフを大幅に増やしてその魅力を引き出そうと考え始めました。

「ウレロ☆未確認少女」は予想以上に評判がよく、DVDの売り上げも好調だったので、2012年シーズン2、2014年シーズン3、2016年シーズン4と続いています。

高校を卒業したら大学へ行くのは当たり前だとずっと考えていましたが、ももクロを脱退し、女優業に賭けようと決断した自分にとって大学進学は、逃げ道になってしまうと感じ、2013年高校3年の夏に大学へは行かないと宣言し、周囲を驚かせます。

退路を断って女優業に専念するという決意の表明でした。

女優として生きて行こうと決めた時からNHKの朝ドラに出演したいと思い続けて、オーディションに何度も挑みますが、なかなか出演には至りません。

このころストレスのためか激太りして話題になりました。

2014年後期のマッサン主人公の妹役での出演が決まったときはうれしくて泣いてしまったと語っています。

 

いつも反抗的な言葉ばかりかけてきた母親に朝ドラ出演を告げた時、買物籠を下げたままの母の眼から涙があふれ出たのを見ていかに自分が親不孝をしてきたかを悟り、激しく後悔しました。

NHKの”スタジオパークからこんにちは”に出演した際に共演者の泉ピン子から

人を魅了する笑顔がある。とても真面目な子で繊細。ずっと見てるからいつでも何でも相談してきて

というメッセージを送られ涙をふく場面も見られました。

マッサンではすみれ役の早見を主演にしたスピンオフドラマすみれの家出〜かわいい子には旅をさせよ〜も制作され、女優早見あかりの名を全国に知らしめました。

すべてがFになる(綾野剛・武井咲主演2014年フジテレビ)では狂気の天才科学者真賀田四季を圧倒的なビジュアルで好演しています。

2015年6月から放送されたラーメン大好き小泉さん(鳴海なるによる漫画作品のテレビドラマ化)の主人公ラーメン好きの女子高校生小泉役を怪演し、好評を得ました。

2016年1月4日には新春スペシャルが放送され、2016年12月29日には年末スペシャルが放送予定です。

太い眉と真っ白い肌が際立つビジュアルが印象的な美人ですが、ビジュアルに意志の強さが過ぎているので、役柄が限定されてしまっているように感じます。

あえて早見のビジュアルを裏切るような役をやらせてみたい気がします。

2015年4月から笑福亭鶴瓶のトークバラエティA-studioのアシスタントを1年間続けています。

あかりが幼児だっだころ鶴瓶と遭遇した時に鶴瓶があかりを抱っこしてくれた写真が今でも残っていて、18年ぶりの共演として番組内で紹介されました。

印象的なビジュアルからCMには数多く出演していて、観る人に大きなインパクトを残しています。

「グランブルーファンタジー」
のCMでは菅田将暉と共演、創味食品のCMでは高良健吾と共演し、いずれの作品でもき実力派の共演者よりも強い印象を残しています。

CM製作者たちが早見を起用したがる理由がわかります。

早見は自身の理想像として、歌も演技も上手くて、私生活では料理上手な柴咲コウを挙げています。

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完璧主義者の早見らしい選択です。

仕事に役立つと信じて連続ドラマはすべて録画して見るようにしています。

女優の細かい動きや演じ方をみるのはとても勉強になると感じています。

結婚しても働く、自立した女性、もちろん男性には好かれたいけれど、女性に好かれる女性でありたいと考えています。

早見あかりにとってまだまだ結婚は遠い先のことのようです。

ももクロを脱退してから早見はTwitterやFacebookなどのSNSを一切やっていません。

プライベートは基本的に公開しないというのがポリシーです。

2017年22歳をを迎えて女優早見あかりがどんな進化を見せてくれるか楽しみでなりません。


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