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大崎洋吉本興業会長が退陣できない深刻事情~パワハラ常習者の岡本昭彦氏を後継社長に指名した代償は高かった?~

エンタメ

宮迫博之氏らのいわゆる”闇営業”問題に端を発した問題が、7月22日に行われたグダグダな岡本昭彦社長会見をきっかけに拡散し、政界や行政からもガバナンス(企業統治)とコンプライアンス(法令順守)についての説明責任を指摘されるなど、吉本興業全体を揺るがす騒動に発展している。

岡本社長は会見の中で、今後は①コンプライアンスの徹底、②芸人・タレントファーストで物事を考える、という2つの方針を示したが、①については、これまで実施していた対策を強化するだけで新味はなく、②についてはこれといった具体策を示さなかった。

マスコミや、吉本所属のタレントからも、その実現について疑問視する声があがっている。

さらに、公正取引委員会の事務方トップの山田昭典事務総長は、「契約書面が存在しないということは、競争政策の観点から問題がある」と指摘した。(7月24日発表)

吉本興業所属の人気タレントで、日本テレビ”スッキリ”のメインMCを務める加藤浩次氏は、同番組内で、”吉本興業が大崎洋会長・岡本昭彦会長という体制を今後も続けるならば、自分は吉本を辞める”と発言し注目を集めている。

一方で、吉本所属タレントの中で、明石家さんま氏と並び、最も高いギャラを稼いでいるとされるダウンタウンの松本人志氏は、宮迫博之・田村亮氏の会見の直後に大崎会長と話し合いを持ち、岡本社長の早急な記者会見実施を進言し、翌日に実施させるという強い影響力を行使した。

松本氏は、その話し合いの中で、大崎会長が自身の進退についても考えていると語った時に、”大崎氏が吉本を辞めるなら、自分も辞める”と反論したと、7月21日のワイドナショーの生放送の中で語っている。

松本人志氏と加藤浩次氏、吉本の中で売れっ子とされている二人のタレントの、大崎会長に対する評価が、これほど正反対であるのは注目に値する。

吉本興業での大崎洋氏のこれまでの歩みを振り返りながら、その理由を考えてみる。

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大崎洋とは何者か?~松本人志が大崎会長を兄貴と慕う理由~

大崎洋、大阪府堺市出身。吉本興業ホールディングス株式会社会長、1953年7月28日生まれの66歳である。(2019年7月29日現在)

1978年3月関西大学社会学部を卒業し、吉本興業に入社した。

入社の理由として、”当時サーファーだったために私服で通勤が可能な会社だったから”と後のインタビューで語っている。

特に吉本で実現したい夢があったわけでもなく、しばらくは漫然と仕事をこなしていたが、ある日徹夜麻雀明けの朝、一念発起して”絶対に出世してやろう”と思い立つ。

それ以降は別人のように仕事に邁進し、宣言通りに出世街道を走り始めたのである。

1980年に、当時の上司木村政夫氏とともに、赤坂のワンルームマンションの一室に開設された東京事務所に異動となる。

この時に大崎氏についていったのが当時大阪で人気の頂点に立ったものの、東京ではまったく無名であったダウンタウンである。

大崎は、吉本の養成所NSC(吉本総合芸能学院)開校時の担当社員で、その一期生である無名時代のダウンタウン兄貴分・マネージャー的存在として、彼らを一から指導していた。

1980年代、まだ松本氏が20歳頃、松本氏も大崎氏も仕事が無く、ヒマをもてあました2人で映画館や銭湯等によく行っていた。

その後大阪で天下を取ったダウンタウンを、大崎は引きずるようにして東京に進出させるのである。

大阪に拠点を置きながら、東京発のバラエティ番組『笑ってる場合ですよ!』『ひょうきん予備校』などでへの出演で次第に知名度を上げていったダウンタウン。

1989年10月のダウンタウンのガキの使いやあらへんでの放送開始を機に、本格的な東京進出を果たす。

ダウンタウンの出世作となったダウンタウンのガキの使いやあらへんでダウンタウンのごっつええ感じ(1991年12月放送開始)では、大崎氏がプロデューサー・オーガナイザーとして参加し、裏方としてダウンタウンを支えていた。

大崎氏は木村政夫氏とともに、1980年代の第2次漫才ブームを支え、木村政夫氏が大阪に戻り、その後任として東京支社長に就任してからは、様々なプロジェクトを立ち上げ、東京吉本の名前を全国に知らしめた。

松本人志氏は無名時代から自分を支えてくれた大崎氏に並々ならぬ恩義を感じており、今も兄貴として慕うのにはこういう背景があるからで、その才能やカリスマ性に対して絶大な信頼を寄せているからである。

当時ダウンタウンに匹敵する人気を誇っていた島田紳助氏(に引退)も大崎氏の才能やカリスマ性を高く評価していた。

芸人たちのピロデュース以外では、吉本興業の企業としての近代化をおし進め、新たな劇場の建設や若手の育成に力を注いだ。

他方、会社の方針に従わない芸人やタレントを大胆にリストラし、山本圭一の淫行事件では早々に専属芸能家契約の解除を決定している。

島田紳助の暴力団との親密交際が発覚した際には、島田氏が大崎氏の立場を忖度して、自ら引退の道を選んでいる。

これらの出来事によって、”大崎氏は冷酷で怖い”というイメージが作られていったのである。

その一方で、吉本興業がまだ弱小プロダクションであったころの吉本を支えてきたベテラン芸人には、人気のピークが過ぎた後にも、劇場公演の出演料などで手厚い処遇を施している。

若手芸人が数百円であるのに、劇場公演のトリをとるベテラン師匠たちには、1回数万円程度の出演料が支払われている。

人気芸人の稼ぎがベテランへの支払いに充てられている構図である。

まるでどこかの国の年金制度のようだが、これがベテラン師匠たちが大崎氏らを擁護する理由であり、若手芸人が反発する理由でもある。

大崎氏のプロデューサーとしての能力は、吉本興業の歴史の中でも抜きんでている。

最近では、大崎氏を中心とした吉本興業を代表とする企業連合が、大阪府が募集した府立万博記念公園の指定管理者入札に、府が最大13億円とした委託料をゼロとする大胆な計画で応募し、見事落札している。

これを機に吉本興業には、行政や政界からも高い関心が寄せられるようになり、このことが政府が巨額の資金を出資しているクールジャパン機構(海外需要開拓支援機構)に、吉本興業が主要なコンテンツ制作者として参加することの大きな契機となった。

今回の騒動で露呈した吉本興業所属芸人の反社勢力とのかかわりと、その処理過程でのガバナンス(企業統治)とコンプライアンス(法令順守)の破綻に関して、世耕弘成経済産業大臣からは「一般論として反社会的勢力と付き合うことは厳に慎むべきだ」と指摘を受け、柴山昌彦文部科学大臣からは「文化の健全な振興の観点からもガバナンス(企業統治)、コンプライアンス(法令順守)は極めて重要だ」と改めて念押しされている。

大崎氏が自身の進退にまで言及したのは、こういった行政からの批判が高まることを恐れたからだ。

しかし、現状の吉本興業に、大崎氏に代わる人材はいない。

吉本の内情に精通している人は、そういう状況を理解しているので、大崎氏の退陣に反対している。

松本氏が、”大崎さんが辞めたら自分も吉本を辞める”と語ったり、島田紳助氏が、”大崎さんが吉本を辞めたら吉本は潰れる”という所以でもある。

大崎氏の唯一の汚点は、後継者の育成に失敗したことである。

大崎氏の後を継いで、2019年に社長となった岡本昭彦氏に、目立った才能や功績はなく、取り柄は大崎氏の言いつけは必ず守るということぐらいだ。

岡本社長は典型的な上に弱く、下の者に当たりが強い経営者である。

大崎氏には絶対服従であり、大崎氏や彼と親しい松本氏らに頭が上がらない。

6,000人のタレントを抱え、500億円以上を売り上げる巨大企業のトップが、一介の所属タレントに指示されて、充分な準備もなく緊急記者会見をさせられているのだ。

そしてその結果これほどの批判を浴びてしまった。

大崎氏は、岡本氏を後任社長に指名した責任を痛感しており、この顛末の処理に頭を悩ませている。

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加藤浩次氏と大崎洋氏にはほとんど接点はない。それが悲劇の始まりとなった

加藤浩次氏は、1989年8月に東京吉本に入社している。

加藤氏がお笑い芸人として頭角を現していくのは、1993年フジテレビのネタ見せ番組”新しい波”に出演したことがきっかけである。

その後自身初のレギュラー番組『とぶくすり』に極楽とんぼとしてレギュラー出演を果たし、『めちゃ2モテたいッ!』への出演を経て、1996年10月19日より、『めちゃ2イケてるッ!』で初めてゴールデンタイムのレギュラー出演を果たす。

これでわかる通り、加藤氏はフジテレビの制作スタッフとの仕事を通じて、芸人としてのキャリアと人気を積み上げげてきた。

そういう意味で加藤氏には、吉本興業からこれといったサポートを受けてきたという実感はあまりない。

この時期には、すでに吉本の幹部となっていた大崎氏や、岡本氏と接する機会もなく、二人に怯えて多くの社員や芸人が何も言えずにただただ服従しているのを苦々しく遠くから見ていただけである。

それらの経験によって、加藤氏の目には大崎氏や岡本氏の存在が、旧弊固陋な権威主義そのものとして映ってしまったのだ。

このことについての大きな責任は岡本氏にある。

元々体育会気質で、先輩の言うことには絶対服従が当たり前の岡本氏にとっては、大崎氏の言うことが絶対正義であり、その言葉を頑なに守り続けたことで出世の階段を昇ってきたのだ。

だから会社の方針に従わない社員や芸人は、無条件に粛清の対象だと考えていた。


ベテラン女芸人の友近氏が、意を決して岡本氏に直言しようと対面し、”これから話すことは自分ひとりだけの意見ではなく、ほかの多くの芸人の想いでもある”と話の口火を切った時に、岡本氏が間髪を入れずに、”ほかの芸人とは誰と誰なのかを教えろ”と迫ったエピソードはこのことをよく物語っている。

岡本氏は、自身が大崎氏に服従しているように、社員たちや、芸人たちに自分への絶対服従を求めたのである。

大崎氏は、それを都合よく利用していた。

岡本氏にクリエイティブな面での期待はしていなかったが、管理することについては向いているだろうと考えて、社長に指名したのだ。

しかし、岡本氏はそれを勘違いしてしまい、社内に恐怖政治を敷いてしまった。

多くの社員や、若手芸人たちは、胸の中にフラストレーションを溜め込み、今回の宮迫・田村の涙の会見でその不満が一気に爆発してしまった。

不幸にして加藤氏は、大崎氏の類まれなプロデュース能力や、お笑い界にとどまらないその経営センスを間近に見る機会に恵まれなかった。

今更言っても詮無いことだが、大崎氏と加藤氏がもっと年齢が近くて、会話をする機会が多かったなら、大崎氏は加藤氏を理解し、彼の才能をもっと開花させていたかもしれない。

きっと加藤氏も大崎氏の能力に一目も二目も置いたであろう。

現実はそれと正反対で、このちょっとした歯車の狂いが、加藤氏の進退を賭けた大崎会長退陣要求発言に発展してしまった。


一般企業から見れば、一介のお笑い芸人が、経営トップの退陣を求めるなど正気の沙汰ではない。

大崎氏が”無礼だ”と言って一蹴してもおかしくない話である。

しかし大崎氏はそうせずに、加藤氏の求めに応じて話し合いの席についた。

加藤氏によれば、二人の主張は、平行線のままだったという。

それでも大崎氏は、その場で結論を出さず、引き続き検討すると答えている。

不満を表明した多くの若手芸人たちの処遇や今後の契約のあり方の検討、さらには行政から求められているガバナンスとコンプライアンスの説明責任と、大崎氏がすぐに結論を出さなければならない問題は山積みである。

22日の岡本社長会見では、タレントから特別な要求ない限り、書面での契約書は今後も交わさない方針を維持するとしていたが、7月24日になって公正取引委員会の山田昭典事務総長は、”契約書面が存在しないということは、競争政策の観点から問題がある”と指摘された。

支払金額が不当に低くなったり、支払いの遅延が起きやすいとの懸念を示したものだが、これらのことは吉本ではよく起きていて、支払い遅延どころか、支払いがなされなかった事例まである。

公正取引委員会のこの指摘によって、書面による契約書の締結は待ったなしになってしまった。

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結論から言えば、加藤氏にとっては納得できないことかもしれないが、大崎氏は退陣しないだろう。

いやできないという方が正しい。

今の吉本に大崎氏に代わり得る人材はいないからだ。

吉本興業の内実を知る人ほど、大崎氏がいない吉本興業とは、危なっかしくて組めないと言うだろう。

大崎氏自身もそのことはよくわかっている。

だから進退を決めかねているのだ。

すべての泥をかぶってでも、自身は会長にとどまり、岡本社長の後見をしていく公算が高い。

その上で、加藤氏の想いにどこまで応えることができるか、頭を悩ませている。

現実問題として、100人に満たないマネージャーが6,000人のタレントを管理するのは不可能である。

冷たいようだが、半分以上のタレントとは契約を切るべきでである。

かつて島田紳助氏は、自身が始めたM=1グランプリの3次予選を通過したものたちだけに吉本からプロライセンスを与えて契約すればよい。3次予選を通過できない者たちにはプロを名乗る資格はないと大崎氏に進言している。

将来の金の卵をできるだけ多く囲い込みたい経営陣はこの提案には耳を貸さなかったが、当時の島田氏の問題意識は正しかったし、今でも正しい。

今回の騒動によって、吉本興業が今までのビジネスモデルを変えることができるかどうかが、問題の解決の鍵である。

それを実現するのが、大崎会長なのか、はたまた次の世代で新たなカリスマが出現するまで待たなければならないのか、答えは間もなく出ることになる。

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