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平手友梨奈story #1”反逆のカリスマが駆け抜けた欅坂46の1,616日”~孤高の天才の欅坂46からの脱退の真相に迫る~

アイドル

2020年1月23日、人気アイドルグループ欅坂46の絶対的エース平手友梨奈が突然グループを離脱することが公式HP上で発表された。

平手友梨奈は、単なるアイドルにはとどまらず、その圧倒的なパフォーマンスで、性別や年齢を超えた多くの一般人や、プロのクリエーターに至るまで、多くの賞賛を得てきた。

14歳で欅坂46に参加し、本人に当て書きされた”サイレントマジョリティ”で鮮烈なデビューを飾った稀代の天才パフォーマー平手友梨奈。

彼女が駆け抜けた、デビューからグループを脱退するまでの1,616日間を記憶と記録に残すために、平手友梨奈story~反逆のカリスマが駆け抜けた欅坂46の1,616日~として3回に分けて記事を書いてみようと思う。

本稿はその第1回となる。

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デビューシングル”サイレントマジョリティ”大ブレークの陰ですでに生まれていた平手友梨奈と他のメンバーとの溝

22,509人のオーディション応募者から選ばれた22人の欅坂46のスターティングメンバー。
当時まだ中学2年生の14歳の平手友梨奈がその中にいた。

2015年の夏のオーディション、一見すると良く笑う普通の14歳だが、時折見せる憂いのある表情が秋元康総合プロデューサーの目を引いた。

それが平手友梨奈だった。

平手は愛知県北名古屋市の出身だが、故郷や家族のことをほとんど語らない。

イケメンの兄がいることはわかっているが、両親についての情報はほとんどない。

おばあちゃん子であったことと、自分は何も期待されない子供だったことなどをインタビューで語っているぐらいである。

自分を変えたくて応募した欅坂のオーディションだが、ファンに笑顔を振りまくアイドルになりたいわけではなかった。

デビュー前の15年11月14日、欅坂46としてファンを前にした初イベント、お見立て会で彼女はオーディションを受けるまでの経緯をこのように語っている。

”私は人気者になってチヤホヤされたくてアイドルになったわけじゃありません。私は小さい頃からあまり期待して貰えない子でした。抱え込んで悩む自分で何がしたいのか分からない子でした。怖くなって体調を崩す日々が続き、いつもおばあちゃんに励まされながらなんとか生きてきました。そんな時、私は自分を変えたくて応募した欅坂46のオーディションで初めて自分を認めていただけたと感じました。苦しみに打ち勝ってきた姿で私に勇気をくださった(乃木坂46の)白石麻衣さんや生駒里奈さんのようになりたいです。”

「ROCKIN’ON JAPAN」(19年6月号)のインタビューでは、
”早く家を出たかった。それこそ留学も考えていたし‥‥”
と述懐している。

とにかく実家を出たい一心で、留学の準備までしていたが、たまたま兄の勧めで欅坂46のオーディションを受け、予想外に受かってしまったから、上京して寮に入った。

アイドルになれることより寮に入ることこそが彼女にとって嬉しいことだったという。

14歳の女の子が、住み慣れた地元愛知を離れ、海外でも東京でもいいからと実家を出る。

そんな彼女の言葉からは、家庭内でどこか居心地が悪く体調を崩すなど元々非常に繊細で脆い部分を持ち合わせていたことがわかる。

欅坂46としてデビューするためのレッスン中に注意して平手を見ていると、ダンスやボイストレーニングに臨む姿勢が、明らかに他のメンバーとは違っていた。

まるで自分を追い込むかのようなその様子は、いわゆる可愛いアイドルを目指す少女たちとは明らかに一線を画していた。

総合プロデューサーの秋元康はそんな平手友梨奈のインプレッションから想を得て欅坂46のデビューシングル”サイレントマジョリティ”を書き上げる。

この曲のセンターポジションに選ばれたのはもちろん平手友梨奈である。

平手はこの曲の歌詞を見て、その内容が自分とあまりにシンクロしていることに驚愕する。

これは自分のために書かれた曲だと直感したのだ。

秋元はこの曲の振り付けを気鋭のコレオグラファーTAKAHIROに託す。

TAKAHIROもダンスレッスンのころから平手友梨奈に注目していて、秋元から託された”サイレントマジョリティ”を平手友梨奈という素材を通して如何に表現するかに焦点を絞っていた。

そして生まれたのが伝説のシーン、”モーゼ”である。

2016年3月、サイレントマジョリティのMVが公開されるや、その反響は凄まじく、あのセンターの女の子は一体誰だ?という質問がSNS上を駆け巡った。

サイレントマジョリティは、新人アイドルグループのデビューシングルとしては異例の40万枚を超えるセールスを記録する。

欅坂46のデビュー曲として平手友梨奈に当て書きした”サイレントマジョリティ”を採用し、しその振り付けをTAKAHIROに託した秋元康総合プロデューサーの狙いは、まんまと成功したのである。

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そんな経緯とは裏腹に、デビュー直後の平手友梨奈は、笑顔でハキハキとした受け答えをするなど、最年少なのにしっかり者、大人っぽいとの評を受けていた。

しかし華やかな成功の陰で、平手友梨奈と他のメンバーとの考え方の違いが早くも表面化していく。

平手友梨奈はサイレントマジョリティのレッスンに尋常ではない情熱を注ぎ、他のメンバーたちをドン引きさせていた。

可愛い衣装に身を包み、笑顔を振りまきながら歌って踊る普通のアイドルを夢見ていたメンバーたちにとって、サイレントマジョリティは予想外の曲であり、それにのめり込む平手の情熱にはとてもついていけないと感じていた。

センターとはいいながら、グループでは最年少の14歳の平手友梨奈の異常なこだわりに、多くのメンバーが距離を感じたのだ。

しだいに平手友梨奈はグループの中で孤立し始める。

そんな平手友梨奈に寄り添ったのは、遅れてグループに参加した長濱ねるであった。

親の反対で最終審査を受けられずに故郷に戻ったが、どうしても長濱を諦めきれない運営と、ねるのあまりの落ち込みようを心配した両親の願いが一致して、異例のグループ加入が許されたのである。

”自分は裏口入学のようにして欅坂46に参加してしまった”

ねるはそういう想いから離れられず、他のメンバーに引け目を感じていた。

同じように両親の反対に遭いながら、それを必死で説得してオーディションに応募して合格した米谷奈々未からは、”悪いけれどすぐに仲良くはなれない”とハッキリ言われてしまった。

そんなねるの目に、みるみる孤立していく平手友梨奈の様子が映っていた。

ねるは、平手の孤独に寄り添うことに決めた。

それは平手友梨奈のためだけでなく、ねる自身のためでもあった。

欅坂46結成初期の”てち・ねるの蜜月”はこんな風に生まれたのである。

平手とメンバーとの考え方の違いは解消されたわけではないが、平手の想いが自分のわがままからきているのではなく、純粋に表現を突き詰めたいからだとわかって、メンバーが平手に歩み寄る形で一旦は沈静化した。

2016年3月東京国際フォーラムで行われた欅坂46デビューカウントダウンライブにファンは熱狂し、ライブは大成功した。

しかし直後のインタビューで、平手友梨奈はこう語っている。

正直、達成感で泣くことはなかった。
今日はあまり泣けなくて。
だから多分自分的に納得してないんだなと思って。
今も納得していないんですけど(笑)
でもやっぱり最高のパフォーマンスをしたいんですよ。
いや、納得すれば自然に涙が出るんですよ。
いつか来ますかね、そういう日が‥‥。

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デビュー以来センターを続ける平手友梨奈に繰り返されるアンチからの執拗なバッシング

2016年のデビューから最年少でセンターに抜擢されて以降、連続でセンターに選ばれ続けた平手友梨奈に対して、平手以外のメンバーを推す欅坂46ファンが次第に不満を溜め込んでいった。

彼らは、欅坂46のファンでありながら、平手友梨奈のアンチとなり、平手をバッシングの標的にするという歪んだ構図が生まれていく。

アンチからの叩きは執拗に繰り返され、ネット上ばかりか、握手会においても彼女に説教をする者も現れるようになった。

握手会には欅坂46のCDを購入した上でそれに付随された握手券が必要なことから、基本的は会場内には欅坂46のファンしかいないはずで、さらには他のメンバーのレーンも多数ある中で彼女のレーンにわざわざ並んでいるのだから、通常であれば彼女のファンが応援の声を届けてくれるはずの場所だ。

そんな場所でデビューして間もない14、15歳そこらの女の子に、年上の男性が説教をしに来る。

握手会で説教があったとの報告はネット上でしばしば散見されたが、そのほとんどが男性で一部の心無い他メンバーのファンであったり、ただただ彼女を叩きたいためわざわざお金を払って好きでもない欅坂46の握手会に参加した、歪んだ考えを持つアイドルオタクだった。

ただただ平手に、文句や悪口を言い立て、彼女が傷つく言葉をぶつけに来ていたのだ。

それがいかに彼女にとって心痛める苛烈な経験であったかは容易に想像できる。

握手会の具体的な出来事こそ彼女は口にすることはなかったが、ネット上のものを含めた叩きについてはテレビや雑誌でもたびたび苦しめられてきたことを明かしている。

2017年4月のNHK「SONGS」では、次のように語っていて、当時4作連続センターに選ばれていた彼女が、ずっと自信がないままセンターに選ばれ続けていることに葛藤していたことがわかる。

”パフォーマンス含め自分の全部が嫌だ、センターはできない、欅坂46を辞めたいと思ったことがある。
(不協和音のセリフの)『僕は嫌だ』はもう私の心の叫びかなって思ってますね。
(ずっと)センターっていうのはあるし。
やっぱりいろいろファンの人からも言われたり。それはやっぱり傷つくし。
でもそれには負けていられないので、だったらもうやってやるって思ってます。”

平手友梨奈は、折れそうになる心を奮い立たせ、力を振り絞り、笑顔で前を向こうとしていた。

そして、平手友梨奈のパフォーマンスへのこだわりは衰えるどころか、いよいよその度合いを増していく。

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ドラマ”徳山大五郎を誰が殺したか?”撮影中に壊れた平手友梨奈。その才能に圧倒され、平手を聖域化し始めるスタッフやメンバーたち

”サイレントマジョリティ”の成功により、グループの最年少メンバーでセンターである平手友梨奈へのメディアの注目度は一気に高まり、取材やインタビューなどの仕事が激増する。

平手友梨奈に対する取材が明らかに他のメンバーより多いのだ。

平手は、自分ひとりが悪目立ちすることで、他のメンバーたちとの関係が悪化していくように感じていた。

ほんの数カ月前まで、普通の中学生だった平手友梨奈にとってはストレスの溜まる状況が続く。

そんな中でグループ初の連続ドラマ”徳山大五郎を誰が殺したか?”(2016年7月~8月放送)の収録が始まった。


演技経験がまったくないメンバーにとって、収録前のワークショップは苦行でしかなかった。

メンバー全員が出演するドラマで、主役に選ばれたのはもちろん平手友梨奈である。

予算も時間も十分ではない中での収録は過酷を極めた。

教室が舞台であるワンシチュエーションドラマだったことで、窓もないスタジオでの撮影が連日早朝から深夜まで行われた。

わけがわからないまま監督の要求に応え続けたメンバーたち。

この経験がトラウマとなってしまい、演技の仕事はもうやりたくないというメンバーが続出してしまった。

そんな中、平手友梨奈の中で何かが壊れてしまう。

当時の平手を間近で見ていたという欅坂関係者は、

もともとはよく笑う明るい子で、アイドルに向いている子でした。
連日窓もない地下室で、朝から晩までの長時間撮影が続き、多くのメンバーが精神的に参っていました。
平手さんもその1人でした。
握手会も人一倍頑張ってアイドルという職業に真剣に向き合っていましたが、ドラマの撮影途中から平手さんの中で何かが崩れたように人が変わってしまったのです。
突然現場をドタキャンし、撮影が止まったこともありました。

と語っている。

そんな状況だったが、平手は演技面でも非凡な才能の片鱗を見せた。

のちに平手友梨奈が映画”響-HIBIKI-“(2018年9月公開)に初出演にして初主演することが決定した時、”徳山大五郎”の監督だった豊島圭介は、”自分の手で平手主演の映画を撮りたかった。”と述懐している。

平手友梨奈の才能は、クリエイターの制作意欲を掻き立てるのだ。

平手は、2017年3月リリースのAKB48の47thシングル「シュートサイン」の収録曲「誰のことを一番愛してる?」で坂道AKBとしてセンターを務めることになる。

この曲には各グループで次世代エースと呼ばれていた岡田奈々・小栗有以(AKB48)、松井珠理奈(SKE48)、宮脇咲良(HKT48)、齋藤飛鳥(乃木坂46)らが勢揃いし、それぞれのプライドが交錯する見応えのあるMVが完成している。

秋元康総合プロデューサーは平手の才能をさらに開花させるために、平手一人を各所に連れまわし、気鋭のクリエイターたちと接触させていた。

このころから、平手友梨奈と秋元康総合プロデューサーの関係は特別なもので、内外から、秋元康総合プロデューサーのお気に入りだと認知されるようになった。

スタッフや、メンバーの多くが、平手は特別な才能を持つFragile(壊れ物)で、取り扱いに注意を要する危険物でもあると認識し始めたのだ。

平手友梨奈の聖域化は、こうして始まったのである。

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今泉佑唯を卒業へ追い込んだ欅坂の闇と身体と精神のバランスを保てなくなってしまった平手友梨奈

2017年4月13日、平手友梨奈、長濱ねるに続く人気を誇っていた今泉佑唯が、突然体調不良を理由に欅坂46の活動を一時休養することを発表する。

今泉は2017年7月の『欅坂46 夏の全国アリーナツアー』(千葉・幕張メッセ)で一旦復帰する。

8月29日・30日の『全国ツアー 2017 真っ白なものは汚したくなる』(幕張メッセ)で完全復帰したかに見えたが、同年12月28日再び年内の活動休止を発表する。

そして翌2018年8月7日、欅坂46の7thシングル「アンビバレント」の活動をもって欅坂46を卒業することを発表、同年11月4日に京都で行われた個別握手会をもって卒業することになったのである。

最初の休養当時(2017年春ごろ)は、今泉の体調不良の理由は謎だったが、後の週刊文春の取材で、このころにはメンバー間の関係が軋み始めていて、メンバーの中の複数の平手友梨奈信奉者から、平手偏重の体制に抵抗するような発言を繰り返す今泉に対して、”いじめ”にのような仕打ちがあったことが判明した。

欅坂46の闇はこのころから始まったのである。

稀代の天才平手友梨奈の存在が欅坂46に明と暗をもたらしていた。

ドラマの収録が終わって、平手は元に戻ったように見えたが、2017年4月ごろになって、再び身体と精神のバランスを崩すようになってしまう。

この変化の引き金がどんな出来事であったかは、今となっては知る術がない。

さらに、2017年6月に起きた幕張メッセの発煙筒事件がそれに追い打ちをかけた。

2017年6月24日の夜、千葉市美浜区の幕張メッセで開かれた握手会で、札幌市白石区の無職・阿部凌平被告が発炎筒に点火して握手会を中断させる。
阿部被告は果物ナイフも所持していた。
安部被告は警備員に取り押さえられ、110番通報を受けて駆け付けた警察に身柄を確保されたのである。
その後、威力業務妨害と銃刀法違反の罪に問われ、千葉地裁は安部被告に懲役2年、保護観察付き執行猶予3年の判決を言い渡たした。

▼警察が出動して騒然とする発炎筒事件直後の幕張メッセ

その後平手はストーカー・つきまとい行為にも遭い、この事件以降握手会に立つことはなくなった。

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幻となって消えた5thシングルでの初選抜制、今野義雄より平手友梨奈を選んだ秋元康総合プロデューサー

2017年7月のある日、欅坂46とひらがなけやきの全メンバー(欅坂21名・ひらがなけやき11名)32名がSONY本社の一室に集められた。

運営委員長の今野義雄がこう切り出す。

”次のシング ルは“漢字(欅坂46)”と“ひらがな(けやき坂46) ”を合わせた 32人の中から選抜制にします。”

突然の宣言にざわつくメンバーたち。

今野は構わず5thシングルの選抜メンバー18人の名前を読みあげる。

漢字欅から13名、ひらがなからは5名の名前が呼ばれた。

センターとして呼ばれたのは5作品連続となる平手友梨奈であった。

漢字欅では8人が選抜落ちしてしまったのだ。

一方で、漢字欅からわずか数カ月遅れで、アンダーグループとして結成されたものの、ほぼ放置されていたひらがなけやきのメンバーから、初めて標題曲を歌うことができるメンバーが誕生した。

選抜メンバーに選ばれた5人全員が涙を流して喜んだのにはそんな背景があったからだ。

AKB48や乃木坂48では、標題シングルのリリースの度に、毎回行われる見慣れた風景だが、欅坂にとっては初めての経験である。

”今回選ばれなかったメンバーも、腐らずに努力して、次のシングルで選ばれるように頑張ろう。”という薄っぺらなコメントでその場を終えようとした今野義雄に、平手が信じられない言葉をぶつける。

『21人で欅坂なんです。選抜にするなら私はもうやりませ ん』

平手は今野を含めたスタッフたちに対してこう 言い放つ。

平手のこの発言で、場の空気は凍り付いてしまう。

泣いて喜んでいた“ひらがな”メンバーも何も言えな くなり、黙って下を向いてしまった。

この発言が、ひらがなメンバーをどれだけ傷つけてしまうかには、この時の平手友梨奈には思いが及ばなかった。

ただただ欅坂46のメンバーを守りたいと思っただけである。

はじめはシーンとしていたが、選抜入りした欅坂メンバーからひとり、またひとりと平手の意見 に賛同するメンバーが現れる。

次々に『私もそう思いま す』『私も!』と声を上げたのだ。

今野を筆頭に、スタッフたちは懸命に平手らを説得したが、話はまとまらない。

あくまでも納得しない平手は『秋元さんと話してくる』と言ってその場を去ってしまった。

あとになって、秋元氏から通達があり、結局、これまで通り、欅坂46メンバーだけで5thシングル「風に吹かれても」をリリースすることが決定した。

秋元康総合プロデューサーは、平手の意見を優先し、、今野ら運営の漢字ひらがな合同選抜のプランを否定したのである。

50歳を超えた運営のトップの方針が、わずか16歳の少女の発言によって覆された。

今野の面子を立てれば、平手は欅坂の5thシングルでセンターには立たない。

欅坂46のビジネスとしてそれはありえない選択である。

欅坂46がここまでの人気グループになれたのは、稀代の天才パフォーマー平手友梨奈がいたからこそである。

今野にもスタッフたちにも、欅坂やひらがなけやきのメンバーでさえもそれを理解していた。

今野は秋元康総合プロデューサーの決断に従わざるをえなかった。

今野に選択の余地はなかったのだ。

今野の屈辱と怒りは想像に難くない。

そしてひらがなけやきメンバーの絶望も図りしれないものとなった。

平手と今野の信頼関係は崩れてしまい、後に遺恨を残すこととなる。

平手が選抜制導入を拒否したのは何故か?

その一番の理由は、欅坂46のメンバー間の絆をこれ以上壊したくなかったからだ。

平手友梨奈一強体制が続く中で、平手以外のメンバーは自分達がグループにいる意味を見失いかけていた。

それでも多くのメンバーは平手友梨奈の才能に頼り、平手を尊重する運営の方針に従おうと決めていた。

今泉佑唯らの極く少数のメンバーだけが、そんな現状に苛立ちを感じていた。

グループ内の空気は停滞し、表現の追求にますますのめり込んでいく平手についていけないと感じるメンバーも出始めていた。

そのことについて平手は、その大部分について自分の責任だと思っていて、大きな負い目を感じていた。

平手は、そういう中での選抜制の導入は、メンバー間の信頼関係を完全に崩壊させてしまうと感じたのだ。

だから今野の方針に反対した。

それは、平手の欅坂46というグループに対する愛情の発露であり、メンバーに辛い思いをさせ続けてきたことへの贖罪でもあった。

この結果は、メンバーの平手頼みをさらに加速させ、メンバーたちは今野を軽んじるようになってしまう。

平手友梨奈vs今野義雄、初戦は平手の圧勝であった。

しかし、このことで平手はますます病んでいくことになる。

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FNS歌謡祭 楽屋号泣事件は何故起こったのか~ひらがなけやきメンバーの絶望と引き換えに手に入れた漢字欅の全員選抜~

2017年12月17日に生放送された2017 FNS歌謡祭 第2夜(フジテレビ系)の本番直前にある事件がが起こる。

それは本番30分前に起こりました。
平手さんが楽屋で待機しているときに突然泣き出したんです。
そこにスタッフ含め関係者全員が集まり、事情を聞いてみると、
『私、出演した方がいいですか? 今日出たくないです。笑ってパフォーマンスしたくないんです』
と平手さんが言い出した。
本番30分前でバタバタしていましたが、スタッフメンバー総出で必死で説得しました。
番組では5枚目のシングル『風に吹かれても』を披露する予定でした。
欅坂46の5thシングル”風に吹かれても”は、今まで”笑わないアイドル”と言われていた欅坂46が笑顔を初めて解禁した話題の曲でした。
生放送なので番組に穴が開いてしまうという状況に追い込まれたスタッフが、
『では、今日は笑顔じゃないバージョンでいきましょう』
と取り成して、なんとか出演にこぎつけましたが収まりましたが、曲のコンセプト度外視で、メンバー全員笑顔を見せないよう指示をしてのパフォーマンスになってしまったのです。(番組関係者の証言)

▼風に吹かれてものMVでは笑顔を見せていた平手友梨奈

実際、当時の映像を検証すると、メンバー全員が笑顔を見せず、真剣な表情でパフォーマンスをしていることがわかる。

特に平手はうつむき加減で暗い表情だ。

”風に吹かれても”のMVでの笑顔と比較すると、表情の違いは一目瞭然である。

平手は何故、5thシングル”風に吹かれても”を笑顔で歌うことができないと言ったのか。

それは5thシングルでの選抜制導入に反対し、その結果としてひらがなメンバーの選抜入りの機会を潰してしまったことに責任を感じていたからだ。

平手は、ひらがな1期生11名が漢字欅への昇格の道が見えない中で頑張っていることを知っていた。

それなのに自分は欅坂メンバーを優先して、ひらがなメンバーを傷つけてしまった。

5thシングルで漢字欅の全員選抜は、ひらがなメンバーの絶望と引き換えに成立している

そう思うと、この曲を笑顔で歌うことなどできないと思ってしまったのだ。

これ以降平手は、思うようなパフォーマンスができなくなることが多くなっていく。

その度にSNSは炎上し、アンチによる平手友梨奈叩きが加速した。

俯いたままでのパフォーマンスを”プロとして失格”と批判し、握手会などのイベントを欠席したりすることを「やる気がない」、「サボり」、「センターで優遇され天狗になっている」と罵倒し、カメラが怖くうまく笑えなかったり俯いていたりする平手を「無愛想」、「生意気」などと叩き続けたのである。

その一方でスタッフやメンバーは、平手の一挙手一投足にピりつくようになっていく。

すべては平手の体調やご機嫌次第、平手がYesと言わなければ、何事も進まなくなってしまったのだ。

これは異常な状況ではあるのだが、一方的に平手が悪いわけではない。

平手とスタッフの意見が衝突する多くの場面で、平手の主張の方が正論であり、より良いパフォーマンスを実現するための主張だったからだ。

時間と予算の制約の中で、スタッフが諦めてしまったことや、メンバーの努力が足りなくてパフォーマンスの質が下がってしまったことに平手友梨奈は納得がいかなかったのだ。

だからスタッフもメンバーも、平手の意見に正面切って反対することはできない。

平手がへそを曲げてしまえば、仕事に穴が開いてしまう。

こうして平手に対等に意見を言えるのは、秋元康総合プロデューサー一人だけという異常な状況が生まれてしまったのである。

ただ断っておきたいのは、仕事を離れれば平手はメンバー最年少の妹キャラで、多くのメンバーから愛されていた。

普段から平手とメンバーが不仲だったわけではない。

そして多くのメンバーが平手のたぐい稀な才能を畏怖し、全身全霊をパフォーマンスに捧げる平手をリスペクトしていた。

平手のパフォーマンスに対するこだわりは日に日に強まっていき、リミッターを外した極限のパフォーマンスは、ファンを熱狂させ、多くの賞賛を獲得した。

しかしそのことが、自身の身体と精神のバランスを崩してしまうという悲劇につながっていくのである。

一方で今野は、欅坂46への選抜制導入を諦めたわけではなかった。

欅坂46をビジネスとして継続していくためには、選抜制の導入は不可避だと今野は考えていた。

女性アイドルグループを長く続ければ、年長メンバーの卒業は必ずやってくる。

その時に補充するメンバーを常に一定数確保していなければならない。

そのために必要なのがアンダーグループである。

ひらがなけやきは、漢字欅のアンダーグループとしての位置づけで結成されたはずだった。

ところが、平手友梨奈がそれを拒否したことで、今野の目論見は崩れてしまう。

5th選抜事件で、ひらがなけやきメンバーの漢字欅昇格に対するモチベーションは大きく下がってしまった。

幸いひらがなけやきには新たに2期生として9名が加入、しかもビジュアル面でも、パフォーマンススキルについてもポテンシャルが高いメンバーが揃った。

そして1期生はメンバーの性格が素直で温厚、しかも明るい。

今野はひらがなを第3の坂道グループとして育てていくことを決断する。

一方で漢字欅の今後については、じっくりと秋元康総合プロデューサーと話し合って、平手に選抜制導入を認めさせる方法を探ることにしたのであった。

平手友梨奈story  #2 に続く

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