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潮紗理奈はいかにして”日向坂46の聖母”になったのか~潮紗理菜の卒業に寄せて~

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潮紗理奈はいかにして”日向坂46の聖母”になったのか~人は傷ついた分だけ優しくなれる~

2023年9月14日、日向坂46 1期生の潮紗理菜が、11月8日に発売する日向坂46のセカンドアルバムの活動をもってグループから卒業することを発表した。

2016年5月8日にお披露目された”けやき坂46”一期生11人のひとりとしてアイドルデビュー。

潮紗理菜は優しい人柄と愛されキャラで、”なっちょ”の愛称で長く親しまれ、メンバーやファンへの気遣いから”日向坂46の聖母”とも呼ばれた。

卒業後の活動についてはまだ決まっていない。

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言葉で人は傷つき、言葉で人は勇気づけられる

潮紗理菜は、神奈川県出身で1997年12月26日生まれの25歳。(2023年9月現在)

潮紗理菜は、乃木坂46結成時からの古参ファンで、白石麻衣や西野七瀬の握手会にも通っていた。

アイドルへの憧れは強かったが、自分自身はアイドルになれるとは思っていなくて、乃木坂2期や欅坂1期生のオーディションにも応募しなかった。

2015年12月、地元の私立横浜翠陵(すいりょう)高校の3年生だった紗理菜はすでに11月には学校推薦での大学進学が決まっていて、のんびりした冬休みを過ごしていた。

小1から続けてきたクラシックバレエも、高校3年生になった時に辞めていたので、何もすることがなく、大学受験の大詰めを迎えているクラスメートを見ながら、”私も何かしなくちゃ”と考えていた。

”そんなに乃木坂が好きなら、オーディション受けてみたら?”

そんな時、紗理菜が大の乃木坂46ファンだということを知っていた親友が、同じ〝坂道シリーズ〟である”けやき坂46”のオーディションを勧めてくれた一言がその後の彼女の運命を変えることになる。

紗理菜が”けやき坂46”のオーディションに応募することを決めたのは、締め切りの前日12月30日であった、

翌12月31日の大晦日、潮紗理菜は時計の針をにらみながら携帯に文字を打ち込んでいた。

その日の23時59分に締め切りを迎えるけやき坂46のオーディションのWeb応募フォームに必要事項を記入していた。

毎年家族で見ていた”NHK紅白歌合戦”も乃木坂46だけを見て、あとは部屋にこもって何度も文章を作り直し、ようやく送信したのは締め切りの数分前であった。

それでも自分がアイドルになれるとは思っていなくて、思い出づくりのための”記念受験”のつもりであった。

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アイドルになることが私の運命だったという勘違い

はからずも1次審査、2次審査に合格してしまい、2016年の春が来て大学に入学した頃、インターネット上の配信サービスSHOWROOMで候補者による個人配信が行なわれることになる。

このとき、紗理菜のことを心配した両親からはこんなことを言われた。

”大学に入ったばかりなのに、ネットで顔を出して落ちたらどうするの。”オーディションに落ちたコだ”って学校に広まったら、新しい友達ができなくなるかもしれないよ”

紗理菜と同様、親も彼女が合格するとは思っていなかったのだ。

紗理菜は親の言うとおり顔出しはせずに配信し、続く最終審査にも”これからアイドルになるコを見に行く”つもりで参加した。

だが、潮はこの最終審査にも受かってしまう。

書類の応募総数から数えると実に倍率1,000倍を超える狭き門だった。

しかしこの段階でも両親から強く反対されてしまう。

”アイドルになって人前に立ったら、傷つくこともいっぱいあるんだよ。紗理菜には大学を卒業して安定した仕事に就いて、普通の幸せを手に入れてほしい。”

両親が言うことはもっともだと思った。

ここで辞退したほうが自分の人生にとってはいいのかもしれない。

だが、このときの潮にはどうしても親の言うとおりにはできない理由があった。

オーディションの途中、彼女はひとりの候補者と仲良くなっていた。ある段階で、自分が審査に通過してこのコが落ちたとき、こんなことを言われた。

”絶対にアイドルになって、私の分まで頑張ってね”

実は、このとき潮はひとつ勘違いをしていた。

オーディションというものは合格者の数が最初から決まっていると思い込んでいたのだ。

つまり、自分が合格した分、誰かが落ちているのだと思っていた。

今となっては勘違いだとわかるが、潮はあの仲良くなった女の子やほかの多くの候補者たちに対して責任を感じていた。

そしてほかの誰でもない自分が受かったことには何か意味があるんだと考えるようになる。

”きっとこれは私の運命なんだ。その運命を受け入れて、ほかの子の分まで頑張るのが私のやるべきことなんだ”

そして紗理菜は両親を説得し、けやき坂46のメンバーになったのである。

だが、彼女の両親が懸念していたことはすぐに現実になってしまう。

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アイドルになったことを後悔した日々

人は言葉で傷つき、言葉で励まされる

最終審査から数日後、新しくけやき坂46のメンバーになった11人の写真が公開された。

これは最終審査の日に撮られたもので、髪型もメイクも表情も素人っぽさを感じさせるビジュアルだった。

やはりファンの反応が気になってしまい、大学にいるときに携帯で自分の名前を検索した潮は、そこに並んでいた言葉に衝撃を受けた。

なんでアイドルになれたの?

このコがけやきに入った意味がわからない

私のほうが向いてる……etc.

なかには、今まで生きてきたなかで言われたことがないようなひどい言葉もあった。

後に、中学の頃に仲が良かった友達まで自分のことを悪く言っていることを知った。

それからは、地元でも知り合いに会わないように俯いて歩くようになった。

彼女自身は、影で悪口を言うという発想さえなかった性格だけに、強いショックを受け、人間不信に陥りかけた。アイドルになってから初めて知る苦しさだった。

このままだと自分が壊れる――。

スタッフと面談したとき、彼女は泣きながら訴えた。

”もうダメです。耐えられません。……辞めさせてください”

それに対してスタッフはこう答えた。

”今の乃木坂のメンバーも、みんな最初はそう言って泣いてた。でも、ひとつだけ言えるのは『あのとき辞めなくてよかった』『続けてよかった』って思える日が絶対に来る。ここで辞めるのは簡単だけど、もう一度戻ってくるのは簡単じゃない。だからもう少しだけ頑張ろう”

根が素直でまじめな潮は、この言葉を聞いて踏みとどまった。

ネットを見てもネガティブになってしまうだけなので、自分に関する情報は遠ざけた。

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アイドルとしての喜びを知って前向きになれた紗理菜

けやき坂46の活動が本格的に始まると、潮にもアイドルの楽しさがわかってきた。

もともと話すことが好きだったので、インタビューをしてもらったり握手会でファンと話すことがとても楽しく感じた。

何より、ダンスはほかでは得られない喜びを与えてくれた。

もともとバレエに打ち込んでいた潮は、踊ることが大好きだった。

普段はにこにこしているのに曲が流れるとスイッチが入り、クールにも情熱的にも踊ることができる彼女の表現力に、ほかのメンバーはみな感心してくれた。

欅坂46のメンバーを兼任し、平手友梨奈らと一緒にステージに立っていた長濱ねるでさえ、踊っているときの潮の表情の豊かさ、見せ方のうまさには驚かされた。

アイドルとしての自分にコンプレックスを感じていた紗理菜の心に一筋の光が射した。

けやき坂46だけでステージに立った”ひらがなおもてなし会”は本当に楽しかったし、これから持ち曲も増えてもっとたくさん踊れると思うとうれしくて仕方がなかった。

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忘れられてしまった”ひらがなけやき” 潮紗理菜が”聖母”と呼ばれるきっかけ

だが、”おもてなし会”の後の数ヵ月、けやき坂46にはほとんど活躍の場がなかったのだ。

平手友梨奈と運営や、平手と他のメンバー間の信頼が崩れつつあった欅坂46の立て直しに、スタッフはかかりきりで、その間ひらがなけやきはずっと放置され続けた。

欅坂46と一緒に出た年末の『FNS歌謡祭』では照明も当たらず、録画した映像を見返しても自分の顔さえ判別できなかったときは、苦しくて辛くて、自分が恥ずかしくなった。

”ひらがな(けやき坂46)ってなんなんだろう。私たち、漢字さん(欅坂46)と一緒にやらせてもらってる意味あるのかな。もうお払い箱になっちゃうんじゃないかな”

この時期、家にいるときは毎日のように泣いた。

一度不安が頭をもたげると涙が止まらなくなり、眠れない夜もあった。

だが、潮はほかのメンバーの前では決して涙を見せなかった。

”みんな今の状況に不安を感じてる。でも、こんなときこそ誰かが笑顔でいなきゃいけないんだ。泣いてるより笑ってるほうが人を元気づけられるから”

笑顔には人を前向きにさせる力がある。そのことを彼女は乃木坂46から学んだ。

どんなときも感謝を忘れずに笑顔で頑張っていれば、きっと誰かがそれを見てくれているということも。

ほかのメンバーを鼓舞するように、潮はレッスンでも仕事の現場でも努めて明るく振る舞った。

紗理菜は悩んでいるメンバーに近づいては声をかけた。

言葉で傷ついたことがある紗理菜は、言葉が人を勇気づけ、奮い立たせることもよくわかっていた。

ダンスで困っているメンバーとはマンツーマンで練習に付き合った。

”おもてなし会”から5ヵ月たった2017年3月、けやき坂46だけの単独ライブが行なわれることになった。

そこで”面白いから”という理由で、ダンスが最も苦手なメンバー井口眞緒が二人セゾンのソロパート(欅坂46では平手友梨奈が踊っていた)に指名されるという事件が起こる。

このときスタッフは”もとからダンスがうまいメンバーが踊るよりも、ダンスの苦手な井口が一生懸命に練習して踊ったほうが面白いじゃない。その姿が人を感動させるんじゃない”と伝えたつもりだった。

しかし、井口や他のメンバーの頭の中には”面白い”という言葉だけしか残らなかった。

追い詰められてわんわん泣く井口を見て、明るく振る舞ってきた潮も泣いてしまった。

自分のことは我慢できても、他人のことになると気持ちが共鳴して抑えられなかった。

そしてここから、井口のための秘密特訓が始まった。早朝にふたりだけで集まり、ステージで踊る曲を何度も何度も練習した。井口から見て潮はすでにこれ以上ないくらい完璧だったが、井口のほうはリズムを取ることさえ苦労するありさまだった。

井口が毎回振り付けを忘れてしまうポイントがあった。

ここをなんとか間違えずに踊る方法はないか考えた結果、そのポイントに来たときに潮がウインクで合図を送ることにした。

そうすると、なぜか井口もスムーズに振り付けを思い出せるのだ。

このウインクのおかげで、ライブ本番も井口は振りを間違えずに踊ることができた。

これに安心した潮が”もう覚えたから大丈夫だよね?”と言うと、井口はこう答えた。

”ううん。これからも紗理菜ちゃんにウインクしてほしいの。踊ってるときに紗理菜ちゃんの顔を見ると、元気が出るの”

このふたりだけの秘密の合図は、その後何度もステージ上で交わされたのだ。

これが潮紗理菜が”日向坂46の聖母”と呼ばれるきっかけである。

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ハッピーオーラはひらがなけやきの使命

潮紗理菜に助けられたメンバーたち

この頃から、業界人の間である評判が交わされるようになった。

”ひらがなの子たちは、みんな明るくて積極的だね。一緒に仕事をしていて気持ちがいいよ”

しかし、彼女たちを外からも見れる立場だった長濱ねるなどからすれば、けやき坂46のメンバーはもとから明るいわけでも積極的なわけでもなかった。

むしろ泣き虫で根はネガティブな女のコばかりだった。

ただ、結果を出すための機会もほとんどなかった彼女たちにとって、無理にでも自分を奮い立たせて目の前の仕事に取り組んでいくことは、活動を続けていくためにできる唯一のことだった。

そしてそんなけやき坂46の姿勢を象徴するのが潮紗理菜の生き方だった。

混乱が続く欅坂46と訣別し、欅坂46のアンダーグループから脱却したひらがなけやき坂46。

2017年8月、ひらがなけやきに2期生11人が加入する。

平手友梨奈の怪我で急遽行われることになった”ひらがなけやき日本武道館3Days!!”の準備は過酷を極めた。

大学の卒業論文の追い込みと重なってしまった加藤史帆は、毎日が忙し過ぎて、当時のことはほとんど覚えていないという。

そんな加藤を紗理菜は励まし続けた。

加入して半年も経っていない2期生たちも、必死で先輩たちについていくのに精いっぱいだった。

紗理菜は2期生たちにも積極的に声を掛け続けた。

4期生たちがグループに参加したばかりの不安な時期に、紗理菜は”日向坂に出会ってくれてありがとう”というメッセージを送って、4期生たちを感激させた。

キャプテンの佐々木久美は、紗理菜についてこう語っている。(2023.9.23のブログ)

どんな時もいいところを見つけて
笑って励ましてくれて
心強い言葉をくれるんです
なっちょの言葉には魂が宿っていて
私を強くしてくれる。
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金村美玖が潮紗理菜から教えられたこと

2023年9月17日金村美玖のブログ(抜粋)

タイトル:さりなちゃん

さりなちゃん。
と呼べるようになったのは、ずっと前の話。

一番最初の思い出は、やっぱり握手会!
さりなちゃんの握手会は本当にすごいんですよ!
初めてのペアレーン。さりなちゃんと一緒でした。

本当優しい方ばかりで、ファンは推しに似るっていう言葉は本当なんだ!と思った記憶があります。
その後も先輩×後輩のペアになる時は、さりなちゃんと一緒になることが多く,(中略)多分、私が精神的に幼かったので、マネージャーさんから見て学ぶように!という教訓が込められていたのかなと思います。

1番先輩と馴染むのが遅かった私でしたが、さりなちゃんはいつも笑顔で話して下さって。だんだん素の自分を出せるようになりました。

後輩が増えていくにつれて、受けていた愛の偉大さが増していき、さりなちゃんほど完璧ではないけれど、この想いを繋げていこうと思うようになりました。

さりなちゃんに貰った幸せな気持ちや笑顔。限られた時間ですが、恩返しがしたいです。
そんなそんな!いつも貰ってるから大丈夫よ〜!って言われちゃう気がしますが、真正面から受け取って欲しいです!
ずーっと幸せを願っています。

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いつしか聖母と呼ばれるようになった潮紗理菜

そんな紗理菜を、いつしかメンバーたちはひらがなけやきの”聖母”と呼ぶようになっていく。

ダークな楽曲で社会現象まで引き起こした欅坂46とは対照的に、ひらがなけやきは”ハッピーオーラ”をファンに届けることを自らの使命にしていた。

その思いは見事に結実して、”ひらがなけやき日本武道館3Days!!”は大成功の内に終り、”ひらがなけやきの伝説のライブ”と呼ばれることとなった。

ひらがなけやきから日向坂46に改名してからも、潮紗理菜の”聖母”キャラは変わることなくメンバーから愛され続けてきたのだ。

人は傷ついた分だけ優しくなれる

振り返ってみれば、潮紗理菜のアイドル人生において、優しい言葉で励まされたことより、容赦ない言葉で傷つけられたことの方が多かったように思う。

それでも、ファンやスタッフ、メンバーたちからかけられた優しい言葉は、紗理菜を勇気づけ、明日も頑張ろうと思わせてくれた。

それらの言葉は、今でも紗理菜の心の中で宝石のように輝きを放ち続けている。

そのことに気づいた紗理奈は、困っていたり、悩んでいたりしている人がいたら、すぐに駆け寄って励ましの言葉をかけようと心に決めたのだ。

人は傷ついた分だけ優しくなれる。

否、潮紗理菜は自分が傷ついた以上の優しさを、ファンやメンバーに返している。

これが潮紗理菜が”日向坂46の聖母”と呼ばれる所以なのだ。

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