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与田祐希物語~ファンからもメンバーからもスタッフからも愛された与田祐希、天真爛漫・自由奔放な唯一無二のアイドル~

アイドル

与田祐希 乃木坂46からの卒業を発表!自由奔放なアイドル与田祐希は乃木坂46の”ダイバーシティ”(多様性)の象徴であり、メンバーの”癒し”でもあった

アイドルというフィールドは、与田祐希にとって少し狭すぎたのかもしれない

2025年1月5日、乃木坂46の3期生で、人気メンバーの1人与田祐希が公式ブログでグループからの卒業を発表した。

2025年2月22・23日の2日間にわたって、故郷である福岡の”みずほPayPayドーム”で開催される与田祐希卒業コンサートをもって8年間のアイドル生活に終止符を打つ。

2016年9月4日、16歳(高校1年)で乃木坂46の3期生オーディションに合格、2017年8月9日リリースの18thシングル”逃げ水”のセンターに同期の大園桃子(与田より1歳上)とWセンターに抜擢され大号泣してしまった与田祐希。

天真爛漫なキャラクターと低身長なのにグループ屈指のグラマラス体型というアンバランスな魅力に溢れていた。

誰にも変わらぬ自然な態度で接し、相手に気を遣わせない与田の優しさはは多くのメンバーの傷を癒やし、心の拠り所になっていく。

瞬く間に人気メンバーとなり選抜メンバーの常連となった。

2000年5月5日生まれの与田祐希は2025年1月現在で24歳。

16歳で乃木坂46の3期生となってから8年あまりが過ぎ、ついにアイドルを卒業する決断をした与田。

乃木坂46におけるセンター経験者は24歳で卒業しがち(11人中7人目)という都市伝説がまた発動する形となった。

(参考) 24歳で卒業したセンター経験者7名:西野七瀬、生田絵梨花、齋藤飛鳥、橋本奈々未、山下美月、堀未央奈、与田祐希。

8年間のアイドル人生を自由奔放に駆け抜けた与田祐希の24年間を振り返って、記録と記憶に残したい思う。

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与田祐希 乃木坂46からの卒業をブログで報告 (抜粋)

タイトル:たのしかったー!!

そして新年早々皆様にご報告があります
2月22日、23日
みずほ PayPayドーム福岡での卒業コンサートをもちまして
乃木坂46を卒業します!
何から書いたらいいんだろう
いろんな想いがあるけれど、こうやって改めて文章にするのは難しいですね
ちょっと長くなってしまうかもしれないけど
お付き合いいただけたら嬉しいです!
もともと何があっても5年は絶対に続けるという覚悟で乃木坂46に加入して、
今年で9年目になりました。
こんなに長く物事が続いたのは私史上初めてです!
そしてここまで続けてこられたのは家族、 ファンの皆様、 メンバー、スタッフさん
乃木坂46に入った事で出会えた数えきれない大切な人たちのお陰です。
まずはそんな皆さんに心から感謝を伝えたいです。
本当にありがとうございました!
正直に言うと、
大好きな同期と可愛い後輩と信頼できるスタッフさんと優しいファンの皆様に囲まれて頑張るこ
とが出来る有り難い環境
ずっとここに居ればきっと楽しいんだろうなと思います

でもいつかはそんな居心地のいい場所から一歩踏み出さないといけない
これ以上先延ばしにすると、私は甘えてしまうと思いました。
振り返ると、 辛くて辞めたい時期も
辞めたら楽になれるかもって思った事もあります。
東京に行ってみたいという理由で飛び込んだ世界は
想像していた以上に責任や重圧があって
その有り難さや怖さを痛いほど思い知りました。
初めての感情にたくさん出会って
戸惑った日もあったけれど
今ではこの場所が1番居心地が良くて楽しくて
大好きです。
だからこそ、 次のステージに進みます!
自分の中で今が1番楽しい!って思えた時に卒業できたら幸せだなって思ってた
今がその時でした
ファンの皆さんに
いつか私が発表する時までは卒業とかあまり考えずに見守っていて欲しいと言った事がありま
す。
ずっとドキドキさせてしまってたかな
ごめんね
でもメンバーにも、ファンの皆さんにも
寂しいって言ってもらえる度に
胸がきゅっとなるけど
ちょっと嬉しくもありました。
なにもなかった私が誰かにとって必要な存在になれたのならば
それはアイドルとして人として
すごく嬉しい事だなって
幸せ者だなって。
そしてファンの皆さんは、私に対してアイドルとしてもっとこんな姿を見たかったとか
たくさん応援してきてくれたからこそ期待の全てには応えられなかったかもしれないです。
そうだとしたら申し訳ないなという気持ちはあるけれど、
私自身乃木坂46として過ごしてきた今日まで
一つも悔いはなくて
全ての経験が今の私を作る上で必要なことだったと思っています。
そしてこの卒業は終わりではなくて、 再スタートだとも思っています。
これからも応援してくださる皆様の想いに応えられるように
恩返しできるように
地に足をつけて精一杯頑張るので
これから先の未来も楽しみにしていただけたら嬉しいです!

乃木坂46としての活動は残り1ヶ月半くらいですかね
有難いことに曲も作っていただくことになったので
どういう形でみなさんにお届けできるか、楽しみにしていてください!
日々噛み締めながら
ひとまず2月の卒業コンサートまで走り抜けたいと思います!
たくさん思い出つくろうね!
最後に
私にとって大切なものをくれて
大切な人達と出会わせてくれた乃木坂46に心から感謝しています
かけがえのない8年半でした。
今まで歩いてきた道を振り返ると、
これから歩む道も安心して進んでいけるような気がします
卒業発表のプログ、考え始めるまでは不安だったけど
なんか意外とスラスラ書けました
よかった!
でもちゃんと伝わってるかな
伝わってるといいなぁ
書き残したことがあったら
また投稿しますね

まだあと1ヶ月半あるから
大切に大切に過ごしたいと思います。
それでは
最後まで読んでくれてありがとうございました
またね!

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与田祐希 卒業のお知らせ 2025.01.05

与田祐希ですが、 先ほど本人のブログにて発表させていただいた通り、 乃木坂46から卒業することになりました。
2025年2月22日 (土)、23日(日) に、 みずほPay Payドーム福岡にて開催する卒業コンサートをもって卒業いたします。
チケット販売等、 卒業コンサートの詳細に関しましては、追って公式サイトよりお知らせいたします。
今後とも、与田祐希、 乃木坂46の応援のほどよろしくお願いいたします。

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第1章 生い立ち~島育ち与田祐の原点~

2000年(平成12年)5月5日生まれ。
名前の”祐希」”は父親と母親の名前からとられた。
福岡県にある人口1600人たらずの島・志賀島で生まれた与田は16歳までそこで過ごした。
家族、大好きな犬、猫、ウサギ、ヤギ……たくさんの動物と大自然に囲まれ、海で泳ぎ、木登りにいそしむ活発な少女として健やかに育った。
家の目の前に小学校はあったが、あえてバスで30分ほどのところにある小さな小学校に通った。
当時の全校生徒は21人で、うち同級生は4人。
小学生の頃は活発で、海に行って魚を獲ったり、山に行って木に登っては落ちたり、ミミズを集めた数を競い合うような子供時代を過ごした。
憧れていた先輩に誘われてヒップホップダンスを4年間習った。
中学校では女子しか部員がいないテニス部に入ったが、テニスの練習よりアイドルの曲を歌ったり踊ったりすることの方が多かった。
このころに乃木坂46を知り、好きになった。
アイドルとしてはいささか個性的に過ぎる与田祐希のライフスタイルは、この16年間で培われたものだと言ってよいだろう。
中学卒業の時期になって、自分にはこれといった目標がないことに気づき、たまたまそのころに乃木坂46三期生オーディションがあることを知る。
アイドルが好きで、なりたいという気持ちがあったので、受けなかったら後悔すると思い、ダメ元で応募した。
2016年(平成28年)9月4日、48,986人の応募者の中から合格したのはわずか12名だったが、与田はその中に選ばれた。
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第2章 乃木坂46の三期生となった与田祐希

2016年12月10日、乃木坂46 3期生”お見立て会”(日本武道館)が開催され、与田祐希ら12名は乃木坂46の3期生としての第一歩を踏み出す。
”お見立て会”のミニライブで披露された3曲では、大園桃子(命は美しい)、山下美月(ガールズルール)、と与田祐希(裸足でSummer)の3人がセンターを務めた。
運営が期待するメンバーの1人だった。
特技披露企画で与田は、小学校1年生から乗っていた一輪車乗りのパフォーマンスを軽やかに演じてファンの喝采を浴びた。
この日発表した自身のキャッチフレーズは、”ちっちゃいけれど色気はあるとよ!”であった。
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これまでにないタイプの乃木坂46メンバーとしてファンの人気を獲得して選抜メンバーの常連として定着

18th”逃げ水”でいきなり表題曲のセンターに抜擢され、重圧に押し潰されそうになった与田。
19thシングル”いつかできるから今日できる”が、映画&舞台”あさひなぐ”のプロモーションのためのシングルで、映画版・舞台版ともにキャストから外れていた与田(を含む3期生全員)は19thシングルの選抜メンバーから外れた。
これが結果的に良い休養になって、心身を立て直した与田は持ち前の明かるさを取り戻す。
自由奔放で天真爛漫、これまでの乃木坂メンバーとは一味も二味も違う個性を持つ与田のキャラクターは、ファンに好感を持って迎えられ、人気メンバーへと駆け上がっていく。
20thシングルから卒業を決めた37thシングルまで連続20作、通算20作品で選抜メンバーとなっている。
現役最多で、歴代でも10位に並ぶ記録である。

第3章 通算20回の選抜入り、10度のフロントという輝かしい記録を持ちながら卒業センターとはならなかった与田祐希

ファンからの支持も絶大だった与田が、表題曲のセンターに立ったのはデビュー直後の18thシングル”逃げ水”だけというのは意外な気もする。
その理由は2つある。
その一つは3期生のエースの座を山下美月に奪われてしまったことと、後輩の4期生に遠藤さくらや賀喜遥香といういかにも乃木坂46のパブリックイメージと重なるエース候補が現れたためだ。
天真爛漫・自由奔放という与田の個性は、”清楚で儚げ”という乃木坂46のパブリックイメージから外れていて、どこまでも異端だった。
そしてもう一つの理由は、2022年12月の文春砲である。

与田祐希を襲った文春砲~パーソナルジムスキャンダル~

8年間のアイドル人生で、与田が犯した唯一の失敗が”パーソナルジムスキャンダル”である。
選抜常連となってオンラインミート&グリートの早期完売を続けた与田は、秋元真夏・齋藤飛鳥・鈴木絢音・岩本蓮加・梅澤美波・山下美月らとともにその責務を免除されるという待遇を得る。
元々身体を動かすことが好きだった与田は、お金と時間を持て余した結果、多くの時間をトレーニングに費やすようになる。
知り合いに紹介されたパーソナルジムにハマり、週6日も通うようになってしまったのである。
そこにいた29歳のイケメントレーナーと意気投合した与田は、2人で整骨院に行ったり、隠れ家的なレストランで2人きりで食事をしたり、深夜までシーシャバーで過すまでになってしまう。
そしてそれらが週刊文春の知るところとなり、2022年12月、いわゆる文春砲に見舞われたのである。
▼その経過はこちらの記事で。
https://susumu2009.xsrv.jp/NTR/idol/yodayuuki-scandal/
西野七瀬・白石麻衣・そして齊藤飛鳥の卒業も決まって、エース格のメンバーが不足してきた乃木坂46にあって、9回もフロントに立ちながら、18th以来5年以上センターから遠ざかっていた与田に、そろそろ2度目のセンターの声がかかろうかという時期での文春砲であった。
文春砲以降、与田は同期の山下美月の卒業センター曲である35th”チャンスは平等”を除いて、ずっと2列目に甘んじることとなる。
37thでの卒業を発表した与田は、現役最多である20回の選抜入りという輝かしい記録を持ちながら、卒業センターという勲章を得ることができなかったのだ。
 

与田の卒業を惜しむ声

ファンからもメンバーからも愛された与田祐希。

メンバーのグループLINEでスタッフが、”これから与田が卒業を発表するブログを公開します”と連絡すると、キャプテンの梅澤美波から、”やめて! 取り消して! ムリ! ヤダ!”という悲鳴のようなLINEが与田に届いたという。

梅ちゃんがそんなことね 言ってくれるなんて思わなかったから嬉しかった”と与田は語った。

滅多に弱音を吐かない”圧が強い”キャプテン梅澤美波が、どれほど与田を頼りにしていたかがわかるエピソードだ。

もともとそれほど口数が多い方ではない与田だが、落ち込んでいるメンバーにもいつもと変わらない態度で接し、何も言わず寄り添う。

だから言葉はなくても、与田と一緒にいるだけで癒やしになるのだ。

天真爛漫・自由奔放に振る舞いながら、その自然な態度がそのまま癒やしになっているのが与田祐希という人なのだ。

卒業記念の3冊目の写真集”ヨーダ”をリリース

17歳でリリースした1st写真集”日向の温度”は、累計で10万部を超すヒットを記録した。

19歳の姿を収めた2nd写真集”無口な時間”は、累計22万部となる大ヒット作品となった。

2025年2月15日にリリースされる3rd写真集のタイトルは”ヨーダ”。

このタイトルについて与田は、
”候補をいくつかもらったときに、いちばん最初に『ヨーダ』って書いてあって。
私、それを見た瞬間、声を出して爆笑しちゃって
ほかにもすごくいいタイトルがたくさんあったので、結構迷ったんですけど、最初の爆笑の印象が強すぎて(笑)
と語っている。

3rd写真集”ヨーダ”が2nd写真集”無口な時間”を超えることができるかに注目が集まっている。

与田祐希のようなアイドルは2度と現れないだろう

尊敬する先輩 齋藤飛鳥から
どこからかじってもおいしい”ばくだんおにぎり”
と評された与田祐希。

与田祐希のようなアイドルは2度と現れない気がする。

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