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秋元真夏物語~ポンコツキャラの秋元真夏が、”握手会の申し子”から”誰からも愛されるキャプテン”へ成長するまでの軌跡

アイドル

波乱の幕開けだった秋元真夏のアイドル人生、”王道アイドル”挫折の先に見えた”愛されアイドル”への道筋

2023年1月7日20:00、乃木坂46最後の一期生だったキャプテン秋元真夏が、公式ブログでグループから卒業することを発表した。

数日前の2022年12月31日に、グループのエース齋藤飛鳥の卒業を見届けたばかりのファンは突然の発表に驚き、絶望の声まで挙がった。

それは、おそらく歴代の乃木坂46メンバーの中で、秋元真夏が最もファンやメンバー、スタッフに愛されたメンバーだったからである。

この記事では、ただただ”目立ちたい”というだけの理由で芸能界に憧れ、たまたま見つけた乃木坂46の一期生オーディションに合格し、11年間のアイドル生活を全うした秋元真夏の軌跡を振り返りながら、彼女がグループに何を残したのかを考えてみようと思う。

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秋元真夏 卒業のお知らせ 2023.01.07

乃木坂46の運営が、公式サイトのNEWSとして、秋元真夏がグループから卒業することをアナウンスした。

秋元真夏ですが、 先ほど本人のブログにて発表させていただいたとおり、乃木坂46から卒業することになりました。
すでにお知らせしておりますように、 ”11th YEAR BIRTHDAY LIVE”を2023年2月22日 (水) ~ 2月25日 (土)に開催いたしますが、加えて2月26日(日)に ”11th YEAR BIRTHDAY LIVE”のDAY5として”秋元真夏 卒業コンサート”を開催させていただ
き、このコンサートをもって秋元真夏は乃木坂46を卒業いたします。
”秋元真夏 卒業コンサート”のチケットなど詳細に関しましては、近日中に公式サイトよりお知らせいたしますので、 その発表をお待ちください。
今後とも、 秋元真夏、乃木坂46の応援のほど宜しくお願いいたします。

同時に、秋元真夏本人もブログで、乃木坂46から卒業することを発表した。

秋元真夏 2023年1月7日のブログ(全文) タイトル:冬服が好き

みなさん明けましておめでとうございます!
お正月ゆっくりできましたか?
2022年とお別れして、 新しい年を迎えました。
私もすごくのんびりしてました。
ちゃんと書けるか自信ないのですが
よかったら読んでください。
2023年2月26日をもって
乃木坂46を卒業することに決めました。
卒業を決めたのは2022年の初めの頃かな。
このブログを書く時間なんて
山ほどあったのにギリギリまで
何を書いたらいいかわからなくて、
年明けのお休みに乃木坂の曲を聴きながら
ゆっくり書いてます。
自分のグループながら良い曲ばかりで
表面張力で保ってたものが溢れ出しそうになる。
そんな秋元先生が乃木坂へくださった
歌ももう歌えなくなるんだと思うと
急にすごく寂しくなります。
高校3年生の夏に見つけた
この乃木坂46のオーディション
親にも内緒で応募締め切り日に携帯で
送ったのを今でもしっかり覚えています。
まだガラケーだったかな〜。
その時は受かるなんて思ってないけど
あの一歩で見える景色も
自分を取り巻く環境も大きく変わりました。
中学から受験をして
そこから大学までずっと女子校で
側から見たらもしかしたら、
いや、言い過ぎかもしれないけど
大事に育てられた箱入り娘みたいな感じで
両親はどの瞬間も子ども思いで
一つ一つ安心な道を作ってくれて、
そんな私には芸能界ではなく
普通に就職する道を進んでほしかったって
オーディションに受かった時何度も
言われたけれど初めて強く自分の意思を
突き通して入ったこの乃木坂46。
そんな中で入ったからこそ
心配かけたくなかったし、
弱音も絶対吐きたくなかった。
何があっても
自分で立ち上がれる強さをつけたかった。
「いつからそんな風になったの?」
なんて母にここ最近はよく言われるから、
そんなことを思いながら
11年間アイドルをしていたら
少し強くなりすぎちゃったのかもしれません。 笑

でもそんな強さを探す中で
人を信じたり、 人に頼ったり、
本当自分をさらけ出すのが
苦手だった私の心を開いてくれたのは
メンバーのみんなでした。
今ではあまりそうは見えないのかもしれないけど、
小さい頃から本心を見せないのが癖で
何考えてるかわからないって
ものすごくよく言われてきた私ですが、
この乃木坂のみんなは本当にどこまでも
優しくて、 人想いで、
私の同期が減って寂しさを感じても
後輩のみんながそれを察して
いつもそばに居て寄り添ってくれて
私がキャプテンになってからもきっと
みんなからしたら不安なとこもいっぱい
あったはずなのに、いつも助けてくれたり
先回りして考えてくれていたり。
「真夏さんが笑ってると嬉しい」
そんな素敵な言葉をかけてくれる後輩が
たくさんできました。
関わってくださるスタッフの皆さんも
めちゃくちゃ愛に溢れていて。
私の性格をよく知ってくれているから
得意不得意もわかってくれてるし、
私が口に出したものとは違う
心の奥の気持ちまで読み取ってくれて
いつも味方になって支えてくれました。
マネージャーさんと楽屋とかでする
雑談も楽しくて心が休まってすごく好きだった。
私を応援してくれている皆さんは
なんだか私と似ているところがたくさんある。
わかる人にはわかるはず。 笑
私、似てるところ見つけると
より好きになっちゃうんだけど
感覚っていうのかな、 イベントとか
いろんなとこで話したりすると
あ、それ一緒!ってなることがよくあるし、
何より皆さん心が広くてそのお陰で
私は何度も皆さんみたいな優しさを
持てる人になりたいと思った。
これ書きながらめっちゃイベントや
ライブに来てくれるファンの方の顔が
思い浮かんだ^^
みんな性格も様々だから
きっと受け取り方も様々で、
これを読んだ後に会ったら
「わかる! 俺も似てるなぁと思ったんだよね!」
「私も似てるって思ってくれてるのかな?」 とか
あの人だったらたぶん
こう言うんだろうなって
想像しながらこの文章書いてたら
自然と笑顔になってました。
こんなにみんなのこと好きになっちゃったから
ちゃんとお別れできるのか不安です。
この言い方が正しいかわからないけど
こんなに好きになる前に卒業の道を
考えればよかったのかもって思っちゃうくらい
乃木坂もメンバーもスタッフさんも、
応援してくれるファンの皆さんも大好きで。
でもそんな大好きな人たちが作る
ここから先の乃木坂を見ていきたい気持ちも
同じくらいある。
だから、 卒業を決めました。
この11年間、
特にキャプテンになってからの3年間は
変わらずにいることの大切さと
変化を受け入れることの大切さを学びました。
結成当初からグループにいる私からしたら
今が第何章の乃木坂なのかわからないくらい
変化はしているけど、 その中で卒業していった
メンバーが残してくれたバトンはしっかり
後輩たちが受け継いでくれているって
そのバトンを横に並んで握って
一緒に走ってきた私が自信をもって言えます。
生まれ変わってもアイドルになりたいし
乃木坂46になりたい。
そう思えるくらい大好きなグループに
11年も居られて幸せでした。
学校も友達も大好きな生徒だった高3の私と幼い私。
2/26は横浜アリーナで卒業コンサートを
させていただくことになりました。
バースデーライブの最終日。
真ん中に立ったことないから・・・
ドキドキしちゃうな。
同期はいなくなってしまったけど
後輩と走る乃木坂も最高だって
皆さんに思ってもらえる1日にしたいと思います!
そして、今後のお話ですが変わらず
芸能活動を続けさせていただきたいなと
考えています。
感謝の気持ちを忘れずに、
また新たなスタートを切って
笑顔な私を皆さんに見ていただけるように
頑張っていきます^^
あと少しよろしくお願いします。
そして、ここまで応援してくださって
本当にありがとうございました。
あー、 長くなっちゃった。
明日1/8の文化放送 ”卒業アルバムに1人は
いそうな人を探すラジオサンデー”でも
少しお話しさせてもらう予定です。
ちゃんと話せなかったら・・・ごめんね。 笑

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秋元真夏の人生を振り返ってみる

生立ち~幼少期

1993年(平成5年)8月20日、東京都の病院で生まれ、0歳7か月の時に埼玉県へ転居した。
両親と弟の4人家族で、家はかなり裕福だった。
毎年夏には家族で沖縄に行き、1週間のバカンスを過した。

▼沖縄のビーチにて

幼稚園児の頃に芸能界に憧れ始め、小学生の頃の将来の夢はアナウンサーだった。

仲良し家族

愛情あふれる両親とはずっと仲が良く、たった一人の兄弟である弟ともとっても仲が良かった。

▼弟と洋服を交換して遊ぶ2人

大人になった今でも変わらず仲良しで、2023年のお正月に実家の両親がコロナのために体調が悪くなってしまい、里帰りする場所を失くした弟を自宅に招き、”お節料理を食べたい!”というリクエストに応えて料理を作っている。

その料理が2023年1月3日の秋元真夏のインスタグラムにアップされた。

 
 
 
 
 
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小中校時代

▼雛人形と一緒におすましポーズ! 私も可愛いでしょ!といつも言ってました。(真夏のママ談)

小さい頃から目立つことが大好き、褒められることが何よりうれしい子供だった。

幼稚園の頃新しいワンピースを買ってもらったらそれを着て、住んでいたマンションの近所をピンポーンって押して、『私、可愛い?』って聞いて『可愛い』って返答がくるまで、そこを動かないでっていうのを何軒もやって10票ぐらいは集めて遊んだと明かしている。(2020年10月4日”スッキリ”の「クイズッス」より)

さらに「1日だけじゃない何日もそれをずっとやってたので票数を集めて可愛いを集めた結果『じゃあ芸能界行こう!』ってなって」芸能界を目指したとも語った。

中学受験

▼中学は地元に行かなかったから、今日でお別れ。 寂しいな。(真夏のママ)

中学に進むころ、地元の中学が荒れていたので、両親の勧めもあって中学受験をすることになった。

東京家政大学附属中学校を選んだのは真夏自身で、その理由は制服が可愛いからだった。
▼真夏が通った東京家政の制服

地元の公立小学校から中学受験を経て東京家政大学付属女子中学校へ進学、その後東京家政大学付属女子高等学校へ進んだ。

中学1年生の時は、調理部に所属しながら生徒会の副会長を務めた。
高校2年生の時にも、”目立ちたい”という理由から、生徒会の会長を務めた。

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肩出しなどの露出の多い洋服を着る理由~女子校で純粋培養された箱入り娘~

真夏の私服は、肩出しなど露出の多いものが多く、そのことをよくメンバーからイジラレた。

彼女がそういう私服を選ぶのには3つの理由がある。

単純に”目立つ”という理由と、生来の人を信じやすい性格、もう一つは治安の良い環境ばかりで育ってきたから普通の女性が持っているはずの”危機感知能力が欠如”しているからだ。

本人も認めている通り、両親が常に彼女を守っていて”箱入り娘”として大事に育てられたから、真夏は一度も危ない目に合わずに成長していた。

まさに純粋培養されたお嬢様であった。

乃木坂一期生の中で、女子校出身者4人のユニットである”女子校カルテット”のメンバー秋元真夏・桜井玲香・若月佑美・中田花奈の4人は全員がいわゆる”お嬢様学校”出身である。

▼女子校カルテットが通っていた高校
秋元真夏:東京家政大学附属高校(都内の名門私立)
桜井玲香:カリタス女子高校(神奈川の名門私立)
若月佑美:静岡雙葉高校(静岡県有数の名門私立)
中田花奈:大妻女子高校(都内の名門私立)

デート疑惑を強く否定 2016年4月の”755”

一方で、真夏はアイドル時代の男女交際については厳しい自律を課していた。
そしてそれを疑われることだけは決して許すことができなかった。

2016年4月12日のトークライブアプリ”755”で、公園で楽しげにシャボン玉遊びをする真夏自身を撮影しただけの短いプライベート動画を公開した。

その最後に男性の声が聞こえることから、一部ファンから”彼氏とのデートではないか?”との疑惑をかけられてしまう。

そんな一部のファンの疑惑に対して真夏は”755”で、すぐに反論した。

ごく一部ではありますが、根も葉もないことを言われることが悲しくて反応すべきではないとはわかりつつもあえて反応させてもらいました…。
家族以外の男の人と手を繋いだのは握手会が最初だし、写真を撮ったりしたのもチェキ会が最初というような人生で今現在もメンバーか女友達としか遊んだりもしない人なのでご心配なく。
ただ、無駄な心配や不安な気持ちを抱えさせてしまったことには私にも責任があるので申し訳ありませんでした。
はい、もうこの話終わり〜!今後もブログ・モバメ・755と満遍なく続けさせていただくのでよろしくお願いします

これが秋元真夏クオリティの真骨頂であり、プライドでもあった。

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秋元真夏のアイドル生活は波乱の幕開け、”王道アイドルの道”は早々にあきらめた

乃木坂46メンバー秋元真夏の記録

センター回数:0
選抜回数:28回 歴代1位タイ 高山一実
福神回数:23回 歴代単独3位 1位は白石麻衣・生田絵梨花の25回
フロント回数:2 17th”インフルエンサー”と”29thActually…”の2回のみ

4thシングルから乃木坂メンバーとしての活動を開始した真夏の選抜回数の28回は、参加した全シングルで選抜メンバーに選ばれ続けてきたことを示している。

一方で、フロント(1列目)に選ばれたのはわずか2回。

この記録は、ファン人気は抜群だが、ダンススキルや歌唱力に致命的な欠陥があるアイドル秋元真夏の実像をよく表している。

乃木坂46のオーディションを受けたきっかけと、乃木坂46合格後すぐに活動休止となった理由

”芸能界に入りたい”という漠然とした願いはずっと持ち続けていたものの、お嬢様学校に通う真夏と芸能界との距離はずっと遠いままであった。

そんな高校3年生の夏に見つけた乃木坂46の一期生オーディション。
芸能界に近づけるかもしれないというわずかな想いで、親にも内緒で応募締め切り日に携帯で応募書類を送った。

オーディションに受かった時、人生のどの瞬間も子ども思いで、一つ一つ安心な道を作ってくれて、真夏を大事に育ててくれた両親からは、アイドルになることを反対されてしまう。

特に父親からは、”芸能界なんてもってのほか!”と大反対された。

母からも”芸能界ではなく、普通に就職する道を進んでほしかった”って何度も言われた。

それでも、人生で初めて両親に逆らい、強く自分の意思を突き通して乃木坂46に入った。

だから心配かけたくなかったし、弱音も絶対吐きたくなかった。

両親からは、乃木坂46加入を認める条件として、学業優先と大学進学を強く言い渡された。

真夏はデビューシングルの暫定選抜メンバーに選ばれた。

しかもフロントでセンターの隣のポジションだった。

▼暫定選抜16名、赤マル囲みが秋元真夏

当時、運営が秋元真夏を非常に高く評価していたことがよくわかる。

だが、当時通っていた東京家政大学附属高校は厳しい校則で知られる学校で、在学中の生徒の芸能活動を禁止していた。
やむを得ず真夏は、高校を卒業して大学受験に合格するまで、乃木坂メンバーとしての活動を休止することを選択しする。

運営がこのことを認めたのも英断で、当時の真夏の評価が髙かったことを示すエピソードである。

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秋元真夏のデビュー曲は4th”制服のマネキン”

両親との約束を守って学業に専念して高校を無事卒業、フェリス女学院大学文学部への合格も果して、2013年9月、4th”制服のマネキン”で、晴れて乃木坂46の一期生メンバーとして活動に復帰を果たす。

乃木坂46の活動に復帰するため、録画していた乃木坂46の関連番組をすべて視聴した上でレッスンに参加、番組の収録などにも同行し始めた。

そんな中で4thシングルの選抜メンバー発表が、冠番組”乃木坂ってどこ?”の収録内で行なわれることになった。

その前日の夜、真夏はスタッフから”(スタジオに)来れたら来て!”という電話をもらい、どうしようか迷ったものの、”まあ一応スタジオに行っておこうか”くらいの軽いノリで、スタジオ見学に来ていた。

ところが、3列目、1列目と選抜メンバーの名前が発表され、最後となった2列目のラストポジションで呼ばれた名前はまさかの”秋元真夏”であった。

テレビ東京の白石アナが”8番秋元真夏”とコールすると、スタジオ全体が静まり返った。

”秋元真夏さん?”、”そんな人いましたっけ?”MCの設楽統(この日日村は体調不良で欠席)がいぶかしがる中、白石アナが続ける。”秋元さんは、向こうの方でスタジオ見学をされています。”
▼スタジオ見学だと思い私服で参加していた秋元真夏

MC設楽統に促されて、横に立つ秋元。
バナナマンともほぼ初対面であった。

選抜メンバーに選ばれた感想を求められた秋元真夏は、
(復帰の)最初から、こんな素晴らしい位置を頂けてとても嬉しいんですけど、たぶん私がいきなりこんな良い位置にいかせていただくのには疑問がある方もいるかと思うんですよ。でもそんな疑問もなくなるように、チームで、みんなで頑張っていけたらいいなって思っています。
と答えた。

突然のサプライズで動揺しているにもかかわらず、これだけしっかりしたコメントが出せるのは、秋元真夏がかなり賢いことの証明である。

しかし、デビューシングルから選抜メンバーになることを目指して、日夜レッスンに励んできたメンバーにとって、秋元真夏のいきなりの選抜メンバー復帰・8福神抜擢はとても納得できるものではなかった。

秋元真夏のサプライズ抜擢という劇薬の副作用は、運営への不信感、メンバー間の絆の分断という形で、運営の予想をはるかに上回る大きさでグループに襲いかかったのである。

乃木坂46 4thシングル選抜発表エピソード~”制服のマネキン” 活動休止していた秋元真夏のサプライズ選抜&福神復帰によって分断されたメンバーの絆~~
4thシングル”制服のマネキン”の選抜発表~生駒里奈4作連続センターの陰で秋元真夏復帰によって分断されたメンバーの絆、乃木坂46は最初の危機を迎えた~ 4thシングル”制服のマネキン”、2012年12月9日リリース。 累計売上31.3万枚(...
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分断されたメンバー間の絆 

★中田花奈の憂鬱
多くのメンバーは16番目の選抜メンバーには中田花奈が入ると思っていた。
中田自身もそれを期待していた。
ところが現実には、ふらりと現われた秋元真夏に、選抜の座を奪われてしまったのだ。
とても納得できる心境ではない。
アンダー落ちした中田には、何もすることがない時間だけが残された。
このころアンダーメンバーには、レッスン以外の仕事はほとんどなく、中田はアンダーメンバーに落ちて、初めて2週間まるまるのオフを経験することとなったのである。
中田はこれ以降、選抜落ちの期間中は、外出する気にもなれず、スマホゲームのバズドラばかりやっていて、この後は”無課金でバズドラを極めた”という自虐ネタを持ちネタにしている。

★傷心の中元日芽香
アンダー暮らしが続いていた中元日芽香は、このことでいくら努力しても報われないんだと思い知らされたという。
そんな状況に苛立ち、アンダーメンバー全体のモチベーションが下がってしまったとも語っている。
中元はこの後、アンダーメンバーの常連になってしまい、心と身体のバランスを崩してしまう。
何度かの休養を繰り返し、中元日芽香は2017年11月19日に乃木坂46を卒業した。

★西野七瀬との確執
もう一人真夏の抜擢に納得していなかったメンバーがいた。
それは真夏の福神入りで、3列目に下げられてしまった西野七瀬である。

3rdで6名だった2列目は、今回の4thでは5名に減った。
3rdの端にいる高山一実一人が3列目に下っても、西野は2列目に残れる計算になる。
ところが秋元真夏が突然そこに割りこんできたことで、西野七瀬まで3列目に下げられてしまったのである。

番組収録直後にそのことに気付いた西野は、大阪の母親に泣きながら電話をかけた。
そして感情が高ぶってしまった西野は”大阪に帰る!”と叫んで、スタジオを飛び出し、スタッフの静止を振り切って大阪の実家へ帰ってしまった。

数日後、母親に説得された西野は東京に戻った。

そしてそれから約1年間、西野と真夏は目も合さず、ひと言も口をきかなかった。

後になって、このことの責任が真夏自身にあるわけではないと理解でき、自分が子供過ぎたのだと西野が気付くまでには相当の時間が必要だった。

二人の和解は、2014年2月22日の2nd Year Birthday Liveまで待たなけらばならなかった。

乃木坂46のBirthday Live(通称”バスラ”)では、持ち曲全曲が披露されるのが恒例だが、2014年2月22日の2nd Year Birthday Liveの中盤、4thシングル制服のマネキンの紹介VTRの影ナレを西野七瀬が担当した。

その冒頭で西野はこんな風に秋元真夏に語りかけた。
”あの時は言えなかったこの言葉でこの曲を始めます。真夏!お帰り!一緒に頑張ろう!”

このナレーション(録音)が流れた時、出番待ちをしていた西野の心に、いろんな感情が溢れ出した。
そして視線の先に真夏の姿が見えると思わず駈け寄って抱きついていた。

”ごめんね。”西野も真夏もその言葉しか言えなかった。

その時の一部始終が乃木坂46のドキュメンタリー映画”悲しみの忘れ方”の映像に収録されていて、ファンに語り継がれる名シーンとなった。

”悲しみの忘れ方” 舞台上で西野と真夏が抱き合うシーン)

秋元真夏の復帰は、多くのメンバーの心をざわつかせ、乃木坂46というグループを大きく揺るがすことになったのである。

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王道アイドルを諦めて”あざといキャラ”へ方向転換、”釣り師”と呼ばれるまでに

真夏は”乃木坂46に入って一番泣いたことは?”と聞かれて、”活動復帰した4thシングルの時で、毎晩一人で泣いていた”と答え、”乃木坂46に入って一番うれしかったことは?”の質問には、”みんなと仲良くなれたこと”と答えている。
さらに”乃木坂46に入ってあなたが一番変わったところは?”の質問に対しては、”プライドの持ち方”と答えた。

多くのメンバーから距離を置かれて始まった秋元真夏の乃木坂46での生活は、決して楽なものではなかった。
だが、両親の反対を押し切ってアイドルになった以上、すぐに弱音を吐くわけにはいかなかった。

真夏は黙々とレッスンに励んだ。

ただ目立つことが大好きだった秋元真夏が目指したのはフリフリの衣装で笑顔を振りまく”まゆゆ”のような”王道アイドル”だった。

しかし、その道は白石麻衣・生田絵梨花らの人気メンバーと競合することになると思い知り、すぐに方向転換を図るべきだと考え始める。

自身のキャラクターを早くアピールするために、他のメンバーと被りにくい”あざといキャラ”へと舵を切ったのだ。

握手会に来るファンの特徴をメモして、約300人ほどのファンの名前を覚えた。

必殺技”ズッキュン”を携えて、握手会では神対応を連発してファンの心をがっちりと掴み、”乃木坂46 No.1の釣り師”と呼ばれるまでになっていく。

バラエティ番組に出演し、自身の握手会に来たファンが偶然番組に登場した際も、そのファンの名前を答えて共演者を驚かせた。

そのことはファンやメンバーの間でも話題になり、白石麻衣と並んでアイドルとしてのプロ意識が非常に高いメンバーだと評価されるようになっていく。

持ち前の頭の回転の速さを活かして、バラエティ番組での立ち居振る舞いもすぐに覚えていった。

制作スタッフに名前を覚えられて、”使えるアイドル”としての評価を確立して、番組やイベントのMCのアシスタントとして起用される機会も多くなっていく。

ついには番組やイベントのメインMCを任されるまでになっていくのである。

さらに真夏は、アイドルとしては稀有な”料理上手”というアドバンテージを持っている。

中学時代には料理部の部長を務め、高校時代には食物研究部に所属し、家庭料理技能検定3級の資格も取得した。

”乃木坂工事中”では、何度も手料理を披露しているほか、ネット上では”cookpadLive”という料理番組が定期的に配信されている。
料理上手をウリにしている女性タレントはほとんど既婚者だけに、“独身の料理上手” 枠で秋元真夏は一人勝ちの状態にあるのだ。

女優やモデル分野で輝かしい活躍を見せている多くの乃木坂46の一期生の中で、バラエティに特化したメンバーは高山一実と秋元真夏が双璧である。

きっとタレント秋元真夏には乃木坂46を卒業した後も、一定の需要があるだろう。

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メンバーの秋元真夏評

若月佑美は秋元に対して
普段は本当に真面目で、理想をすごく高く持っている。
本当は自分のことをカワイイと思ってない。そういうネガティブな面を表に出さないように努力している。

白石麻衣は
真夏は努力家。コツコツと小さいことを積み重ねて、秋元真夏にしか築けないポジションを確立した。
新たにキャプテンに選ばれたのも納得。

後輩である二期生の寺田蘭世は
誰にでも平等に優しい。

生田絵梨花は
頼られ愛される存在。

と評している。

2代目キャプテン就任から卒業決断

2代目キャプテンに就任

2019年9月2日秋元真夏は乃木坂462代目キャプテンに抜擢された。

”その瞬間に、3年間は卒業しないでおこうと決めた”と後に語っている。

自分は、先頭に立って人を引っ張るタイプではないし、多分キャプテンの仕事は苦手な方だろう。
苦手なことでも、3年間頑張ればなんとかなると思っていたから。(2023年1月8日放送”卒アルラジオサンデー”より)

キャプテンになって大きく変わったこと~プライドの持ち方~

もともと私は、みんなをまとめるのが苦手なタイプ。3年前、キャプテンに任命された瞬間は、”私にできるかな”、”私でいいの?”とネガティブなことしか思い浮かばなかった。

初代キャプテンの桜井玲香ちゃんは、歌もダンスも上手で、カッコいい背中を見せて引っぱっていくタイプだった。

真夏は、自分はそういうタイプにはなれない気がしていた。

”グループとしてこうしたほうがいい”という漠然とした思いはあるのに、言い出せずに心の中にモヤモヤとためたままの時期が何カ月もあった。

引っぱるのが苦手な私にできるリーダー像は……?と模索していくうちに、自分にできるのは”ひとりひとりに寄り添って悩みに耳を傾ける役割”だと思い到る。

”だから、キャプテンという肩書ではあるけれど、実際はちょっとした相談役(笑)。みんなと同じ立ち位置で一緒に走っている感覚です。”と謙遜する。

就任してしばらくして気づいたのはリーダーって嘘がバレてしまうポジションだということ。
取り繕っていい人ぶっていたら絶対に信頼してもらえない。

私自身のことを全部さらけ出す覚悟がないと、みんなも本気で心を開いてくれないんだなと感じた。

いいことも悪いことも嘘をつかずに伝えようと決めて、”私も実はこんな悩みがあって”と、不安や本音を自分から打ち明けるようになった。

そうやって自然体でいることを心がけてからは、アイドルとしての意識にも変化が生まれた。

昔は完璧な自分しか見せたくないと思っていたが、無理にギアを上げようとせずに、素の自分でステージに立てるようになり、そんな真夏を好きと言ってくれるファンも増えていった。

”キャプテンになれたことで、アイドルとしても人間としても、成長できた気がします。”(MOREインタビューより)

両親の反対を押し切ってなったアイドル。
何があっても自分で立ち上がれる強さをつけたかった。

”いつからそんな風になったの?”なんて母にここ最近はよく言われる。
そんなことを思いながら11年間アイドルをしていたら
少し強くなりすぎちゃったのかもしれません。 (笑)

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卒業の決断~ズッキュンが求められなくなって卒業が近づいた~

真夏の代名詞でもあったアイドルとしての必殺技”ズッキュン”。

キャプテンになったからなのか、年齢が髙くなったからなのか、求められる機会も、自分から披露する機会もめっきり少なくなっていた。

アイドルとしての自分をそろそろ終える時期が近づいているんだと感じ始めた。

卒業を決断して、2022年11月27日にメンバーに告げたが、直前の11月4日に発表した齋藤飛鳥の2022年末卒業発表という一大イベントに水を差さぬように、真夏自身の卒業については”かん口令”を敷いて、それを守り通した。

”我らがキャプテンのキャプテンの秋元真夏には一期生全員を見送ってから、最後に卒業してほしい”という齋藤飛鳥の最後の願いを叶えるためでもあった。

飛鳥の卒業を見送れたことが本当にうれしかった。

それが真夏のキャプテンとしての優しさであり、矜持(プライド)でもあった。

2月26日が卒コンなので、3月に予定されている飛鳥の卒コンにはメンバーとしてもキャプテンとしてもで出演することはできないのが唯一の心残りだ。

かつて生田絵梨花に配慮して、新内眞衣も卒業発表を遅らせた。
そのことについて生田絵梨花は、”申し訳なかった”と述懐している。

こういうところがお姉さんメンバーである新内眞衣や秋元真夏が、メンバーやスタッフから愛される所以なのだ。

これまでは多数の意見に流されるタイプだったが、ラジオをやってから自分の意見を言うことが怖くなくなった。

少数派かもしれない自分の意見に共感してくれるリスナーの言葉が背中を押してくれた。

乃木坂46のキャプテンとして、グループを続けていくために発言することが怖くなくなった。

秋元真夏の未来予想図

まなったんの未来予想図(月刊エンタメ5月号より)

24歳 現在
28歳 センターになる
32歳 乃木坂7期生冠番組MC
33歳 結婚
35~36歳 休業(南アフリカを旅する)
37歳 復帰&返り咲きセンター
38歳 南米ツアー
40歳 ディナーショー開催
43歳 映画監督デビュー
46歳 卒業(神宮BDLにて発表)

この未来予想図の通りにはならなかったが、これから実現できることもたくさんあると思っている。

芸能活動は大好きなので、アイドルを卒業しても芸能活動は継続するつもりである。

苦しい時や、どうすればいいかわからなくなってしまった時に、何度もファンの言葉に救われた。
だからアイドルを辞めても、ファンとの交流の場は持ち続けたい。

誰からも愛されるポンコツキャプテン秋元真夏の未来には、無限の可能性が待っている。

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真夏卒業を受けてのメンバーやファンの反応

堀未央奈が二期生以外のメンバーの卒業に反応するのはとってもレアなことだ。

 

 
 
 
 
 
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生駒里奈もインスタストーリーで反応した。

SPY FAMILYのアーニャも泣いた

コメント

  1. Chonglin Xu より:

    『秋元真夏の未来予想図』を見ましたが、真夏さんが46歳を迎えるのは2039年で、プロデューサーの秋元康さんは81歳となります。私が気になっている2046年(乃木坂46結成35周年)だと真夏さんは53歳、康さんは88歳となります。乃木坂46に40代や50代のメンバーが実現したら異端児となります。真夏さんをもっと渋いベテランアイドル(還暦前後またはアラセブ)になって欲しかったと私は嘆いていました。

  2. Xu Chonglin より:

    速報: 秋元真夏さんが事務所移籍
    乃木坂46から卒業した後、秋元真夏さんがジャパンミュージックエンターテインメントへ移籍した事が報じられました。
    https://www.japanmusic.jp/talent/akimotomanatsu/