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乃木坂46 4thシングル選抜発表エピソード~”制服のマネキン” 活動休止していた秋元真夏のサプライズ選抜&福神復帰によって分断されたメンバーの絆~~

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4thシングル”制服のマネキン”の選抜発表~生駒里奈4作連続センターの陰で秋元真夏復帰によって分断されたメンバーの絆、乃木坂46は最初の危機を迎えた~

4thシングル”制服のマネキン”、2012年12月9日リリース。
累計売上31.3万枚(前作比127%)と大幅に躍進した。

1990年代のユーロビート的な四つ打ちサウンドとマイナーキーを多用したメロディーは、アイドルソングとしては異例であり、それまでの”ぐるぐるカーテン”や”おいでシャンプー”などのフレンチポップス路線を一変させ、乃木坂46の新しいイメージを打ち出した。

作曲は杉山勝彦で、彼にとって秋元康による乃木坂楽曲コンペを初めて勝ち抜いて採用された記念すべき作品である。

”1stから3rdのフレンチポップス路線にあえて逆張りして作った”と杉山は語っている。

 ”恋をするのはいけないことか?” ”大人に邪魔をさせない” ”感情を隠したら制服を着たマネキンだ”という歌詞は、これまでの乃木坂46のイメージとは真逆のメッセージであり、後の欅坂46”サイレントマジョリティー”の原型になったとも言われている。

”制服のマネキンの歌詞を見て、秋元康総合プロデューサーは天才だと思った”と杉山はインタビューで答えている。

選抜メンバー関連では、秋元真夏の選抜抜擢しかも福神でのサプライズ復帰が最大のトピックである。

秋元は、乃木坂46の1期生メンバーとして、しかも暫定選抜メンバーの1列目のメンバーとして紹介されながら、当時通っていた高校(東京家政大学附属高校)が芸能活動禁止だったため、1stシングルから活動を休止していた。
両親の強い意向で大学進学に専念していた秋元真夏が大学進学を果たし、4thシングルでサプライズ復帰をする。

秋元がいきなり選抜メンバー・8福神に選ばれたことで、他のメンバーの反発を招き、西野七瀬との確執が生まれ、乃木坂46は結成以来初めて内部崩壊の危機を迎えたのである。

制服のマネキン MV


監督:池田一真
振付:南流石
ロケ地:旧高萩高校(茨城県高萩市)

このMVには選抜メンバーだけでなく、(柏幸奈を除く)アンダーメンバーも参加している。

学校の校舎内をクラブの様な空間にして、かっこよくダンスのキレを魅せるミュージックビデオに仕上がっている。

秋元康総合プロデューサーからは、振付担当の南流石へ”男の子っぽい要素もそろそろ出したらどう?”という提案があり、南はそのオーダーに見事に応えた。

前作からフォーメーションが変わって、4-6-6 から 3-5-8 へ。
キャプテン枠が福神枠に統合されて8福神となった。

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斎藤飛鳥と能條愛未が2度目の選抜入り

4thシングルの選抜発表の舞台は、今回も”乃木坂ってどこ?”(2012年10月7日放送回)である。
スタジオにはほとんどのメンバーが顔を揃えた。
1・2列に選抜メンバー、3・4列にアンダーメンバーが座るのは前回と同じである。

4thフォーメーションは3‐5‐8での16人選抜。

最後列(3列目)の両端のメンバーから発表されていった。

3列目からの発表

★16番 高山一実 4作連続の選抜入りだが、3列目に下げられてしまった。
★15番 西野七瀬 4作連続の選抜入りだが、3列目に下げられ、8福神から外れてしまった。
★14番 市來玲奈 4作連続で選抜入りしたが、これ以降学業との両立が困難となり、今回が最後の選抜入りとなってしまった。
★13番 深川麻衣 3rdから引きつづき2度目の選抜入り。
★12番 井上小百合 4作連続の選抜入り.ファンとともに福神入りを目指してきた井上だが、今回も夢は叶わなかった。
★11番 若月佑美 得意のデザインで二科展入賞などの実績を挙げ、前作に続いて選抜入りした。
★10番 齋藤飛鳥 デビューシングル以来、2度目の選抜入りはしたものの、まだそのポテンシャルを十分に発揮できていない。運営からは精神的に未熟だと判断されていたようだ。
★9番  能條愛未 飛鳥と同じく、デビューシングル以来、2度目の選抜入り。
▼予想外の選抜復帰に固まってしまった能條愛未

(傷つかないように)あまり期待しないようにしていたのに、名前が呼ばれたみたいで‥‥、嬉しいです。”と言い、みんなを笑顔にした能條愛未
一方で、連続で選抜に選ばれながら、福神にこだわり続ける井上には、感謝の気持ちやアンダーに対する配慮が足りないとのファンからの批判が生まれていた。

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秋元真夏が休養から復帰、いきなりの選抜・8福神で、押し出された西野七瀬との確執が始まった

3列目の次に発表されたのは、なんと1列目であった

当初の予定では、3列目の次は、8福神の2列目の発表となるはずだったが、次に発表されたのは1列目の1番ポジションであった。
この発表順に大きな意味があることが最後に判明する。

1列目の発表

1番 生田絵梨花 16人のプリンシパルで演技の才能を見せ付けた生田が3度目のフロントに配された。
2番 生駒里奈 4作連続のセンターとなった
3番 星野みなみ 単独でのCM出演(ACジャパン)など活躍の場を広げ、3度目のフロントに配された。

最後となった2列目の発表

1列目の発表が終り、最後に2列目の選抜メンバーの名前が呼ばれ始める。

4番 桜井玲香 2列目に下ってしまったが、今回は正式に8福神である。
5番 橋本奈々未 安定の選抜・福神メンバーである。
6番 白石麻衣 4作連続の選抜・福神
7番 松村沙友里 4作連続の選抜・福神

そして残りの1枠で名前を呼ばれたのは、スタジオに見学に来ていた秋元真夏の名前であった。

8番 秋元真夏 大学進学を果し、休養からの復帰でいきなり選抜メンバー・8福神入り。

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テレビ東京の白石小百合アナが”8番秋元真夏とコールすると、スタジオ全体が静まり返った。

秋元真夏さん?”、”秋元さんって、いましたっけ?
MCのバナナマンがいぶかしがる中、白石アナが続ける。
秋元さんは、向こうの方でスタジオ見学をされています。


乃木坂46誕生時に暫定選抜メンバー(フロント)に選ばれながら、両親の反対に遇い、大学進学に専念するために乃木坂メンバーとしての活動を一時休止していた秋元真夏。

見事フェリス女学院大学入学を果し、2012年4月からはほかのメンバーとレッスンにも参加し始めていた。

この日は、当初眼科の診療の予約が入っていたのだが、運営からの”来れたら来て!”という電話で、どうしようか迷ったものの、”まあ一応スタジオに行っておこうか”くらいの軽いノリで、スタジオ見学に来ていたのである。

あの日スタジオに行かず、眼科に行っていたら、どうなっていたんだろう”と今でも気になっていると後に語っている。

そんな経緯から、番組出演も想定になく、私服のままでスタジオに入っていた。
そして予期せぬ選抜メンバー指名。

MCのバナナマン設楽統に促されて、横に立つ秋元。
バナナマンともほぼ初対面であった。

感想を求められた秋元真夏は、
(復帰の)最初から、こんな素晴らしい位置を頂けてとても嬉しいんですけど、たぶん私がいきなりこんな良い位置にいかせていただくのには疑問がある方もいるかと思うんですよ。でもそんな疑問もなくなるように、チームで、みんなで頑張っていけたらいいなって思っています。

突然のサプライズで動揺しているにもかかわらず、これだけしっかりしたコメントが出せるのは、秋元真夏がかなり賢いことの証明である。

運営の狙いは、表題シングルの選抜メンバー発表を、AKB48総選挙のミニ版になぞらえて、イベント化・ショー化しようというものだ。

そのテーマとして秋元真夏の復帰をサプライズイベント化したのである。

しかし、デビューシングルから選抜メンバーになることを目指して、日夜レッスンに励んできたメンバーにとって、秋元真夏の活動復帰で、いきなりの選抜メンバー・8福神抜擢はとても受け入れられるものではなかった。

秋元真夏は、全メンバーからの猛烈な反発を受けることになってしまった。

運営の秋元真夏の特別扱いは、これだけにとどまらず、冠番組”乃木坂って、どこ?”では、翌週と翌々週の2週にわたって、秋元真夏フィーチャー企画”秋元真夏に聞きたい10ぐらいのこと”、”新メンバー秋元と乃木坂15番勝負”が組まれた。

その結果としてメンバーからの秋元真夏に対する反発はさらに激しさを増してしまう。

秋元真夏のサプライズ抜擢という劇薬の副作用は、メンバーの運営への不信感、メンバー間の絆の分断という形で、運営の予想をはるかに上回る大きさでグループに襲いかかることになってしまった。

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複雑だった秋元真夏復帰へのメンバーの想い、1年間続いた西野と秋元の確執の真相、そして2nd Year Birthday Liveでの歴史的和解

このことを受け止めるメンバーの想いは、それぞれ違っていた。

中田花奈の憂欝

多くのメンバーは16番目の選抜メンバーには中田花奈が入ると思っていた。

中田自身もそれを期待していた。

ところが現実には、ふらりと現われた秋元真夏に、選抜の座を奪われてしまったのだ。

とても納得できる心境ではない。

この収録の後、中田は声を挙げて泣き叫んだという。

このころアンダーメンバーには、レッスン以外の仕事はほとんどなく、中田はアンダーメンバーに落ちて、初めて2週間まるまるのオフを経験することとなった。

中田はこれ以降、選抜落ちの期間中は、外出する気にもなれず、自宅でスマホゲームのバズドラばかりやって、無課金でバズドラを極めたという自虐を持ちネタにしている。

傷心の中元日芽香

アンダー暮らしが続いていた中元日芽香は、このことでいくら努力しても報われないんだと思い知らされたという。

そんな状況に苛立ち、アンダーメンバー全体のモチベーションが下がってしまったとも語っている。

中元はこの後、アンダーメンバーの常連になってしまい、心と身体のバランスを崩してしまう。

何度かの休養を繰り返し、中元日芽香は2017年11月19日に乃木坂46を卒業した。

西野七瀬と秋元真夏の確執の始まり

もう一人真夏の抜擢に納得していなかったメンバーがいた。
それは真夏の福神入りで、3列目に下げられてしまった西野七瀬である。

3rdで6名だった2列目は、今回の4thでは5名に減った。
3rdの端にいる高山一実一人が3列目に下っても、西野は2列目に残れる計算になる。
ところが秋元真夏が突然そこに割りこんできたことで、西野七瀬まで3列目に下げられてしまったのである。

番組収録直後にそのことに気付いた西野は、大阪の母親に泣きながら電話をかけた。
そして感情が高ぶってしまった西野は大阪に帰る!”と叫んで、スタジオを飛び出し、スタッフの静止を振り切って大阪の実家へ帰ってしまった。

そしてそれから約1年間、西野と真夏は目も合さず、ひと言も口をきかなかった。
後になって、いきなり福神で復帰したことの責任が真夏にあるわけではないとわかり、西野が自分が子供過ぎたのだと気付くまでには相当の時間が必要だった。

秋元真夏はこの危機をどう乗り越えたのか?

秋元真夏は初のブログで間違いを犯す

4th選抜発表の直後、秋元真夏は初めてのブログを公開した。

2023年10月8日00:28
タイトル:初めまして そしてお久しぶりです

初めまして 
そしてお久しぶりです。

今日から活動を復帰することになりました。
秋元真夏です。

まずは長期間お休みしてしまって本当にすみません。

今日の”乃木坂ってどこ?”で発表になりましたが、
私自身もいきなり選抜メンバーに選んでいただいて
驚きと不安で一杯です。

いきなり戻ってきた人が選抜に入るなんて納得がいかない!
と感じている方はたくさんいると思います。

でも、今自分が置かれている立場をしっかり受け止めて
更に乃木坂46がグループとしてどんどん坂を駆け上がっていけるように
貢献していくことが 今の私にできることなんじゃないかなと思っています。

4thシングルは、私が乃木坂46として初めてさせていただくものです。
不安もありますが、その不安も楽しみつつ 全力投球で取り組みます!

今までの乃木坂46を応援してくださっていた方やまだ乃木坂46をよく知らない方も
少しでも私に興味を持って頂けたら嬉しいです♪

これからも乃木坂46はどんどん成長していきます!!
その姿を見守ってください。

これからよろしくお願いします。

まさに優等生が書いた模範解答のような内容が綴られている。

練りに練った記事で、運営の入念なチェックを受けたものなのだろう。

後半のグループについてのコメントはかなり上から目線で、1stから活動してきたメンバーには、”何様?”と思われてもしかたがない。

だが、”乃木坂ってどこ?”での4th選抜メンバー発表の放送直後の現実での大きな反響を受けて、真夏はすぐに自身の間違いに気づく。

放送を見た乃木坂ファンの拒否反応は、真夏の想像をはるかに超えたものだったのだ。

そしてその翌日にブログを更新する

秋元真夏の完璧な対応~秋元真夏に救われた運営~

2012年10月9日00:15
タイトル:発表から1日

4thシングルの選抜メンバー発表から1日が経ち、いろんな方の気持ちや意見もたくさん伝わってきました。

また改めて、いきなりこのポジションに立たせていただいていることがあらゆる人に迷惑をかけてしまったり悲しませてしまっているんだということもわかりました。

じゃあこの場にいる私はどうするべきなのか?と何回も何回も真剣に考えました。

私なんかがクヨクヨしている場合じゃないんです。
今は、チャンスを与えていただいた。

だからメンバーや、メンバーのことを応援してくださっている方々のいろいろな気持ちを背負って、今の状況に決して甘えないで一生懸命全力で進んでいかなきゃいけないんです。

もらったチャンスは、チャンスのままにしておいちゃいけないと思うんです。
いただいたチャンスの中で一生懸命努力して、いつか自の持っている力と結びついたとき、そのときがみなさんに認めていただける時なんじゃないかなと感じています。

なので、今は賛否両論すべて受け止めて、一歩一歩前に進みながら一生懸命取り組んでいこうと思います。

最後に たくさんのコメントをくださった方々、ありがとうございました。

応援してる!とか これから頑張ってね! って言ってもらえたことがすごく嬉しくて元気がでました。

これから私は乃木坂46で頑張っていきます。

なんと素晴らしい危機対応!

大学1年生になったばかりの18歳の少女が、いきなり激しいバッシングにさらされて、たった一晩で見事な覚悟を決めて、それを表明したのである。

この対応についてブロガーのSoL氏はそのブログの中で、

衝撃ですね。
わずか1日でこれを書ける。
その後に「異物」となってしまった堀未央奈や中西アルノはもとより、現在に至るまで数多くの乃木坂メンバーが苦しんできた「抜擢」「初選抜」「初センター」というポジションの重み。「私なんかがここにいていいのか」という問いかけ。
それに対する完璧な答えがここにあります。(「賛否両論すべてを受け止め」る必要はないと思いますけど)
「チャンスを活かすことこそが、チャンスを与えられた者の使命であり、それこそが与えた者たち(=運営)と与えられなかった者たち(=メンバー)に対する礼儀である」
このグループアイドルにおける真理-ただわかってはいてもなかなかそう発言するのも実践するのも難しい-に彼女はこの時点で到達しているのです。
もの凄い。空恐ろしいと言ってもいいくらい。
いわゆる「メンタルの強さ」とは異質なもののように思います。
むしろ自分自身を理屈で納得させて無理矢理にでも前に進ませる力というか。
この「クレバーさ」と「我慢強さ」が合わさった結果である、一種の「自己実現力」。
この彼女の最大の武器が、期せずしてアイドル人生の第一歩で花開くことになったのです。

と綴っている。(『ロスジェネはえてしてこだわりすぎる』20230224元祖「異物」~秋元真夏の卒業に寄せて①【乃木坂46考察】より引用)

この出来事はメンバーと運営の信頼を揺るがし、メンバー間の絆にも亀裂を走らせた。

乃木坂46が迎えたグループ結成以来の最初の危機と言っても良いだろう。

秋元真夏はこの危機に直面して、誰にも愚痴ることなく、誰を恨むこともなく、誰の責任も問い詰めたりせず、すべてをひとりで引き受けたのだ。

運営は自らの失態を秋元真夏ひとりの覚悟で救われたのである。

秋元真夏と西野七瀬の歴史的和解

二人の和解は、2014年2月22日の2nd Year Birthday Liveまで待たなけらばならなかった。

乃木坂46のBirthday Liveでは、持ち曲全曲が披露されるのが恒例だが、2014年2月22日の2nd Year Birthday Liveの中盤、4thシングル制服のマネキンの紹介VTRの影ナレを西野七瀬が担当、その冒頭でこんな風に秋元真夏に語りかけた。
あの時は言えなかったこの言葉でこの曲を始めます。真夏!お帰り!一緒に頑張ろう!”

このナレーション(録音)が流れた時、出番待ちをしていた西野の心に、いろんな感情が溢れ出す。
そして視線の先に真夏の姿が見えると思わず駈け寄って抱きついていた。

ごめんね。”西野も真夏もその言葉しか言えなかった。

その時の一部始終が乃木坂46のドキュメンタリー映画”悲しみの忘れ方”の映像に収録されていて、ファンに語り継がれる名シーンとなった。

”悲しみの忘れ方” 舞台上で西野と真夏が抱き合うシーン)

西野七瀬の覚醒

一方でこの事件は、西野七瀬の中に新たな感情を呼び起こした。

大阪に帰って母親の前で号泣した西野に、母親は乃木坂を辞めて大阪に戻るように説得する。

それでも西野は首を縦に振らず、数日後ようやく東京に戻っている。

”自分が『負けず嫌い』であることをこの時初めて知った”とこの時に西野は語っている。(映画”悲しみの忘れ方”より)

秋元真夏復帰の一連の騒動の顛末は、2015年1月11日放送の”乃木坂ってどこ?”乃木坂46オモテ年表ウラ年表!後編で見ることができる。
事件から3年たった時期での放送であったが、当時の事を話し出すと、中元も西野もみるみるうちに涙を溢れさせた。
当時の傷の深さがうかがえて切ない。

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4thシングルの選抜発表は、メンバーの心に大きな傷跡を残した

秋元真夏の選抜入りを発表の最後にしたのは、明らかに運営や番組制作スタッフの作為である。

確かに大きなサプライズではあったが、多くのメンバーにとってはポジティブに受けとれるものではなかった。

メンバーの予想を超える運営の決定は当然あっても良い。

しかし選抜制によって日々競争にさらされているメンバーは、小さな棘で大きな痛みを引き起こす脆い心を持っている。

日常的にメンバーと接しているマネージャーたちは、彼女たちの心の動きを注意深く見守る義務を負っている。

彼女たちに過酷な競争を強いている運営は、その副作用を慎重に見極めなければならない。

西野と真夏は、それぞれの気づきで、確執を乗り越えたが、中元日芽香はモチベーションを取り戻せず、失意のうちにグループを卒業してしまった。

中田はいまだに、自分の心と戦い続けている。

ファンの心を掴むという正解のない問題に日々取り組んでいるのがアイドルである。

その問題の答えとして、NGT48の何人かのメンバーは、握手会などに大きなお金を落としてくれるいわゆる太ヲタとつながることを選んで、そんな不純を許さない山口真帆に告発されてしまった。

乃木坂メンバーが抱えていた問題も、NGTメンバーが抱えていた問題も、本質は同じである。
選抜制を採用し続ける限り、避けては通れない問題なのだ。

4thで起きた問題は個人対個人であったが、1年後の7thシングル”バレッタ”では、1期生VS2期生という形で確執が巻き起こることになる。

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