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乃木坂46史上最大のタブー”掛橋紗耶香ステージ転落事件”の結末と教訓~壮絶な治療とリハビリを経て掛橋紗耶香が乃木坂46からの卒業と芸能界引退を決断!~

アイドル

乃木坂46の四期生 掛橋紗耶香が2024年8月19日をもって乃木坂46を卒業、同時に芸能界からも引退することを発表した

2024年8月10日、かねてより怪我の治療中であった乃木坂46の四期生 掛橋紗耶香が1年4カ月ぶりにブログを更新、坂道合同オーディション合格の日から丸5年となる2024年8月19日をもって乃木坂46を卒業、同時に芸能界からも引退することを発表した。

掛橋沙耶香卒業のお知らせ 2024.08.10

掛橋沙耶香ですが、 先ほど本人のブログにて発表させていただいた通り、 2024年8月19日 (月)をもって乃木坂46から卒業することになりました。
活動最終日となる8月19日 (月)には、「乃木坂46 OFFICIAL YouTube CHANNEL」 にて、四期生が出演する卒業セレモニーの映像の公開を予定しています。
配信時間等の詳細は、 追って公式サイトにてお知らせさせていただきます。
今後とも、 掛橋沙耶香、 乃木坂46の応援のほどよろしくお願いいたします。

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転落事故から長期休養に至る経緯

掛橋紗耶香は、2022年8月29日の真夏の全国ツアー明治神宮球場公演中にステージ上から転落、顔の一部を骨折、2か所の裂傷、歯を1本欠損、周囲の3本が折れて神経の機能を失うという重傷を負った。

直ちに救急搬送され緊急手術が行なわれた。

手術はおおむね成功したが、その後辛く長い入院加療生活が始まる。

事故から数か月、運営からも、本人からも一切の情報発信がなく、ファンはただただ待つしかなかった。

事故から8カ月後の2023年4月2日に掛橋が初めてブログを更新、縫合した傷跡を目立たなくするための整形治療や、歯の修復、表情筋のリハビリなどに励む壮絶な日々を送っていたことを明らかにする。

それから1年4カ月たった2024年8月10日、掛橋紗耶香は2024年8月19日(坂道合同オーディションの最終審査が2018年8月19日だった)をもって5年間在籍した乃木坂46から卒業することと、同時に芸能界からも引退することを発表した

掛橋紗耶香卒業発表ブログ全文2024.08.10

ブログには最近撮影したと思われる35thの制服を着た掛橋紗耶香の全身画像も掲載されていた。

写真を見る限り、顔の骨折と裂傷の治療は成功しているように見える。

この画像を載せたのはずっと心配させていたファンを安心させるためだ。

このブログを見たファンからは安堵の声が聞かれ、同時に卒業を惜しむ声も上ったが、長く苦しかったであろう怪我の治療と長いリハビリを続けてきた掛橋の再出発の決断を応援しようという声が相次いでいる。

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傷跡は完全には消えず、治らない部分もある

その一方で掛橋はモデルプレスの取材に対してこんな風に応えている。

”骨折も治って、傷跡の修正手術も終わって、まだ歯はもう少し治療が必要なのですが、一旦完治の目処も立ちました。
元々前向きな性格なので、最初から不安にはならなかったんです。
病院の先生たちともすごく仲良くなって、このチームだったら大丈夫だろうと思っていました。
傷跡は完全には消えないですし、完全には治らない部分もあるので、周りの人たちには『大丈夫?』と心配されるのですが、私は全然気にならないです。
むしろ、傷跡も痣も全部頑張った証拠だと思っています。
それに私のファンの人たちは、傷跡に気づいたとしても受け入れてくれるだろうという自信があったので、不安は一切なかったです”

卒業発表ブログで一番安堵したのは乃木坂46の運営だった

しかしこのブログで最も安堵したのはほかでもない乃木坂46の運営である。

事故から2年間、何のアナウンスもしてこなかった、否、できなかった運営は、乃木坂46にとっての最大の闇=タブーとなってしまった掛橋紗耶香転落事故の呪縛からようやく抜け出すことができたからである。

あの事故によって掛橋は、身体を激しく損傷しただけでなく、心も大きく傷ついた。

顔の骨折、2か所の酷い裂傷、歯の欠損、いずれの治療も先の見えない恐怖との闘いであり、掛橋は失意の底にあったに違いない。

掛橋の親族は当然乃木坂46の運営の管理責任を問うただろう。

もし顔に障害が残ったとすれば、巨額な損害賠償請求の訴訟を起こされてもおかしくない。

そしてそれは、経済的な損失を被るだけでなく、アイドルグループとしての乃木坂46のイメージに致命的なダメージを負うことになるのだ。

それを避けるため、運営は掛橋の心身の回復には最大の配慮を行い、掛橋本人や親族との良好な関係の維持に細心の努力を払ってきた。

掛橋本人と運営にとっての最良のシナリオは”掛橋紗耶香涙の復帰”だった。

それが叶うことが両者にとって最高の結末だった。

しかし事はそう簡単には運ばない。

懸命な治療とリハビリにもかかわらず、掛橋は乃木坂46のステージに復帰することができなかった。

事故によって掛橋はライブのステージに立つことが恐怖になってしまったのだ。

リハビリ期間中に、医師から”気分転換に”と勧められたダンススクールに通った本当の理由はその恐怖を克服するためだった。

あの事故が、掛橋にPTSD(心的外傷後ストレス障害)を引き起こしたことは想像に難くない。

その後の懸命なリハビリでも掛橋の恐怖を拭い去ることはできなかった。

そしてグループからの卒業と芸能界からの引退という苦しい決断をすることになってしまう。

その決断は、掛橋にとって決して簡単なものではなかった。

掛橋紗耶香は乃木坂46メンバーとしての人生を諦め、アイドルとして生きることも諦めざるを得なかったのである。

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休養中は乃木坂46とは離れた場所に身を置いていた

医師と相談して、休養中は大学に通ったり、海外に行ってみたり、乃木坂46とは離れた場所に身を置いていた。
自分がいない乃木坂46が見られないというネガティブな感じではなく、これまで乃木坂の46の活動だけをしてきたので、一度頭をリセットしたいなと思い、ポジティブな気持ちで一旦距離を置いていた。
大学にも通い続けた。
海外はいろいろなところに行っていて、ダンスの勉強をしに韓国にも何度も行った

12thBirthdayLIVEを見て卒業の決意が固まった

今年(2024年)の3月の12周年記念バースデーライブに、休業してから初めて見に行った。
みんなと会って話しをした。
多くのメンバーから”戻って来て”って言ってもらった一方で、卒業の決意は固まっていった。
バスラを見た後、私自身活動を振り返ってみて、もう未練はないなって思えたからだ。
選抜に入ってファンの皆さんや応援してくださった方々に恩返しをすることとか、もともと乃木坂46でかなえたいと思っていた夢は全てかなえられたと思った。
次は乃木坂46にいたらかなえられない夢をかなえたいなと思って、卒業を決めた。
”まだまだできるな”って思えたことで…逆に満足したんだなと感じた。
最終的には自分の意思で卒業を決めた。

今回卒業を決めて、この取材や、撮影も、全部私のしたかったことで、スタッフに相談して決められたので、今は悔いなく、幸せな気持ちでいる。
8月19日には、事前に収録した卒業セレモニーをYouTubeで配信する。
多くのファンが復帰を待ち望んでいたことも理解している。
皆さんも悲しい卒業だと思わずに、悔いなく終われたらいいなって思っている。

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乃木坂46を卒業し、芸能界も引退して新たな人生を歩むと決めた

引退後は、海外に行ったり、慈善活動をするつもりでいる。
大学にも通い続ける予定だ。
等身大の私で生きられたらいいなって思っていて、芸能界にも未練は全くない。

10年後には、両手に収まるぐらいのものだけ持っていたい。
幸せも、責任も、全て両手に収まるぐらいだけあれば。自分で持てるぐらいのものだけある30歳になっていたいと願っている。

人生観が変わった。
考え方も性格もすごく変わった。
けがをしたことで心配してもらうこともあるが、むしろ自分にとっては必要な過程で、もっと成長するための1つの機会だったと思っている。

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怪我の治療は壮絶を極めたが、それを乗り越えた先に新しい未来が開けた。今も残る傷跡はチャームポイントだと思えるようになった

”怪我の治療のために通院する中で、医師から”もっときれいに治したいと思っています”って伝えてもらい、自分が”ここまでは治るだろうな”と想像していた以上に、全力を尽くして向き合ってくれた。
今も傷痕はありますけど、むしろチャームポイントだなと思えるようになった。”

そう語る掛橋だが、その胸の底に押し込めた無念さは本人しかわからないし、掛橋の性格からして、他人には絶対に見せたくないと思っているのだろう。

ポジティブな発言が筆者には痛々しく響く。

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乃木坂46の6年は激動の6年だった

乃木坂に加入したころは多感な時期で、環境も特殊で、短いようで濃い6年間だった。
良い思い出も、つらい思い出も、どっちとも言えないようなことも、本当にいろいろあって、思い出がたくさんあり過ぎる。
間違いなくこのグルプにいられたことは大きな経験値になったと感じている。

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卒業については、三期生の与田と相談した

先輩たちが、いつでもグループに戻れる雰囲気や居場所を作ってくれていたのが嬉しかった。
齋藤飛鳥や秋元真夏は、卒業する時にメッセージやお手紙をくれた。
その中でも1与田祐希さんの存在が一番大きいかもしれない。
すごくマメに誘ってくれて、2人でご飯を食べたり、カラオケに行ったりして、友だちみたいに接してくださるようになった。
卒業についても相談したし、こういう先輩がいるならもう少し卒業までの活動も頑張れるなと思った。

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”掛橋紗耶香卒業セレモニー”を生配信しない理由

ファンからの人気も高く、運営からの信頼も篤かった掛橋紗耶香。

今回の事故によって掛橋の今後の人生は大きく変わってしまった。

事故は掛橋の不注意が原因だという人もいるだろうが、公演のステージ上での演者の安全管理を担うのは一義的に演出の担当者とその管理者であり、公演の主催者である。

掛橋の怪我の治療やリハビリには相当の費用がかかったはずだが、当然それは運営が負担すべきもので、実際そうなっているはずである。

さらに事故によって掛橋の未来の人生の選択の幅が狭くなってしまったことにもその責任は及ぶ。

掛橋サイドから多額の損害賠償請求や慰謝料請求の訴訟が起こされてもおかしくない案件である。

運営はそれを避けるべく、誠心誠意掛橋サイドに寄り添い、掛橋の復帰を摸索した。

しかし現実はそうはいかず、事故の幕引きとして、掛橋本人がブログで、メンバーやスタッフに感謝の言葉を述べた上で、グループからの自主的な卒業発表と芸能界からの引退を発表するという流れになってしまった。

だが、これが掛橋にとって最良の結末であったかどうかには疑問が残る。

掛橋紗耶香と四期生が出演する卒業セレモニーは収録映像の配信で行われる。

なぜライブでの配信を行なわないのかと言えば、生配信には予測不能なリスクがあるからである。

そのリスクとは、今回の掛橋の卒業と芸能界引退に納得していないメンバーがいると運営が考えていることにある。

それはメンバーと掛橋とのコミュニケーションの中で生まれた感情で、今回の卒業が掛橋にとっても、ほかのメンバーにとっても、どれだけ不本意だったかを明確に示している。

それを感じたメンバーが運営の対応に不満を感じているのだ。

四期生には早川聖来のラジオ生放送での告発という前例がある。

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卒業セレモニ-の生配信で第二の早川聖来が現れないとも限らない。

四期生メンバーの掛橋への深い同情と抑えきれない正義感に、運営は不穏なものを感じとっている。

考え過ぎと言われるかもしれないが、筆者は清宮レイの早過ぎる卒業にも掛橋紗耶香の問題が関係しているのではないかと疑っている。

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”掛橋紗耶香転落事故の呪縛”からの解放

今回の転落事故で、未來の人生の可能性のいくつかを失ってしまった掛橋紗耶香には同情を禁じ得ない。

それでもこの結末は、運営にとっては悪くない結末なのだ。

損害賠償訴訟や慰謝料請求もおこなわれず、穏便にグループから離れることを発表してくれた掛橋に、運営は相当感謝している。

おそらく運営から掛橋サイドには相応の和解金が支払われているはずであり、そしてそれは当然のことである。

乃木坂46の最大の闇であった”掛橋紗耶香転落事故の呪縛”から、運営は解放されるのだから。

最後に、掛橋紗耶香の未来に笑顔が溢れていることを祈り、運営に対しては2度とこのような事故が起こらないような万全の配慮を願いたい。

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